3.僕のこの世界での記憶は麦粥から始まる。
僕のこの世界での記憶は麦粥から始まる。
前世の記憶を持って生まれ変わったからといって、始めから大人のように記憶したり考えたりできるわけではない。こと赤ん坊の幼い脳にとって前世からの大量の記憶は負担だったのだろう。僕が言葉を覚えたのは周りの子に比べたらだいぶん遅れてのことだったと聞いている。僕の脳が成長して、前世と現世の記憶を整理して処理できるようになったのは、僕がもっと、ずっと大きくなってからのことだ。
子供の頃はわけの分からない言葉を発しながら泣き出すこともしょっちゅうだったらしい。母さんがいくらあやしても泣きやまないので途方に暮れたとか。そう言われても僕はよく覚えていないのだけれど。
こうやって泣く僕を見て、今の両親は、僕が自分以外の親を恋い慕って泣いているようだと感じていたらしい。そしてそれは恐らく間違っていなかったのだろうと思う。知らない世界でひとりぼっちになっているあの感覚は今でもときどき夢に見る。
ちなみに兄姉からは後々までこのネタでさんざんにからかわれた。
僕は典型的な「取り替え子」だった。本当なら幼児のうちに森に捨てられたって文句なんか言えない。そう思うと今の両親にはまったく感謝の言葉しかない。
そんな物心つくかつかないかの幼い頃から、母さんの作るご飯といえば三食決まって麦粥だった。
僕たちの家は木の柱を組んで周囲を荒土壁で囲っただけの、ここいらでは一般的な簡素な造りのものだった。屋根は藁葺きで部屋数も少ない。納屋や食料庫、家畜小屋の他には大部屋が一つだけ。寝るのもご飯を食べるのもみんな一緒。床は土を踏み固めただけの土間で、そこにめいめい藁束や干し草を敷いて寝起きした。
食卓も並べた丸太の上に木の板を載せただけという簡素なローテーブル。椅子はないのでこれまた藁束を敷いて座布団代わりにする。
そんな大部屋の中央には石組みの竈が一つ設けられていた。竈は照明や暖房も兼ねていた。そしてその上ではいつだって、麦粥の入った鉄鍋がことことと湯気を立てていた。
粥の中身は石臼で粗挽きにした麦に、豆、人参や玉ねぎ、さらに季節の野菜が加わる。それから裏庭に自生してる香草を少し混ぜて風味を整える。味付けは基本的に塩だけだ。お肉は主に豚の燻製肉だけど、兄さんたちが森で猪や鹿や山鳥を仕留めてきたときはそれに代わる。猪や鹿は僕たちだけじゃ食べきれないので半分以上はご近所におすそわけする。このとき一番良いところはダロリー様に食べていただく。山鳥はぶつぎりにして内臓やガラごと丸々一羽分を鍋に放り込む。鳥ガラの出汁が利いた麦粥はまた格別に美味しい。
川で釣った魚が入ることもある。村を貫いて流れる川――ただ「川」とだけ呼ばれていた――は僕ら子供にとってもいい遊び場だった。テフィーとそのお兄さんとに連れられてよく釣りにいった。釣果はまあ、あんまり聞かないで。魚だってどうせ釣られるなら可愛い女の子の方がいいんだと思います。
八歳の誕生日を迎えてほどなく、僕は人に見えないものが見えるようになり、毎夜見る夢の中に不思議な言葉や紋様が浮かぶようになった。
それが僕の召喚転移術師としての目覚めだった。不思議な言葉は魔法の言葉、不思議な紋様は魔法陣だと、本能のようなものが僕に教えてくれた。僕はわくわくする気持ちを抑えられなかった。
僕が最初の実験場に選んだのは家の裏庭だった。
木の枝を二本、紐でつないで簡単なコンパスを作り、一つ上の姉に手伝ってもらいながら二重の真円を描いた。基本の紋様は二重真円に内接する六芒星だ。足りない頭で中学で習った数学を思い出しながら、円に内接する六芒星を描こうとして、頭がこんがらがってきて挫折した。やり直し。
知識だけはいっちょまえでもそれを応用する能力はまだまだ未発達だった。なにせ脳みそ自体は小二レベルなんだもの。ちょっと話がややこしくなるとすぐにわけ分かんなくなっちゃう。
そんな僕に意外な助け船を出してくれたのは、誰あろう姉さんだった。
「ねえヴィロ、これって先に三角形を描いてから、その周りに丸を描いたんじゃ駄目なの?」
それだっ、姉さん冴えてるぅっ、僕は思わず膝を打った。円に内接する正三角形を描くより正三角形に外接する円を描く方が簡単に決まってる。
姉さんのおかげもあってその後の作図はすいすいと進んだ。
最後に姉さんから髪を何本かもらい、使ってない電気コードみたいに束ねてから魔法陣の手前に置く。本当は僕の血を陣の中心に垂らす方が良さそうっぽかったんだけど、痛いのやだし。
全ての準備が整って、僕は呪いの言葉を紡いだ。
この日、僕が魔法で召喚したのはポテトチップスだった。六十グラム入りの小さめのやつ。僕と姉さんで一袋食べちゃった。姉さんはこんな美味しいもの食べたことがないと言って笑った。僕は大得意になって家族の分も召喚した。同居してる叔父さんと叔母さんの分を含めて十人家族だから大袋で二袋もあれば足りるだろう。
勇んでポテチの袋を母さんに届けると、母さんは見たこともないものでできた袋を前に怪訝な顔をした。当然開け方も分からないので僕が開けてあげる。母さんはまず一枚だけ口にし、そしてすぐに眉をひそめた。これをどこで手に入れたのかと聞いてくる。僕は魔法で呼び出したんだと答えた。母さんはそれを聞くや、ポテチの中身を粉々に砕いてみんな麦粥の中に入れてしまった。
「ああ、愛しいヴィローハザや、お願いだからわたしたちに贅沢の味を覚えさせないでおくれ」
母さんは笑っていたけれど、その笑顔の下に寂しそうな色が混じっていることは子供心にも察せられた。母さんはさらにこう続けた。
「これでお前はそう遠くないうちにこの村から出ていくことになったんだからね……」
母さんはその晩、僕のお椀にいつもより少しだけ多く麦粥をよそってくれた。いつもは薄味の麦粥が、その日だけはポテチの塩のせいか妙にしょっぱかった。
それからほどなくして、ソズウェル・ユーリエストというおば、もといお姉さんが村にやってきた。彼女は村はずれに一夜で立派な家を建て、次の日から僕とテフィーの先生になった。お師匠様は僕とテフィーにこの世界の色々なことを教えてくれ、また、僕の召喚術と転移術の師匠にもなった。お師匠様からは色んなことを教わった。歴史、地理、数学や理科、サリトス語もお師匠様から習った。数学や理科は内容自体は前世で習ったことと大きな違いがなかったけれど、数学については良い復習になったし、理科の授業を通してはこの世界の様々な法則が根本的には地球と大きな違いがないことを確認できた。
まあ、魔法が実在するってのはそれだけで大きな違いではあるけれど。
母さんがポテトチップスの袋を前に寂しそうにしていたわけを教えてくれたのもお師匠様だった。術師は力が強すぎるからあまり世俗のことに関わってはいけない、お前もいつかは人里を離れて一人で暮らさないといけないんだよ、その準備をさせるためにダロリー様はあたしを呼んだんだ、って。
僕が村を出たのは十五の春のことだ。極北の地に魔法で塔を建てて一人暮らしを始めた。
その日から僕は、お米のご飯でもパンでもスパゲッティでも、ポテチでもハンバーガーでもケーキでも、ジュースでもコーラでも、とにかく誰に何の気兼ねをすることもなく、召喚術を最大限に利用して、食べたいものを食べたいだけ、好きなときに好きなだけ食べられる身分になった。
住む家も以前とは大違いだ。今住んでいるのは地下一階、地上三階の石造りの塔で、電気、ガス、水道完備で温泉までついてる。
隙間風の入る大部屋は暖炉とエアコンとでぬくぬくに暖められた居間や寝室に、照明は竈の火から煌々と光る電灯に、冷たい土の床は温水の床暖房を巡らせた柔らかな木の床に変わった。ソファの足下にはふかふかの絨毯が敷き詰められている。窓は光を通さない雨戸から三重のガラス窓に、ざらざらの土壁もナチュラル木目の明るい内装へと姿を変えた。夜は麦藁の寝床ではなくふかふかの清潔なベッドで寝られる。
それでも、食卓には今も週に一度は麦粥の椀が並ぶ。
異世界の農村生活の中で、いつの間にか、麦粥のあの優しい味わいは日々の食事に欠かせないものになっていた。しばらく食べないと禁断症状が出る。日本人にとってのご飯や味噌汁みたいなもん。
木皿によそった麦粥を口に運ぶたび、僕は今生の母さんの優しい顔を思い出す。
僕にとって麦粥はもう一つのお袋の味だ。