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金髪美少女になっていたんだが!?

 突然、日常というものは何の前触れもなく裏返ることがあるのだと、まるで青天の霹靂とか、予期せぬ何かがある日いきなり自分の身に降りかかるのだと、そんな言葉をどこか他人事のように聞き流していた昨日までの自分を、今この瞬間の俺は半ば呆れ、半ば皮肉に笑いながら思い出していた。


 実際にそれを体験している当事者の感覚としてはロマンも比喩も一切なく、ただただ「勘弁してくれ」という現実的で切実な感情だった。


 ーーつまり、目が覚めた瞬間、俺は悟った。

 ――あ、これ、終わったやつだ。


 いや違う、人生が終わったとかそういう壮大な話じゃない。もっとこう、日常の隙間に突然ねじ込まれるタイプの、どうしようもない“詰み”だ。たとえば、寝坊して飛び起きた瞬間に「今日が大事なプレゼン日」だと思い出すあの感じ。あるいは、電車の中でイヤホンが外れて爆音の音漏れを全車両に公開してしまったあの瞬間。あれに近い。近いが――スケールが違う。

 なにせ今回は、起きた瞬間から世界が違う。

 まず、天井がやけに遠い気がした。見慣れた自室のはずなのに、妙にスッキリして見える。視界の解像度が上がったというか、色が鮮やかになったというか。寝ぼけているのかと思って瞬きを繰り返すが、ぼやける気配は一切ない。

 次に違和感を覚えたのは、首元だった。

 なにかが触れている。柔らかくて、さらさらしたものが、肩から胸元にかけて広がっている。布じゃない。髪だ。……髪?


「……いや、長くね?」


 声に出した瞬間、自分で自分の声に驚いた。


「ひえッ!?」


 軽い。高い。やけに通る。耳に入ってくる響きが、昨日までのそれとまるで違う。営業先で「もう少し声にハリを出して」と言われ続けたあのくたびれボイスはどこへ行った。

 恐る恐る手を動かし、首元に触れている“それ”を掴む。

 指の間を、絹みたいな感触がすり抜けた。なめらかで、冷たくて、そして――長い。引き寄せると、するりと流れて、視界の前に金色が広がる。


 プラチナブロンド。

 俺の人生に一ミリも関係なかった単語が、脳内で自然に再生された。


 「……は?」


 思考が追いつかない。いや、追いつく気がない。現実を拒否している。だが身体は正直だ。勝手に起き上がり、勝手に周囲を見回し、勝手に確認作業を進めてしまう。


 そして――決定打。

 胸元に、明らかに“ある”。

 いや、あるとかいうレベルじゃない。存在感がデカい……物理的に、重い。

 視界に入る。というか、動くたびに揺れる。そして重い、二度言った。


「……いやいやいやいやいやいや?」


 思わず両手で押さえる。柔らかい。弾力がある。現実だ。夢じゃない。なんなら感触がリアルすぎて夢だったらむしろ困る。

 終わった。

 完全に終わった。


「俺の人生、どこでフラグ立てた?」


 問いかけても、当然返事はない。天井は相変わらず無機質に白いままだし、時計の秒針は容赦なくカチカチと音を刻んでいる。やけにその音がクリアに聞こえるのは、耳まで性能が上がってるせいか。いらん進化だ。

 とりあえず現実確認だ。営業マンとして鍛え上げられた“最悪の状況でも冷静に対処するスキル”を総動員する。

 俺はベッドから転げ落ちるように立ち上がり、姿見の前へ向かう。

 そして――


「………………背ぇ、ちっさ……胸、デッカ……誰?」


 鏡の中には、知らない美少女がいた。

 橙に近い淡い瞳。整いすぎた顔立ち。細い首筋。肩に流れる長い髪は、光を受けてきらきらと反射している。肌はやけに白くて、きめ細かい。どう考えても俺じゃない。俺の遺伝子、こんな奇跡起こせるポテンシャルなかったぞ。

 何より――


「……」


 ふにゅ、ぷにっ。視線が吸い寄せられる。さっきから気づいていたが、改めて冷静に見ると異様だ。布越しでも分かる立体感。主張の強さ。重力に対する反抗心のなさ。これ絶対、普通サイズじゃない。


「……普通をそもそもあんま知らんけど」


 自分で突っ込んで、自分で虚しくなる。比較対象がないんだから分かるわけがない。ただ一つ言えるのは、これで営業回ったら確実に話聞いてもらえるな、ってことくらいだ。いや、逆に話にならんかもしれん。なんの話してるんだ俺は。

 ベッドに腰を落とすと、柔らかい感触と一緒に、自分の身体の重さがいつもと違うバランスで沈み込んだ。重心が違う。姿勢を保つだけで妙に意識を使う。胸元が、こう、前に引っ張る。なるほど、これは大変だ。世の女性すげえな。


「……はぁ」


 ため息が、やけに可愛らしい音で出た。どこか他人事のようだ。

 状況は理解不能。意味も分からないし、説明もつかない。昨日まで社畜だった営業マン小田山健二20代後半男性は、要するに10代の女の子にしか見えない姿になっていた。戻る保証もない。普通ならパニックになってもおかしくない。


 だが――


「……今日から有給なんだよな」


 ぽつりと呟いた言葉が、やけに現実的で、そして妙に安心感をくれた。

 そうだ。今日から有給だ。

 血尿が滲むレベルのノルマをこなし、上司に頭を下げ、同僚に根回しし、ようやく勝ち取った貴重な休み。その初日だ。

 そんな日に女の子になってました。

 ……いや意味分からんが、逆に言えば会社に行かなくていい。誰にも説明しなくていい。つまり、この意味不明な状況を、好きに扱っても余りある時間が存在するということだ。


「……で?」


 じゃあ、どうする。

 女の子になった原因を探る? 病院に行く? 役所に相談する? いや無理だろ。なんて説明するんだ。「起きたら何カップかわからない美少女になっていたので相談に来ました」って? 即カウンセリング案件だろ。

 なら――


「ゲームしよ」


 結論、早かった。

 何のための有給なんだ、改めて思い出せ。むしろこの状況でゲームやらない選択肢ある? ないだろ。ないよな? 俺はないと思う。

 視線を部屋の隅に向ける。


 そこにあるのは、黒光りする未来。

 次世代型VRゴーグル、《ネクサス・ギア》。

 サービスインから一年。話題だけはずっと追っていたが、仕事に潰されてほとんど触れなかった、俺の“逃避先”。いや、違う。“夢”だ。


 ただ没頭してゲームすることを夢見て、仕事してきたんだ。非常食だってものすごく買い込んである。1週間は籠城できるんだ。

 1年前に抱いた、憧れを、夢を、今なら全力で見られる。


「よし、やるか」


 ぽつりと呟いて、少し笑ってしまった。

 我ながら切り替えの早い、というか思考を隅に追いやるのが早い。上司に怒られた時、ヘコヘコと頭を下げながら、晩御飯のことを考えているそんな思考に近い。


「よっこら、せ」


 前屈みになりながら、立ち上がると、重心がずれながらも、長い髪がふわりと揺れた。まだ慣れない感触だが、

不思議と嫌じゃない。むしろ、どこか現実感が薄れて、これから始まる“何か”への前振りみたいに感じる。

 ネクサス・ギアを手に取る。

 ひんやりとした質感。金属と樹脂の境目が指に伝わる。ずっしりとした重みが、逆に安心感をくれる。これだけは、昨日までの俺と同じだ。

 ベッドに座り、ゆっくりとそれを頭に装着する。

 視界が暗く閉ざされる直前、胸元の違和感がもう一度意識に上がった。


「……さーて、ゲームだゲーム!」


 有給だし、どうせなら楽しもう。

 誰に言うでもなく呟いて、目を閉じる。

 意識が、ゆっくりと沈んでいく。

 音が遠ざかり、感覚がほどけていく中で、最後に浮かんだのは、ほんの少しの期待だった。


 ――ダイブスタート!


 軽やかに高い声が、ゲームの中と、現実でクロスする。


書き溜めた分をまとめて投稿しますので少し量が多くなります。

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