《インフェルノ》
そのダメージは決定打になり得るほど大きい。普通のプレイヤーなら即死している威力だ。
それほどの直撃を受けたというのに、彼はまだ落ちない。信じられない耐久力を見せつけている。
ラオンは炎を受けながら、なお前へ出た。
「マジで!?」
俺は思わず素が出た。
ラオンの身体から煙のようなエフェクトが上がり、闘気がまだ燃えている。
ミーナの放ったフレアランスは、間違いなく彼の急所を捉えていた。完璧なタイミングでの一撃だったはずだ。
HPゲージの減り方を見ても、確実に効いていることは明らかだった。致命傷に近いダメージを与えている。
それほどの傷を負いながらも、ベルセルク状態のラオンは決して止まらない。死を恐れぬ獣の執念だ。
炎を貫いて、斧を振り上げてくる。
頼みの綱だったミーナの最大魔法はすでに撃ち尽くしてしまった。彼女にこれ以上の援護は望めない。
ネネとトビーによる絶妙な横槍も、すべて出し切った後だ。次はあの暴力に巻き込まれかねない。
2人は絶妙な距離感で風圧を躱している。
手札は完全に底を突きかけている。
盾となってくれたゴブリンたちも、次々と光になって消えていく。
守りの要もミーナの炎も失われてしまった。
もはやこの戦場に立って動けるのは、私一人だけになってしまった。すべてを背負う瞬間が来たのだ。
ならば、私がこの両手で彼を止めるしかない。魔王としての誇りにかけて、必ず打ち倒してみせる。
私は笑った。
喉の奥から、捕食の熱がせり上がってくる。
「いいわ……」
VRの世界で表現できる限界ギリギリの痛みを伝えてくる。
蓄積されたダメージは限界を超えている。
俺のHPも危険水域まで削れている。
一発でも直撃をもらえば終わりだろう。
対するラオンのHPも、すでに風前の灯火となっている。
お互いに死の淵に立たされている状態だ。
極上のメインディッシュが、ついに"私"のテーブルに乗りかけている。その事実が食欲を刺激した。
彼を完全に料理するまで、本当にあと少しのところまで来ている。
ゴールは目の前だ。
もうあと一押しするだけで、この狂える獅子を骨の髄まで食べられる。垂涎の瞬間が迫っていた。
「最後まで、暴れなさい」
私は尻尾を大きく開きかけ、しかしまだ閉じた。
まだ確実な捕食圏内には入っていない。
ここで性急に動くのは愚の骨頂だ。
絶対に焦ってはいけないと、自分自身に強く言い聞かせる。冷静な判断こそが勝利の鍵だ。
もし一瞬でも焦りを見せれば、逆に私が食われる側に回ってしまう。ギリギリの緊張感が神経を研ぎ澄ませた。
ラオンが炎の残滓をまとったまま突っ込んでくる。
私は残された触媒を振り絞り、最後の骨盾を前方に展開する。
彼の一撃を受け止めるためだ。
強烈な斧の一撃によって、盾はあっけなく砕け散る。しかしその衝撃は殺し切った。
盾は失われたものの、私は大地をしっかりと踏みしめて立っている。もはや一歩も引く気はない。
ラオンの斧が振り下ろされる。
私はその軌道へ、真正面から踏み込んだ。
これこそが、互いのすべてを懸けた正真正銘のラストバトルだ。一切のごまかしは通用しない。
ここから先は、逃げ隠れも姑息な陽動も必要ない。ただ純粋な力のぶつかり合いだけが残されている。
裸の獅子と、腹を空かせた魔王の、最後の食卓だった。
「しつっこいのよ!」
私は、思わず叫んでいた。
「うがぁぁ!! リエラァァァァア!!」
ラオンの斧が、立て続けに骨盾を砕く。
凄まじい威力を前に防壁が役に立たない。
私は尻尾で地面を叩き、無理やり横へ逃げる。
次の瞬間には、ラオンの肘が飛んできて、スライムボディで衝撃を逃がしたはずなのに、身体の芯に鈍い痛みが残った。
《ベルセルク》状態のラオンは、理性を削られているはずなのに、ただの力押しでは終わらない。
振り下ろされる重厚な斧だけではない。突き出される拳や蹴り、さらには肩での体当たりに至るまで、その全身が狂気の武器となっているのだ。
しかも一撃一撃が、防御の上から内側へ響いてくる。
発勁に似た防御無視の効果が乗っているのか、単純にステータスとスキル補正が暴力的すぎるのか、どちらにせよ、受け続けるには重すぎた。
いや、鬱陶しいのは向こうも同じだろう。
"俺"は"俺"で、骨盾を出し、骨剣を飛ばし、尻尾で足を払おうとし、誘惑で視線を固定し、エルーサの回復を受けながら逃げ回っている。
ラオンからしたら、殴っても殴っても粘り、食えそうになるとすり抜け、隙があれば喉元に牙を立てようとする、最悪にしぶとい相手のはずだ。
お互い、決め手に欠けていた。
ラオンの暴力的な火力は俺の体力を削ってくる。
けれども、私は決して落ちない。
どれほど削られても立ち上がり続ける。
私の捕食は確実にラオンを狙い続けている。
しかし、あと一歩のところで赤ゲージまで届かない。決定的な隙が生まれないのだ。
ミーナの魔法は確実に刺さった。
けれど、《ベルセルク》で強引に立ち直ったラオンは、それでも止まらなかった。
ネネの短剣も、ベルナデッタの大剣も、エルーサの支援も、トビーの嫌がらせも、全部がラオンを削っている。
それでも、あと一歩が遠い。
「グォォォォォ!!」
ラオンが咆哮し、斧を横薙ぎに振る。
戦闘が長引けば長引くほどラオンは獣になって行く。
私は骨盾を二枚重ね、さらにスライムボディで身体を沈めた。
防御に出した骨盾がけたたましい音を立てて砕け散る。その威力を殺しきれずに押し込まれた。
衝撃が肩を貫き、HPがまた削れる。
「……あと、一手なのにっ!」
エルーサの祈りが背中へ流れ込む。
「はぁ……はぁ……リエラ様……!」
回復はギリギリで追いついているものの、決して余裕はない。一瞬でも気を抜けば命取りになる。
このままでは、先にこちらが崩れるかもしれない。
その瞬間だった。
背後から、冷えるような熱を帯びた声が聞こえた。
「《コンバート》……」
それは他でもないミーナの声だった。
「《ーー始まる》」
リエラちゃんねるの頼れる相棒であり、新生リエラ魔王軍の火力を一手に担う存在である。
「凍てつく廻廊、有象無象の群れを掻き」
普段は詠唱短縮と無音詠唱を使い、"俺"と話しながら冒険したいと言っていた彼女が、
「嘆く聖者が」
ーー珍しく、はっきりと声に出して詠唱している。
「その枷を解けば」
彼女が短く呟く。
その声は静かだった。
けれど、空気が震えた。
「全て」
森の湿った匂いが、熱に押されて一瞬だけ薄くなる。
ミーナの杖先に灯った炎が、今までの赤ではなく、白に近い橙へ変わっていく。
「燃え、灰になる」
ミーナがさらに言葉を重ね、その声に呼応するように魔力が膨れ上がった。
私はラオンの斧を避けながら、背筋にぞくりとしたものを感じた。
これは明らかに普通の火球ではない。これまで多用してきた《フレアオーバーライド》や《フレアランス》とも全く違う異質な術式だ。
ベルナデッタが先に察した。
「リエラ様、下がります!」
「炎は泥に沈み、熱は土に還る、《泥濘の霊壁》!」
真紅の騎士は、大剣を構えたまま一歩後ろへ引き、エルーサは私に向かい魔法障壁を展開しミーナの後ろへ下がった。
ネネも、森の影からふっと現れ笑った。
「うわ、これ巻き込まれたらまずいやつだねぇ」
「へへっ、あっしは失礼しやす!」
トビーは、迷いがなかった。
自分で召喚陣を開くような勢いで、地面に浮かんだ帰還の光へ水泳の飛び込みみたいに頭から突っ込んでいった。
自分から潜れるんかい!
いざという時の逃げ足だけは超一流と言わざるを得ない。
再び「全て」と紡がれ、ミーナの詠唱が続く。圧倒的な熱量が場を支配していく。
杖先の炎が、古代文字を刻んで行く。
まるで指揮棒を使ったダンスの様に美しい軌跡を描く。
森の空気を押し広げる。
肌を焼くほどに熱い。息をするのも苦しいほどの熱気だ。
なのに、背筋が冷える。
この火は、ただ燃やすための火ではない。
戦場そのものを塗り替える火だ。
「燃え、逅になれ」
そもそもあのミーナが詠唱をしている時点で不自然なのだ。
これは今まで経験したことのない、ミーナの魔力を、すべて注ぎ込むような大技がくる。
おそらく、撃てばしばらく動けない。
外せば終わる。
とはいえ、今ここでラオンを捕食圏内まで落とすには、もうこれしかないのだ。
ラオンも気づいた。
《ベルセルク》に落ちていても、本能が危険を察したのだろう。
赤黒い闘気をまとったまま、彼は私を押し退け、ミーナへ向かおうとする。
「行かせないわよ!」
私は叫び、真正面からラオンへ飛び込んだ。
誘惑を発動し、咄嗟に骨盾を出して壁を作るが、紙切れのように砕かれる。すかさず尻尾を足元へ絡めようとしても、力任せに振り払われてしまった。
私はラオンの腕にしがみつき、気術の残り火を身体へ流し込んだ。
急速に私のHPが削れていく。しかし、今はそんなことを気にしている余裕はない。絶対にここで食い止めてみせる。
ミーナの詠唱が終わるまで、ほんの数秒。
その数秒が、永遠みたいに長い。
「其の未来を終焉へ」
ミーナの声が、戦場の中心に落ちた。
炎が槍でも球でもなく、渦になって広がる。
森全体を飲み込むのではなく、ラオンを中心に指定された範囲だけを焼き尽くす、極めて危険で、極めて繊細な火。
ミーナの目は、まっすぐラオンを見ていた。
私はその瞬間、ラオンの腕から離れ、尻尾で地面を叩いて横へ跳んだ。
「ミーナ! お願い!」
私は叫ぶ。
「焼き尽くせ!」
同時に、ミーナの声が響いた。
「《インフェルノ》」
火が落ちた。
いや、噴き上がったのかもしれない。
どちらかわからない。
ラオンの足元から巨大な炎が立ち上がり、上から叩きつけるような熱が重なり、赤黒い《ベルセルク》の闘気ごと彼を包み込んだ。
音が完全に消え去る。聴覚が奪われたような錯覚に陥った。
次に、爆ぜるような轟音が森を揺らした。
木々は焼き払われない。
フィールド補正なのか、ミーナの制御なのか、炎は必要な範囲だけを正確に焼いている。
対照的に、その中心にいるラオンには全く逃げ場がなかった。
「ぐ、がああああああああああっ!」
ラオンの咆哮が、炎の中で歪む。
恐ろしい勢いでラオンのHPバーが削れていく。見る間に体力が奪われ、ついに危険水域である赤へ沈み込んだ。
「あ……か……が……っ!?」
視界に「捕食可能」のサインが点灯した。その決定的な表示を見た瞬間、私の胸の奥で何かが弾け飛んだ。
待っていた。
長いことこの瞬間を渇望していた。
ずっと、待っていた。
最後に食べると決めた獲物が、ようやくテーブルに乗った。
「裸ライオン」
私は炎の余熱の中へ踏み込む。
エルーサの祈りが背中を支え、ベルナデッタが横で斧の残撃に備え、ネネがいつでも短剣を投げられる位置で構える。
ミーナは杖を下ろし、荒い息を吐きながら、それでも私を見ていた。
私はラオンの前に立つ。
彼はまだ倒れてはいない。限界の赤ゲージを迎え、焦げた闘気をまといながらも、その手にはしっかりと斧を握りしめている。
最後まで決して折れることのない、強靭な獣の目をしていた。
たまらなく最高だ。これ以上はないというほど、私の食欲を激しく刺激してやまない。
「いただきます❤︎」
尻尾が花開いた。
黒い花弁のような尾が、ラオンを包み込む。
エクストラスキル《捕食》。
光と影が、裸の獅子を飲み込んでいく。
その瞬間、経験値が滝のように流れ込んできた。
飲み込んだのはラオンそのものだ。レベル133という圧倒的な高みである。
そこにデスペナルティの倍率と、理不尽なまでのレベルギャップが乗算される。
それに加えて、彼が抱いていた生々しい感情の一部までもが流れ込んできた。
戦いへの飢え。勝利への執着。
格下を踏みにじってきた高揚。
強者として君臨してきた自負。
仲間と暴れてきた荒々しい楽しさ。
追い詰められ、それでも最後に吠えた意地。
それらが全部、甘美な味となって、脳に直接流れ込んでくる。
「あ……はっ」
思わず熱い息が漏れた。立っていられないほどの熱が、全身を激しく駆け巡る。
涎が自然と溢れ、視界が滲み、膝が震える。
とてつもなく甘い。ただただ、脳がとろけるほどに甘美な味わいだ。
弱者をいたぶる強者と戦う、彼の戦いのひとつひとつが、極上の砂糖菓子のように甘く濃く、濃密な味を俺へ送ってくる。
勝った記憶。
奪った記憶。
笑った記憶。
吠えた記憶。
さらに最後に味わったのは、自分が奪われる側へ回った瞬間の、胸が焼けるような悔しさだ。
その苦さまで混ざって、味はさらに深くなる。
「ヤバい……ヤバい……っ」
快感に声が震える。笑っているのか、息をしているのか、自分でもわからない。
体の奥で、何かが激しく跳ねる。爆発的な成長のサインだ。器の拡張と連続するレベルアップが止まらない。
システムログが流れているはずなのに、文字を読む余裕がない。
ただ、流れ込んでくるものが大きすぎて、甘すぎて、濃すぎて、私は必死に意識を繋ぎ止めるしかなかった。
「ひ……うふ、うふふふふっ……」
堪えきれずに笑い声が漏れてしまう。
《V◾︎感度◾︎◾︎限◾︎突破、魔核リンク完了》
溢れ出す快感を止めることはできない。
とはいえ、完全に飲まれて理性を失うことだけは免れた。
理由としては……
頼れる参謀、そして戦場を共に駆けた炎将軍であるカトリーヌの声……? いや違う、ミーナの声が遠くで聞こえたからだ。
「リエラさん」
その声は疲れ切っていた。
けれど、確かに私を呼んでいた。
私はゆっくり顔を上げる。
ラオンの姿は、もうない。
捕食は完了している。
赤黒い闘気も消え、森に残るのは《インフェルノ》の余熱と、戦争の終わりを告げる静けさだけ。
間もなく、無機質なシステムメッセージが頭内に響き渡った。
――ネイキッドラオン所属プレイヤー、戦闘不能。
一拍の空白が落ちる。戦闘の余韻だけを残し、森は完全な静寂に包まれた。
次の瞬間、勝利通知が視界いっぱいに表示された。
【ネイキッドラオンの全滅を確認】
【新生リエラ魔王軍の勝利です】
私たちはついに勝ったのだ。
あの狂犬のような対人クランに、本当に勝ってしまったのである。
私はまだ笑いながら、震える膝で立っていた。
尻尾は満足したようにゆっくり揺れ、胸の奥にはラオンの味が残っている。
飛び切り濃くて、危険で、甘い勝利の味。
新生リエラ魔王軍の初陣は、こうして終わった。
激戦を終えた私の頭には、ふとある考えが浮かんできた。
この勝ち方は、絶対に配信でとんでもないことになる。
……いや、今まさに配信されているんだった。
これはどう考えてもまずい。今後の反響を想像すると、本当にまずい事態だ。とはいえ、今はそんな考えもどこかへ吹き飛んでいた。
「勝っちゃった……」
私は、ミーナとネネと、ベルナデッタとエルーサの顔を見て、もう一度笑った。
「勝っちゃったわね、私たち」
その声は、まだ少し熱に浮かされていたけれど、確かに"私"の声だった。




