5.毎年森にドングリがなってひと月もすると、
毎年森にドングリがなってひと月もすると、僕らの村は本格的な冬支度に入った。
このころにある一大イベントといえば何といっても村中総出での豚集めだ。橙色に色づいた楢の落ち葉を踏み散らかしつつ森に分け入り、春から秋まで放牧していた豚をかき集めて村に連れ戻す。
こうして集めた豚は繁殖用の数つがいを残してみんなつぶしてしまう。一部はそのまま晩のご飯に加わり、残ったお肉は表面に軽く塩をしてから日陰の風通しの良い場所――軒下とか――に下げておく。こうすると次第に肉表面の水分が飛び、内部では熟成が進んで旨味が濃くなっていく。豚をつぶして一旬間ばかりはこうした生干しの肉を食べる。この生干し肉は熟成の進みきった十日目あたりが一番美味しい。
この時期につぶす豚肉は丸一年分だから、生干しにしたぐらいじゃとても食べきれない。なので、さらに残りそうな分はあらかじめ別に取り分けて、こちらはしっかりと塩漬けにし、紐で縛って竈の上に吊しておく。こうして竈の煙で燻すことで豚肉に別の風味が加わる。豚を解体するときに出た屑肉は内臓肉と一緒にたたいて羊の腸に詰め、同じように天井から吊しておく。
こんな風にして、およそ肉という肉は全部、鼻の先から足の先まで、食べられるところは全部食べる。豚足なんかも適当に下処理してから粥に混ぜて食べる。コラーゲンおいしいです。
食べないのは骨と皮ぐらい。もちろん骨はスープを取るのに使うし、食材以外では細工物の材料になったりする。皮だってなめし革にしちゃうから、なんだかんだで使わない部分なんかない。
この秋の終わり頃が一年で一番、食事の楽しい時季だ。
風雪を避けて雨戸を閉め切ると家の中は真っ暗。その中心に据えられた竈の火だけが周囲をゆらゆらと照らす。天井から吊された干し肉や腸詰めが竈から立ち上る煙に燻されて日々その風味を増していく。火に掛けられた鉄鍋の中では豚の骨付き肉がひたすらふつふつと煮込まれ、髄からの旨味をスープの中にくわえていく。このスープで作る麦粥は本当に美味しい。
このころ南から行商人がやってくる。この行商人がもたらす商品は多々あるけれど、僕らの第一の目当てはまず、南の内海で獲れる鰯の腸を塩漬けにしてつくる、魚醤だ。その旨味たるや醤油以上のものがある。その分だけ癖も強いのだけれど。
ぶつぶつと大きく切った豚肉にこの魚醤を薄く塗る。魚醤は風味が強いからあんまりたくさん使うものではない。その上に塩を振って、香草と大蒜を擦り潰してすりこんだのを木串に刺し、粥鍋の周りに並べて遠火で炙る。豚の脂がじゅうじゅうと音を立てながら串を伝って滴り落ちる。周囲に魚醤の焦げる匂いが漂う。これだけでもう僕たちの心は浮き立たないではいられない。
この行商は魚醤の他、海塩やオリーブ油、葡萄酒等々、火流れ山の南からの産物を運んできた。彼はこれらと引き替えに、僕らの村から林檎酒やチーズ、毛織物なんかを仕入れて、また南へと帰っていく。
食後には母さんが林檎を剥いてくれた。
森の一角に林檎畑があって毎年秋になると真っ赤な林檎がたくさん採れる。これは村の子供たちにとって貴重な甘味源だった。残った林檎は果汁を搾ってお酒にする。
十二月に入るとぼちぼち年末年始に向けた準備が始まる。
村の男たちは森に分け入って冬眠中の熊を探す。冬に備えてたっぷりと肥え太った熊の、その寝入りばなを狙って狩りたてる。こうして獲った熊は年の終わりの精霊への捧げ物になる。これで一頭も見つからなかったりしたらどうするんだろうと思ったりするけれど、少なくとも僕が村にいた頃は、熟練の狩人が毎年必ず一頭以上の熊を探し当ててきた。
仕留めた熊はその場ですぐに解体され、肉や毛皮にばらけられた姿で村にやってくる。毛皮と頭はダロリー様の館に飾り、それ以外の肉は冬至に備えて日陰に吊して寒風にさらしておく。
熊狩りが一段落すると少し暇ができる。男どもはその暇に飽かせて酒ばかり飲んでいるけれど、しばらくすると村の女たちに尻を叩かれて家の掃除だのに駆り出されることになる。女たちは常緑樹の葉枝を編んで戸口を飾り付ける。
家々の掃除が済むと――必ず全戸の掃除が済んでないといけない――いよいよおおみそかだ。
森の精霊に熊肉の半分を供える。残りの半分は年越しの晩餐に供される。
おおみそかの晩まで十分に熟成の進んだ熊肉は意外なほどに柔らかく、くさみも無くてとても美味しい。この熟成には最低でも一旬間は必要で、できれば二旬間あるとなお良い。逆に熟成が足りない熊肉はひどい味で一年の終わりを台無しにする、らしい。僕は幸運にも最後までそんな熊肉を食べる羽目にはならなかったので、これは村の大人たちから話に聞いただけだけど。
そんなわけで年末の狩人たちには、とにかくできるだけ早くに熊を探して仕留めるという重大な任務が課せられていた。少しぐらい早く仕留めちゃった分には寒風にさらしておくことで保存しておけるけれど、熟成が足りないのはどうにもならないもんね。
精霊に捧げた熊肉は、夜のうちに森から一つがいの狼がやって来て、いつの間にかに持ち去っていく。この狼は森の精霊の使いだという話。
この冬至のお祭りでもって一年が締めくくられる。
翌日からは新年だ。ダロリー様の館の時告げの塔では仰々しく着飾った下人が角笛をいつもより長く吹き鳴らし、鐘を大きく一つ打って、村中に新年の日の一つを知らせる。
新年のお祭りはここからさらに三日三晩続く。
冬の間は基本的にすることがない。農作業はもちろん、森は雪に覆われてるから狩りをするのも大変で、そこにわざわざ出ていくのは本職の狩人ぐらい(その狩人さんたちにとっては逆に稼ぎ時らしいけど)。
というわけで、することといえば家畜の世話くらいしかなくって、それ以外の時間はみんな炉端に集まってのんびりと過ごす。母さんや姉さんたちは毛糸で編み物を始める。父さんや兄さんたちは一日の一、二時間ほどを剣の稽古に費やして、それ以外はお酒を飲みながらゲームをしたりしながらわいわいと過ごす。お酒はともかく、ゲームや剣の稽古は僕もときどき付き合わされた。剣の方は結局最後までいまいちだったけれど、八歳以降は剣術より魔術の修練に時間を割いたから仕方ないんだ、って言い訳しておこう。
この時期の子供たちはといえば、家の仕事を手伝ったりもするけれど、普段はやっぱり遊んで過ごす。秋に種をまいた小麦畑にさえ入らなければ牧草地も放牧地も出入り自由。一面の雪に覆われたこれらの原っぱは僕らの格好の遊び場になった。雪合戦にそり遊び、かまくらに雪だるま、積もった雪を前に子供がすることは、こっちの世界でも日本でもそう変わるものではないらしい。
年が明け、寒さがいっそう厳しくなると、僕らは森奥の沼――影沼――でスケート遊びをした。子供たちはみんな豚や羊の骨からつくったスケート靴を持っていた。現代日本のスケート靴とは勝手が違うものの、それでもちょっとコツを掴めば以前授業で習ったのと同じぐらいには滑れるようになった。
生まれ変わった新しい体でも以前に覚えてた通りに滑れたというのは、今にして思うとちょっとした不思議現象だと思う。子供の頭で中学数学を活用するのは大変だったのに。
僕たちが影沼でのスケート遊びに疲れたころ、いつもそれを見計らったように森の奥からテフィーの(母方の)お祖母さんが沼に現れて、沼に注ぐ小川を少し遡ったところにある彼女の庵に案内してくれた。この庵は冬でも凍らない泉の畔にあり、その周りはいつも初夏のように暖かで草木にも緑が絶えない。ややもすると花まで咲いていたりする。
テフィーのお祖母さん、ニフナス様はこの泉に住まう女精で、齢は百を優に越えているという話なのにどう見ても十代の少女にしか見えない。一緒に並ぶとお爺さんと孫娘にしか見えない旦那さんと、何十年もの間この庵でそれはもう仲睦まじく暮らしている。僕ら子供の前で口付けするぐらいは当たり前。少しは自重してください。
泉ではほかにも薄衣を纏った女精たちが水浴びをしたり歌をうたったり踊ったり蜂蜜酒を飲んで騒いだりしていた。みんな美女美少女揃いで、なまじスタイルも良いだけに、その薄い布地から透ける肌色を見せられると、子供心にもちょっと目のやり場に困ったものだ。
僕らはそこで甘い甘い蜂蜜の入ったホットミルクをご馳走になりつつ、あたたかな庵の中で一眠りして疲れた体を休め、やがてすっかり元気を取り戻すと、泉の女精たちの柔らかな手に引かれながら村へと帰った。
そんなこんなで厳しくも楽しい冬が過ぎ、街道の雪がすっかり解けた頃、今度は北からの行商人が塩漬けの鰊を馬車いっぱいに積んでやってくる。
塩漬け鰊は春の味だ。




