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名も無き父娘物語

作者: 外天ハク

ある家族の物語。有りそうで無さそう。無さそうで有りそう。そんなお話。

母の3月28日19時30分

 夫と私の間には1人の娘がいる。今は社会人となり

家を出て一人で暮らしているが、娘が家で過ごした時

間は決して全てが全て幸せなものでは無かった。

 特に思春期は女の子特有の父親嫌いレベルが激しく

幾度と夫相手に悪口を叩き、時には夫の手が出る事も

あった。

 同性として母親の私も出来る事は何でもした。その

アドバイスを娘は時に聞き、時に煩いと一言で片付け

る事も多々あった。

 夫は娘との付き合いに悩み格闘したながらも彼女の

幸せを願い二十歳を迎えた娘のハレの門出を祝う、言

ってみれば当たり前だが決して簡単では無い娘育てを

全うしたのである。

 そんな夫があと3日で定年を迎える。定年は2度と

訪れないチャンスだ。夫と娘の関係を修復する最後の

チャンスだ。私はある計画を立てた。定年当日の朝に

娘と二人で夫を見送ろうと。家族の為に長い間頑張っ

てきてくれた夫、父親への感謝の印に。時間が無いし

出来る事も限られている、しかし肝心なのは娘の心に

ある。長い間対立し、ぶつかった父親への感謝の心が

育まれているか。私達夫婦は多少勉強ができなくても

人としての心が育てば親の役目を果たせと思えるから。


娘の3月28日21時48分

 私は仕事を終えクタクタになりながら部屋鍵を開け

た。郵便物をテーブルに起きスマホをポケットから取

り出した時だった。フと目に飛び込む自宅電話の留守

電ランプが点灯していた。珍しいなとボタンを押す。

「元気にしてますか」母からだった。

「あなたが家を出て3年になりますね。何ま泣き言を

言ってこないところを見ると、頑張ってる様で父さん

も母さんも安心しています。」

 父さん、その一言に私は硬直を覚えた。結局思春期

から家を出る日まで父親と仲直り出来なかったからだ。

気不味いまま家を後しにたあの日を昨日の様に覚えて

いる。反面、私が家を出る時の父親の顔が思い出せな

い、笑顔で涙ぐんで送り出してくれた母親。側に居た

父は?。笑顔だった?無表情だった?そっぽ向いてた?

その記憶だけが綺麗に消えていた。それ程に私は父親

を避けていたのだと今にして思う。

「それでね」母からの伝言は続いていた

「父さんあと3日で定年なの。急でしょ、プレゼント

も何もいらないから最後の日に一緒に見送って欲しい

の。それだけ伝えたかったの。」そこで留守電は切れ

ていた。来れるか聞かなかったのは母なりのメッセー

ジ、来るも来ないもお前次第という母なりの無言のメ

ッセージ。残り2日で私は決めなければならない。


母の3月30日22時5分

 留守電にメッセージを残してから2日、娘からは連

絡は無い。あの子なりに悩んでるのかも知れない、普

通なら無理にでも連れて来るべき所だがそれでは何の

解決にならない。娘はもう大人なのだから。私は、我

慢した。明日、夫は定年を迎える。


娘の3月31日0時8分

 ついに父の定年当日になってしまった。通常この時

間私は、暖かい布団の中で眠りに就いてる筈なのに。

よりによって残業という鎖で会社に縛り付けられてい

た。


母の3月31日5時35分

 いつもと同じ朝。でもいつもと違う朝。夫は、私の

始める洗濯機の音で起きてくる。

「おはよう。」いつもと変わらない夫の挨拶

「おはよう。すぐ食事にしますから。」定年の朝がい

よいよ始まった。

 新聞を広げ指定席でくつろぐ夫に、務め最終日とい

った気負いは感じられない。 

 ありがとう。本当に長い間お勤めご苦労さまでした。

心の中での感謝は止まらない。最後となる弁当を積め

る手は震え涙が溢れた。


娘の3月31日6時34分

 私は疲労困憊の身体に鞭を打ってタクシーに揺られ

ていた。悩み悩んだ末に父を見送りたいと思えたから。

定年は一度切り、これを逃したら父と仲直りするタイ

ミングが永遠に訪れないかもと恐怖も感じたから。

 結局私は徹夜で勤務を終えデスクで眠りこけてしま

っていた。早朝出勤してきた同僚に起こされ時計に目

をやると、会社をでるタイムリミットぎりぎりで慌て

て階段を駆け下り、通りでタクシーを拾ったのである。

 私の記憶が正しければ父は6時45分には家を出てし

まう。退職当日は身の回りの整理の為にもしかしたら

いつもより早目に出勤してるかも知れない。具合が悪 

く今日に限ってタクシーを呼び出勤してしまっるかも

知れない。そんな不安も感じたがそれならそれで母親

から連絡がある筈だ。しかし私のスマホは早朝の沈黙

を守っている。 

 家の近くでタクシーを降りた。初給与で買った腕時

計は6時43分を指していた。ドキドキしてきた。こん

なにドキドキしたの何時ぶりだろうと考え歩いてた時

だった

「行ってきます」聞き覚えのある声に驚いた。突然現

れた父の横姿に仰天し思わずひとつ前の角を曲がって

隠れてしまった。近付く父の足音に緊張し、しゃがみ

込む。通り過ぎ安心した私に心の中のもう一人の私が

声を上げる

「何してんのよ!何しに来たのよ!言わなくて良いの?

本当に良いの?後悔するわよ絶対に!」

「分かってる!分かってるのよ!」私は、決心した。

後ろから言うだけでも良いじゃない、もしも父に聞

こえ無かったとしても私は後悔なんて・・角から覗

き見た父の後ろ姿に目を疑った。これが私の父?、

幼い私を沢山おんぶしてくれたあの父の大きな背中

は何処にも無かった。心の中に色濃く残ってた私が

小さい時の父とのギャップに私は震えた。

 同時に徹夜した身体が悲鳴をあげてる事にも気が

付いた。私はたった1日の徹夜の疲れしか知らない。

なのに父は私が小さかったあの頃からずっとこの道

を歩き会社へ出勤してたのだと。喧嘩ばかりしてた

私を育てる為に長い間この道を・・・ボロボロと涙

が溢れ出していた。父への申し訳無さと自分の愚か

さに。

 掠れた声で父へ声を掛けた。それは、いってらっ

しゃいでは無かった。

「と・・・父さん・・」私の小さな声を父は聴き逃

さなかった。そっと振り返った父は泣きべそをかい

てる私に少し驚いた顔をみせた。言わなきゃ、今こ

そ言わなきゃ。

「いって・・・い・いってらっしゃい」みっともな

く大べそをかいてる私に父は優しく微笑んで見せた。

!瞬間思い出した。家を出る私を見送る父の顔を。

微笑んでた、父は私を快く送り出してくれていた!

父の変わらない愛情に今更気が付くなんて・・・

溢れゆく涙は、父へのお詫びとありがとうの他に

無かった。

「行ってきます。」そう言って振り返った父は、

朝日の中へ溶け込んで行く。私は、その後ろ姿

を何時までも見守っていた。

21年前に主宰するサークルで発行してた会報に載せた短編です。副編集長を務めてた実兄が泣いたと言ってくれた最初にして最後のお気に入りの短編です。

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