純文学症候群
真治が「純文学症候群」と診断されたのは、梅雨の湿気が肌にまとわりつく、じめっとした火曜日の午後だった。
「これは非常に稀なケースです。症状としては、世界が純文学的に見えるようになります」
医師は白衣をまとったまま、真治の目の奥を覗き込むようにして言った。真治はただぼんやりと、窓の外に広がる灰色の空を眺めていた。この空が、今朝から「鉛色の絶望」としか見えなくなってしまった。
それは、朝の通勤電車から始まった。満員電車で隣に立つ男の顔が、どうにも「人生に敗北した男の、諦念に満ちた横顔」にしか見えない。吊り革に掴まる真治の手は、「未来への希望を掴み損ねた、無力な指先」としか形容できなかった。
街に出れば、全てのものが純文学のメタファーと化していく。コンビニで売られているペットボトルは「消費社会の象徴」であり、そこに並ぶおにぎりは「孤独な魂を慰めるための、一時的な安らぎ」。すれ違う人々は皆、「それぞれの過去を背負い、静かに沈黙する群衆」に見えた。
真治は苦しんだ。愛する恋人、由美の笑顔すら、「儚い幸福の一瞬」としか捉えられなくなった。由美が淹れてくれたコーヒーの香りは「失われた日々の記憶」を呼び覚まし、その温かさは「やがて冷めてしまう、一過性の感情」を真治に突きつけた。
「真治くん、最近、変だよ?」
由美が心配そうに尋ねる。真治は答えられない。本当のことを言えば、彼女は笑うか、それとも怯えるだろう。自分が、世界を純文学のフィルターを通してしか見ることができない病気にかかったと。
しかし、ある日、転機が訪れる。
由美と歩いていた公園で、小学生たちが泥まみれになってサッカーをしていた。真治の目には、その光景が「人生の無常を体現する、無邪気な子供たちの戯れ」と映った。泥にまみれたボールは「現実の重み」を象徴し、子供たちの笑い声は「やがて消えゆく、取るに足らない歓喜の音」としか聞こえない。
その時、由美が真治の腕を掴んだ。
「真治くん、見て!あの子、すごいドリブル!」
由美の瞳は輝き、その顔には心からの喜びが満ちていた。真治は由美の顔をじっと見つめる。その瞳の中に、悲劇も、絶望も、無常もなかった。ただ純粋な、今この瞬間の「楽しさ」だけがあった。
その瞬間、真治は気づいた。自分が病気なのは、世界が純文学に見えるからではない。世界に純文学を見出そうとし、その解釈に囚われていたからだ。由美は、ただ純粋に、目の前の光景をありのままに楽しんでいる。
真治は由美の手を握り返し、ゆっくりと微笑んだ。彼の脳裏をよぎる言葉は、「世界は単なる、世界でしかない」というシンプルな真理だった。
病気が治ったわけではない。しかし、真治は、純文学的な解釈の海に溺れるのではなく、その上で、由美と共に、ただ生きていくことを選んだ。鉛色の空の下で、彼は由美の温かい手を感じながら、静かに息を吸い込んだ。その空気は、単なる空気でしかなかった。それだけで、十分だった。




