2.今日は酔いどれ鯨亭でお昼を食べた。
今日は酔いどれ鯨亭でお昼を食べた。
サリススン郷の南、火流れ山を越えた先にある港町スーレシア市の、その港湾地区に酔いどれ鯨亭はある。
鯨をかたどった鉄看板がトレードマークだ。元々は「鯨亭」と呼ばれていたというこの店は、その鉄看板が赤錆を帯びるに連れ、いつの間にか「酔いどれ鯨亭」と呼ばれるようになった、らしい。客層にせよ営業時間にせよ、そういうとこは日本でいう大衆食堂に近いんだけれど、なぜか店内の雰囲気は居酒屋っぽい、とにかくそんなお店。
スーレシア市は今から百数十年前にサリトス人によって建設された比較的若い植民市だ。
白い石壁で統一された街並みから白亜の街と称され、また、市街を縦横に走る運河によって水の街とも称されている。サリトス人の高い建築技術によって整備されたこの街は、上下水道完備の上に劇場、競技場、公衆浴場に至るまでいたれりつくせり。
内海を東西に巡る海洋交易の中継地として、また、北に住まう僕らドーズの民との交易拠点として繁栄している。
酔いどれ鯨亭は開業から七十年、今の主人は三代目だという。このお店はその一風変わったメニューで有名で、そのために僕は、ここの初代は僕と同じく地球からの「取り替え子」だったのではないか、と睨んでいる。そしてこの推測が正しいとすれば初代は多分イタリア人だ。だってここの名物料理といえばスパゲッティ(もどき)だったりピザ(もどき)だったり、とにかくそういうのばっかりなんだもん。
甘茄子の未熟なの――今では青水茄子の名で売る農家もいる――がトマトの代わりになるっていう発想には敬意を表したい。青水茄子はトマトのような酸味と旨味にピーマンの青臭さが少し加わったような微妙な風味の実野菜だけれど、これを煮詰めてソースにしたものはトマトソースとしてかなり再現度が高い。子供の頃にピーマン入りミートソースを食べさせられた、僕みたいな手合いにとってはなおのこと。昔はピーマン苦手だったんだよね。
ここのピザはパリパリのクリスピーピザだ。発酵させない生地を薄く伸ばし、そこにソースを塗って具を散らし、チーズをのせて焼く。こっちも美味しい。
ともあれこの店には、お昼どきともなれば漁師、船乗り、交易商人等々、午前の仕事を終えた海の男たちがたくさんやって来る。必ずしも万人向けというわけでもないメニューからいつも満席とはいかないけれど、熱心なリピーターも多いせいか経営自体は安定しているよう。
たまに食べたくなってふらりと立ち寄る、そんな僕をこのお店はいつも満足させてくれる。良いお店です。
そしてこの日、僕は瑠璃子ちゃん、歌穂ちゃん、それにテフィーを伴って酔いどれ鯨亭を訪れた。店内に並ぶ白い石のテーブルは今日もそれなりに賑わっている。
ここで二人の紹介を。
一宮瑠璃子ちゃんはポニーテールがトレードマークでおっぱいの大きいグラマラスな女の子。本人は体重が気になってるみたいだけど、瑠璃子ちゃんはちょっとぽっちゃりしてるところが良いんだと思います。
二井関歌穂ちゃんは肩口で髪を揃えた、こちらはスレンダー美少女だ。右目の泣きぼくろがチャームポイント。
二人とも僕が召喚術で呼び出した女の子だ。ちなみに魔法の契約(婉曲表現)を結んでいて、召喚、送還とも簡単にできるので、日本での生活に影響が出ないような時間帯に呼び出してはみんなで一緒に遊んだり(婉曲表現)している。前世では中学時代の同級生だった。
え、計算が合わない? 僕が死んでから今までの十五年はどうしたかって? 僕も最初はそう思ったけれど、「生者の世と死者の世とでは時の理が異なるのだ」って屍霊術師のお爺さんが言っててさ。死後の世界の専門家からそう言われたら、その分野の素人としては納得せざるを得ないなーと。
タイムパラドックス的なあれやこれやについても、僕が本格的に日本にアクセスするようになったのは向こうでの僕が死んだ後のことだから、実際にどうなってるのかなんて今更確かめようがない。仮説だけならいくらでも立てられるけれどね。
僕らが店の戸を開けると「いらっしゃいっ!」と主人の威勢の良い声が店内に響く。
主人が西方訛りのサリトス語で「最近めっきりご無沙汰やったから心配してたんよ」なんて言ってくる。でも、ご主人が心配してたのは僕より、僕が持ってくる瓶ビールの方じゃないのかと思わないでもない。
右手の長杖を一振りして、封印しておいたビール大瓶1ケース分を店主の前に現出させる。
これで今日のお昼四人前よろしくね、いつもので。
僕ら召転術師は金貨や銀貨を使えない。
召喚術は対象物をただ呼び出すだけではなく、複製をつくってそっちを呼び出すこともできる。動物や魔法の品物は複製できないものの、それ以外なら複製し放題だ。僕も日々の生活は基本的にこの力で賄っている。
そして昔々、僕らの先輩が金貨銀貨を大量生産してあらゆるものを買い漁ったことがあったそうな。必要なものをその都度召喚するよりも、一度にたくさんのお金を召喚して貯めておく方が楽だしね。その結果として当然のように大インフレが起き、やがて僕らが持ち込む金貨や銀貨にはまるで信用がなくなったというわけ。
なので、僕らが街で何かを買いたいときは相手の欲しがるようなものと物々交換することになっている。砂糖とかお酒とか。その土地でなかなか手に入らないものほど人気で、たとえば今回のビールなんかはたいていの人が交換に応じてくれる。
給仕のお姉さんが早速、「今日のおすすめ」を示す粘土板に「苦麦酒」を追加する。それを見た客からはすぐにビールを注文する声が挙がる。カウンターの中ではきゅっぽきゅっぽとひっきりなしにビール瓶の栓が開けられ、こぽこぽ、こぽこぽと陶製のジョッキにビールが次々注がれていく。店内のあちこちから「やっぱ苦麦酒は届きたてに限るわなぁっ」なんて声が聞こえてくる。冷蔵庫がないから冷えたビールが飲みたかったらすぐに飲まないとね。
ちなみに余った王冠は単体でアクセサリの元になるほか、鍛冶屋でも高く引き取ってくれるらしい。瓶は瓶で、ビールケースもビールケースで、いくらでも使いでがある。
もしかしたら、ビールの中身よりその副産物の方が喜ばれてるんじゃないかとか思うことも、あったりなかったり。
しばらくすると僕たちの席に緑色のミートソーススパゲッティが大皿に六人前運ばれてきた。あとはそれぞれの取り皿と、取り分け用に木のスプーンが一対。フォークが来ないのは仕様です。ここではスパゲッティも手で食べるのが基本。とはいえ、女子高生や領主令嬢に手づかみでスパゲッティを食べさせるのもどうかと思うので、杖の中に封印しておいたフォークを解放してみんなに配る。
「四人分にしてはちょっと多くない?」
なんて瑠璃子ちゃんが心配するけれど、僕がこの店に来るときは人数プラス二人分を持ってくるのが暗黙のルールだ。というのも僕が三人分食べるからなんだけどね。だから全然大丈夫。
「長峰くんはいっぱい食べるもんね」
と歌穂ちゃんが言えば、テフィーがその言葉を継いで、
「毎朝大きなお椀でご飯三杯食べてますのよ。よくお腹を壊さないものだと感心するやら呆れるやら」
と、本当にやれやれって表情を浮かべて僕の方を見る。
仕方ないじゃない。術師は燃費が悪いんだよ。ただでさえ成長期なのも手伝っていくら食べてもおっつかない。あー、つらいわー、いくら食べても太れないって本当につらいわー。
ここで瑠璃子ちゃんの方をちらっと見ると、案の定こめかみがひくひくいっていた。
「ねえ歌穂。なんだかわたし今の長峰君を見てるとすっごく頭に来るんだけど、この気持ちはどこにぶつけたらいいと思う?」
「え、えーと……、どこ…かな……?」
いや待って、それってかなり理不尽じゃない? いくらダイエットに苦心してるからって。ああっごめんなさい、瑠璃子ちゃんは太ってなんかないよ。だからお願いだからそのチョップの構えはやめてーっ。