【猫耳少女とエルフ少女を拾ったから、 兵の詰所横で深夜食堂をしてみた】
全面的に自己責任でお願いします。
長いです。
目を覚ました瞬間、鱒沢長治郎は自分の異変を悟った。
まず、息が楽だった。
胸の奥に長年居座っていた、あの鈍い重さがない。
次に気づいたのは、体の軽さだ。
――若い。
起き上がろうとしただけで、反射的に身体が動く。
理屈より先に、肌が理解した。
その場に立っているのは、もう老人ではない。
鏡などなくても分かるほど、体の感覚が違った。
関節の引っかかりはなく、腰に重さもない。
呼吸は深く、心臓は力強く脈打っている。
だが、それだけではなかった。
近くに置かれていた水桶を覗き込む。
水面に映った顔を見て、小さく息を呑んだ。
若い。
驚くほど若い。
皺のない頬。
引き締まった顎の線。
老人特有の濁りがない、澄んだ目。
――十八歳前後。
視界がやけに低い理由も、すぐに分かった。
石畳が近く、空が広い。
倒れていたのは、街の路地裏だった。
表通りから一本外れた、建物に挟まれた細い通路。
朝の光が、まだ弱く差し込んでいる。
――早朝、か。
空気は冷たく、街はまだ目覚めきっていない。
商いの声も、足音もない。
この時間帯なら、人影がないのも不思議ではなかった。
周囲を見回す。
人はいない。
近くの建物はすべて戸が閉じられ、静まり返っている。
ただ、生活の匂いだけが残っていた。
昨夜まで人がいた痕跡。
だが、今は誰もいない。
「……運が良かったな」
こんな場所で倒れていて、
無事でいられたのは、時間帯のおかげだろう。
そう判断してから、ゆっくりと身体を起こした。
伸ばした腕は、驚くほど細く、引き締まっている。
手を見た瞬間、息を呑んだ。
皺だらけだったはずの手は、滑らかで血色がいい。
長年の火傷跡も、包丁だこの硬さもない。
力を込めると、筋肉が素直に応えた。
「……はは」
乾いた笑いが、自然と漏れる。
「こりゃ、やり直しってやつか」
六十年分の記憶は、はっきりと残っていた。
屋台の匂い。
異国の市場の喧噪。
鍋を振るう感触。
言葉の通じない土地で、料理一つで笑顔が生まれた瞬間。
最後に覚えているのは、どこか暖かな夜だった。
見知らぬ街の路地裏。
簡素な屋台で料理を振る舞い、常連たちと笑っていた。
(……まだ、知らない味がある)
それが、あの人生で最後に思ったことだった。
そして今。
目を開けた先には、見慣れない石造りの街並みが広がっている。
料理人として世界を渡り歩いてきた経験が、静かに告げていた。
老いも、若さも、働き盛りも。
人を何千人と見てきた。
この体は、間違いなく青年のそれだ。
そう理解した瞬間、胸の奥が落ち着いた。
だが、胸の奥にあるものだけは変わらない。
(……料理、続けられるな)
それだけで、十分だった。
◆
状況確認は早かった。
最初に向かったのは、商人ギルドだ。
屋台を出すには、まず身分が要る。
石造りの建物に入ると、受付に座る女性が顔を上げた。
「新規登録ですね?」
「ああ。商人登録を」
書類を書き終え、受付が内容を確認する。
(文字は書けた。看板も読める)
「では、登録手数料として銀貨三枚になります」
サワは一瞬だけ眉を動かし、首を振った。
「現金はない。持ち物の売却で充当できるか?」
受付は慣れた様子で頷いた。
「可能です。鑑定台へどうぞ」
鑑定台へ案内されたサワは、肩掛け袋から荷物を降ろし、身につけていた物を順に置いていく。
異国風の上着。
丁寧に縫われただが、見慣れない意匠のシャツ。
革の靴。
旅支度用の腰袋。
金属製の小物。
受付と鑑定士は黙々と確認する。
だが、そこで受付がひとつ首を傾げた。
「服、全部売るおつもりですか?」
「問題あるか?」
「いえ……着る物がなくなりますので」
サワはそこで初めて気づいた。
常識で考えれば当然だ。
受付は棚を開き、包みを取り出す。
「中古の衣類を扱っています。
質は選べませんが、最低限の物はご用意できます」
包みを開くと、質素だが丈夫そうなシャツとズボンが二組入っていた。
「売却額から差し引く形でよろしければ」
「助かる」
サワは苦笑いで頷き、異国の服を台に残し、ギルド支給の衣服を受け取る。
その場で上着だけを羽織り替えると、鑑定士が包丁に視線を落とした。
「こちらも――」
刃に手が触れる寸前、サワは静かに言った。
「それは売らない」
言葉は短いが、迷いはなかった。
鑑定士は一瞬驚いた顔をし、次に刃を見て納得したように頷く。
「……なるほど、料理人の刃ですね。失礼しました」
包丁は、そのままサワの腰へ戻された。
残りの品だけが鑑定に回される。
「代わりに。」
腰袋の奥から、もう一つの品を取り出す。
大きな金属製の時計。
海外に行ったときに買った懐中時計だ。
掌に乗せると、ずっしりとした重みがある。
鑑定係の男が、それを見た瞬間
――言葉を失った。
「……少々、お待ちを」
男は時計を手に取らず、距離を保ったまま、別の鑑定係を呼ぶ。
さらに一人、また一人。
小さな卓の周りに、無言の輪ができた。
誰も、安易に触ろうとしない。
「……魔導品、ではありませんね」
「だが、構造が……」
「歯車の精度が異常だ」
低い声で交わされる会話。 慎重で、
そして――明らかに警戒している。
しばらくして、最初の男が静かに告げた。
「こちらの品ですが、当ギルドでは、即時買取ができません」
サワは、静かに頷いた。
「理由は?」
「価値が高すぎます」
「正確には――扱える立場の者が、ここにはいない」
男は言葉を選びながら続ける。
「王都預かり、もしくは貴族仲介、献上品、あるいは一点物の工芸品として扱われる類です」
その場に、微かな緊張が走った。
「……金額は?」
「正式査定なら、大金貨複数枚」 「最低でも……二枚は下りません」
サワは、それ以上聞かなかった。
「それは、保留で」
「今回は、他の物だけでいい」
鑑定係たちは、安堵と同時に、どこか惜しむような視線を向けた。
「承知しました」
時計は、何事もなかったかのように、腰袋へ戻される。
続いて、残りの品の査定が進んだ。
異国の衣服は、高品質として評価された。
革靴も、旅装備としては上物。 金属小物も、素材価値がある。
計算が終わり、男が告げる。
「合計で、金貨二十五枚」
「ここから、登録料と衣服代を差し引きます」
数枚の金貨が抜かれ、代わりに、この街の一般的な服が差し出された。
中古だが、丈夫で、目立たない。
「最終的に――金貨二十枚、銀貨数枚が残ります」
十分だ。 屋台を始めるには、問題ない。
サワは金貨を受け取り、軽く息を吐いた。
「助かった」
「……いえ」
鑑定係は、少しだけ表情を引き締める。
「先ほどの品」
「売る時は、必ず正式な場で」
「ああ。分かってる」
サワは立ち上がり、部屋を後にした。
登録作業は、まだ終わってない。
「では確認のため、ステータスをオープンしてください」
「……ステータス?」
「年齢、職業の確認です。この街では登録時の義務ですので」
なるほど、と納得する。
この世界では、それが常識なのだろう。
(……ステータス、オープン)
半透明の板が、視界に浮かび上がった。
【ステータス】
名前:サワ
年齢:18
種族:人族
職業:料理人
スキル:
・料理人の極致
・異界通販
・食材適正最大化
(……はっきり出るのか)
「十八歳……?」
「ええ……そうです……」
「料理人……」
「問題ありません。職業として正式に認められます」
「スキルは、こちらでは見られませんから、ご安心ください」
受付が登録証を差し出す。
「これで、商人ギルド登録、完了です」
サワはカードを受け取り、軽く頷いた。
(まずは、これで十分だこれで――料理が作れる。)
十八歳の青年、料理人サワ。
深夜食堂を始めるための、最初の一歩だった。
商人ギルドを出ると、サワは人通りの少ない路地へと入った。
昼に近づくにつれ、街は賑わい始めている。
スキルを使うなら、今はまずい。
建物の影に入り、背後を確認する。
人の気配はない。
「……通販、だな」
意識を向けると、視界に商品一覧が浮かび上がる。
肉、野菜、香辛料、調理器具。
見覚えのあるものも、未知のものも混ざっている。
鍋。
まな板。
調味料。
食材。
最低限、今日、料理を作るために必要なものだけを選ぶ。
(包丁は、ある。)
購入が確定した瞬間、足元に布包みが現れた。
(便利すぎるな……)
だが、これを人前で使うつもりはない。
それだけは、最初から決めていた。
「料理人に与えるチートとしては、上出来できだ。」
屋台は、ギルド斡旋の貸し出し。 保証金を払えば、すぐに使える。
金はある。
場所は、決めてる。
路地裏の影。
微かな気配が二つ。
猫耳を持つ獣人の少女と、細身のエルフの少女が、身を寄せ合っている。
目は虚ろで、立つ力も残っていない。
空腹だ。
それも、かなり。
「……腹、減ってるだろ」
二人は警戒したが、サワは包丁を見せなかった。
代わりに、鍋を出す。
通販画面から最低限の材料を購入し、その場で簡単なスープを作った。 湯気と香りが、路地裏に広がる。
少女たちは椀を受け取り、一口飲む。
「……あ」 「……おいしい……」
その声を聞いた瞬間、決まった。
(――連れていく)
理由は理屈じゃない。 料理人として、当たり前の判断だった。
夜、大門近くの兵の詰所。
サワは声をかけた。
「夜番の兵に、飯を出したいんだ、屋台を出していいか?」
詰所の兵士は一瞬怪訝な顔をしたが、屋台と鍋を見ると態度を変えた。
「……料理人か?」
サワは頷くだけ。
責任者が呼ばれ、話が早く進む。
「条件付きだ」
「詰所の前でやること」
「兵を優先すること」
「問題を起こさないこと」
「構わない」
使われていなかった簡易かまどを貸し出された。
金のやり取りはない。
代わりに、信頼と責任が渡された。
(借りを作る方が、楽だ)
サワはそう判断した。
大門近く、兵の詰所の横。
サワは屋台を据え、火を入れた。
通行量があり、夜番の兵士が必ず立ち寄る場所だ。
最初の客は、訝しげな顔をした兵士だった。
「こんな時間に屋台?」
「夜勤は腹が減るだろ」
料理を出す。
香りが立ち、次々と人が集まった。
通販チートで揃えた肉と香辛料。
だが、頼っているのはそれだけじゃない。
火加減。
間の取り方。
客の表情を見る癖。
「……うまい」
「なんだこれ、夜番の飯じゃねえ」
噂は一晩で広がった。
◆
数日後。
屋台の前には、兵士だけでなく冒険者や商人まで並ぶようになった。 猫耳少女とエルフ少女は、自然と手伝いを始めている。
そんなある夜、詰所の責任者が口を開いた。
「ここ、正式に使え」
「夜番の士気が上がった」
さらに、空き倉庫の話まで出る。
「詰所の横だ。使ってない」 「店にする気があるなら、話は早い」
サワは少しだけ考え――頷いた。
「やらせてもらう」
◆
簡素だが、屋根がある。 壁があり、火を守れる。
深夜食堂は、屋台から店になった。
少女たちの居場所も、ここにできた。 無理に縛らない。ただ、飯があって、笑顔がある場所。
◆
夜。 店の灯りを落とし、椅子に腰掛ける。
サワは湯気の残る鍋を見つめ、静かに笑った。
「さて……」
この世界で、料理を作る。 人を笑顔にする。
「明日は、誰が来てくれるかな」
深夜食堂は、こうして静かに始まった。
読み終わってのクレームは、お止めください。
自己責任です。




