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現代恋愛もの

未亡人

作者: 川木

 人には誰でも、一つくらいは人には言えないことがある。

 例えば自分を主役にした長編小説の存在だとか、両親が離婚した理由が性の不一致だとか、昔近所の子とお医者さんごっこをしたとか、一時期荒れていたとか、そういうことだ。

 俺の秘密も結構色々ある。その中でも親友にバカ話としてさえ言ったことのないやつの一つが、未亡人が好きだ、というものだ。

 初恋の相手は叔母だった。叔父のお葬式で連れられて初めて見た5歳の時、叔母さんの涙の美しさ、黒い喪服のエロさ、髪をアップにしたうなじの色っぽさとか、その他もろもろに俺は一目でやられた。

 熟女が好きなわけでも人妻がいいわけでもない。ただひたすらに、未亡人がいい。悲しんでいるところがポイントだ。


「っ、っ……!」


 今もまた、涙を流す未亡人に、俺は恋をした。









 俺には幼なじみが二人いた。男と女が一人ずつ。二人ともいいやつだった。いい友人であった。

 そんな二人だから3年前から付き合いだした時も、去年結婚した時も、俺は心から祝福した。先日、親友の片割れが死んだ時、俺は涙がとまらなかった。


 だけど今、涙はとまった。喪服で泣き続ける残った幼なじみ-季依子に恋をしたことで、悲しみが消えた。

 目の前にいるのは大切な人を失った同士でも幼なじみでもなく、ただの魅力的な未亡人だった。


「季依子…」


 下手ななぐさめに意味はない。ただ俺はずっと季依子の側にいた。

 一ヶ月後、季依子が自殺未遂をした。病院にいれられた。半年たって俺が会えるころには、やつれてまるで幽霊さながらだった。

 人によっては目をそらしたいほど痛々しく映るのだろうが、俺にはとても美しく見えた。

 それだけあいつを、旦那を愛していたということだ。彼女の一途さに、愛の深さに、俺はますます季依子にのぼせ上がった。


「季依子、おはよう。今日もいい天気だぞ」

「季依子、今日はまた一段と暑いなぁ」

「季依子、虹だぞ」

「季依子、ひまわりを買って来たぞ」

「季依子、焼き芋は好物だったよな」

「季依子、少し肌寒くなってきたなぁ」

「季依子、向こうの小学校は運動会だな。懐かしいなぁ」

「季依子、もみじを拾ってきたぞ」

「季依子、昨日はすごい雨だったなぁ」

「季依子、雪が降ってるぞ。積もるといいな」

「季依子、クリスマスだからケーキ買って来たぞ」

「季依子、見ろ、雪うさぎをつくったぞ」


 毎日通った。自殺未遂を繰り返すのをやめた季依子だったが、茫然自失としたぬけがらだった。

 何も言葉を返さないし、視線すらよこさない。

 それでも毎日面会時間の許す限り話かけた。毎日定時に帰るぶん、夜遅くまで家で仕事をしなければならなかったが、季依子のためと思えば全く苦ではなかった。


 半年も通うと、徐々に反応するようになった。

 視線を感じるようになってからは早かった。季依子は俺を全力で拒否した。見舞いの品は置いた瞬間に床にたたき付けられた。故意に口をつぐみ、たまに開いたかと思えば乱暴に罵った。


 愛おしいという思いがとまらない。季依子が好きだ好きだ好きだ好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き。

 愛してる。


「季依子、こんばんわ」

「……」


 今日はなんだか元気がないな。

 季依子はベッドの上で体育座りしたままじっと俺を睨みつけてくる。

 最近は挨拶にテレビのリモコンを投げていたのに、どうしたんだ。


「座るぞ」

「……」

「今日もいい天気だなぁ」

「……」

「そうそう、表の桜、ついに満開だったぞ」

「……」

「売店で団子でも買って夜桜と洒落こまないか?」

「……」

「しないかぁ。残念。来年の楽しみにとっとくよ」

「……」

「桜と言えばさ」

「ねぇ」


 話しかけてきた!! それも怒り爆発でなく静かに!!

 俺は三割増しにニコニコしながら返事をする。


「どうかしたか?」

「…あーくんは、なんで毎日来るの?」

「決まってるだろ? 毎日季依子に会いたいからだ」

「……あーくんは、なんで、トモくんが死んじゃったのに、笑えるの?」

「……」


 俺だって、友也が死んだのは悲しい。思い出すだけで苦しい。だけどそれより、季依子といると嬉しい。季依子といるだけで楽しい。


「友也は死んだけど、季依子はまだ生きてる。だから俺はまだ笑えるよ。俺はさ、家族には恵まれなかったけど幼なじみには恵まれたと思ってる。季依子と友也が大好きで、すごく大切だ」


 季依子に恋をしてなくったって、見舞いにくらい毎日来た。死んで生きてるのが逆でも、毎日来た。それくらいには二人とも元々大好きだ。


「だから季依子、お前は死ぬな。笑わなくてもいいから、生きろ」

「…私がどれだけ辛いか、あーくんにはわかんないよっ」

「そうだな。俺も友也が死んだのは悲しかったけど、お前はもっともっと悲しかったんだよな。俺にはわかんないよ。でも生きてほしい。季依子まで死んだら、俺には誰もいなくなっちまう」

「……ごめん、なさい」

「季依子?」

「ごめん、ごめん…ごめん」


 季依子はぼろぼろと泣きながら謝りつづけた。思ったことを言っただけだから、何が季依子の琴線に触れたのかはわからない。

 だけどこの日を堺に、季依子は回復して行った。

 入院してからちょうど一年後、血色もよくなった季依子は退院した。

 季依子と友也の新居はぴかぴかに掃除した。


「…ただいま」


 少しだけ悲しそうに季依子は玄関をくぐった。その顔を笑顔にしてやりたいと強く強く思った。









 退院した季依子の家に半ば無理矢理住み込み世話をした。部屋数的にも問題はなかったし、俺が悪いやつではないというのは彼女の両親もわかってくれていたのでなんとかなった。


「季依子、今日の晩御飯はカレーだ。季依子はシーフードカレーが好きだろう。今日はなぁ、海老が安売りしてたんだ」

「ねぇ、あーくん」

「ん? なんだ? お前、シーフードの中でも海老好きだろ? あ、安心しろ。海老だけじゃなくてイカとかも入ってる」

「そ、そうじゃなくて……なんで、ここまでしてくれるの?」

「ん?」


 共同生活を始めて一年もたち、慣れてきたと思ったのにまだ文句があるのか? ……まさかうざがられてるとかじゃないよな?


「ど、どうしたんだ、今更。俺、なんかしたか?」

「ち、違うわ。嫌とかじゃないの。感謝してる。本当に、有り難い。ただ……いくら幼なじみで、大切な友達でも、友達にここまでしないでしょ、普通」

「……」


 それはそうだ。確かに見舞いはまだいいとして、押しかけ女房よろしく世話をし家事をするのはやり過ぎな感がある。


「あーくんが、私たちのこと大好きなのは知ってるし、優しいの知ってる。でも。あの……う、自惚れだったら申し訳ないんだけど……わ、私のこと、特別に好き?」


 季依子は真っ赤な顔で聞いてきた。どう答えようかと悩む。

 まだ友也を失った悲しみが完全に癒えた訳ではないだろう。時折泣いているのを知っている。


「ち、違うならさ、再就職先でも馴染んできたし、無理して私の世話してくれなくてももう大丈夫よ。もう大丈夫。心配ないし、安心して」

「ま、待て。違わない、好きだ」


 しまった。勢いで言ってしまった。

 慌てて口を抑えるが、言ってしまったものはなかったことには出来ない。季依子は耳まで真っ赤にして俯いてしまった。


「……」

「あ、や、いや……いや、別に見返りを求めてやってるわけじゃないし、下心とかないし、あー……まあ、全くないとは、いや、俺ほら紳士だし」


 やばい。今までは安全パイな幼なじみだから許されたけど、やっぱ女と見てるなんてバレたら無理だよな。


「……すぐには、無理」

「へ?」

「……だから、私、トモくんまだ全然、かなり、大好きだし……でも、あーくんのこと、元々だけど好きだし、その……ま、待ってほしい」


 ……これは、つまり、え、脈あり?


「ま、待つ。いくらでも」

「…ありがと」


 この日から、少しずつ、俺たちは近寄った。









「私はまだトモくんが好き。多分ずっと、死ぬまで好き。それでも、私のこと、愛してくれる?」

「当たり前だろ。友也が好きなお前を好きになったんだ。友也ごとお前を愛してる」

「……ありがとう。私も、愛してる」


 あれから2年たってからようやく俺と季依子は結ばれた。

 長かった気もするし、短かった気もする。

 式は簡単にあげた。友也の両親も季依子の両親も、叔母も、もろ手を挙げて喜んだわけではないが、前を向いて歩いて行くよう、祝福をしてくれた。


 同居人から夫婦になり、季依子は泣かなくなった。もちろん友也の仏壇の手入れは欠かさなかったし、週に一度の墓参りも続けている。


「あーくん、今日はあーくんの好きなハンバーグよ」


 笑顔を毎日のように見せてくれるようになった。毎日仏壇に手をあわせている。写真を悲しそうに見ている。


「本当か? 嬉しいな。愛してるぞ」


 愛してる愛してる愛してる。

 俺は季依子を愛している。









「子供が出来たの! 妊娠二ヶ月半だって!」


 満開の笑顔はすごく可愛くて、可愛くて………可愛い、とは、思う。


「そうか! やったな!」

「うん!」


 季依子を力いっぱい抱きしめてやって、顔が見えなくなってから笑顔をつくるのをやめる。


 もう、ごまかすのはやめよう。無理だ。

 俺はもう、季依子を愛していない。


 俺が好きだった、心から愛した未亡人はもういない。

 俺が幸せにした。幸せな花嫁にした。幸せな女にした。ただの女。

 もはやごまかしようがない。俺は彼女が幸せになるごとに、彼女が友也のことで悲しまなくなるたびに、少しずつ愛情が冷めていった。

 季依子はもう、悲しまない。友也の写真を笑顔で見る。墓前で笑顔で俺の子供を報告する。


 もう愛せない。俺が愛したのは未亡人の季依子だった。ただの季依子ではない。それに気づいてしまった。


「元気な子を産んでくれよ」


 でも、だからって、愛情が冷めたからって、それを季依子に言うなんてできない。幸せそうな季依子に別れようなんて言えない。

 だって、愛してなくても、季依子が俺の大切な幼なじみには違いがない。こいつの笑顔を崩すなんてことは出来ない。

 子供も俺の子供だ。だから何も考えずに別れたりはできない。


「季依子、お腹気をつけろ。ほら、荷物は俺が持つ」

「ありがと、パーパ」

「バカ、気が早いっての」


 季依子に愛情を返してやれないことが申し訳なかった。季依子を大切だとは思うし、今のところ俺は今まで通り愛している演技ができているはずだ。


 季依子は本当に魅力的な人間だ。今まで見たどんな未亡人より魅力的な未亡人だった。

 どうすれば、また季依子を愛せるだろう。


 俺はずっと、ずっーと考えていた。仕事をしている時も、ご飯を食べている時も、季依子といる時も。


 何かきっかけさえあれば、いくらでも愛せるはずだ。だってあんなに愛していたんだから。世界中の誰より愛していたんだ。世界中の誰より、未亡人の季依子を。


「あ……」

「え? なに?」

「思い付いた…」

「何?」


 夕食の席、唐突に思い付いた。そうだ、季依子をもう一度愛する方法を思い付いた。

 考えてみれば簡単だ。どうして気づかなかったんだろう。これで愛せる。季依子をもう一度愛せる。


「あはははは」

「あ、あーくん?」


 俺は自分の閃きに笑いがとまらなくなり、すぐに実行する。

 テーブルに置きっぱなしの果物ナイフを無理矢理喉に突き刺した。


「きゃあああああああ!!?」


 痛みに椅子から崩れ落ちる。血が吹き出るのを見ながらスローモーションで倒れると、季依子が泣きながら俺にすがりついた。


「あーくん! なんで!? なんでなんでなんで!?」


 絶望に染まり涙する季依子の顔は、俺が惚れたものそのものだった。俺は試みが成功したのを悟り、自然と笑顔になる。


「あ、い、し…て、る」


 愛してる。今こんなに心臓の音がうるさい。こんなの初めてだ。愛してる。

 単純な話だ。結婚し幸せになった季依子だから愛がなくなったのだ。また未亡人になれば、俺はいくらでも季依子を愛せる。

 季依子、俺も愛してるぞ。


 あれ、おかしいな、季依子の素敵な泣き顔が、見えない。


 ああ、季依子。いつまでも俺の愛する未亡人でいておくれ。季依子は魅力的だからまた旦那ができて幸せになるかも知れない。でもできるだけ長く、俺が愛する女でいておくれ。

 ああ、ああ、季依子愛してる、愛してる。季依子季依子季依子、綺麗な涙を見せてくれ。震える美しい声を聞かせてくれ。

 季依子、愛してる。世界中の誰よりも、愛してるよ。









 あーくんが動かなくなった。嘘だ。こんなの嘘だ。だってあーくんは私を愛しててずっと一緒にいてくれるって言って、私を愛してるって言って、今も言った。

 なに? なになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになに?


 ああ…そうか。夢だ。やだなぁ。早くさめなくちゃ。あーくんも、お腹の子も待ってる。早く名前も決めてあげないと。


「あーくん、すぐ起きるね」


 私はあーくんの真似をして、ナイフを喉にさした。


「いっ」


 い、たく、ない。痛くない。痛くない痛くない痛くない痛くない痛くない痛くない痛くない。だからほら、夢だ。




主人公の願いは叶いました。季依子は死ぬまで主人公のことが好きなまま、未亡人のままでした。というオチ。

未亡人という言葉はなんかエロい。単語がエロい。そんな思いからできた小説です。


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[気になる点] >式は簡単にあげた。友也の両親も季依子の両親も、叔母も 途切れてる…
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