第71話 信頼の合金"信用創造エレクトラム"〜信用精錬中〜④
クル・ノワ地区留置所――。
湿った空気と金属の匂いが、朝の光を鈍く反射していた。
鉄格子の向こうで新聞をたたむ音。
看守のガスが、にやにやしながら言った。
「おい、ルオぉ。こないだの炎上騒ぎ、まだ新聞に載ってるぞ。
やりすぎじゃねぇのか? “秘密結社《匠の鎖》の陰謀”だってよ。」
ルオは檻の中であくびをしながら笑った。
「なんだよその陰謀論。低俗な新聞読みすぎだろ。
炎上マーケティングっていうか……“アネクドート・マーケティング”。
まあ、話題になっただけ上出来だよ。」
「また適当なこと言いやがって。
……それよりお前、表面の裸のお姉ちゃんに見とれてんじゃねぇ!」
ルオは顔も上げずに返す。
「いや、それ裏面だろ?」
ガスは新聞をバンッと鉄格子に叩きつけた。
「これが表面だって言ってんだよ!!」
「しかし、今回は誰も迎えに来ねぇな。」
ガスが鍵束を弄びながら言った。
「お前も、ついに見放されたんじゃねえのか?」
ルオは椅子にもたれたまま、天井を見上げて笑った。
「んー、そろそろ来てもいい頃だと思うけどな。」
その時――廊下の向こうから声が響いた。
「ルオ、釈放だ。」
ガスが鍵を回し、扉を開ける。
ルオは立ち上がり、伸びをしながら笑う。
「お、言ったそばから。毎度ありぃ。これで俺の懐も潤うな。社会貢献ってやつだ。」
「――ゾスッッッ!!!」
勢いよくドアが開き、廊下の先から声が飛び込んでくる。
「ゾス!!お疲れ様ですッ!!ルオさん!!!お迎えにあがりました!!!」
ルオが目を丸くして笑う。
「おー!マルセルさん!その挨拶、すっかり“光の戦士”みたいだね!」
「ゾス!!自分、生まれ変わりましたんで!!ルオさんのおかげで!!」
――炎上後、《匠の銀》はオル通りに移転し、営業を再開していた。
当初は怒号とクレームの嵐だったが、
「ルオが逮捕された」と報じられると、次第に騒ぎは落ち着いていった。
匠の鎖に直接の責任はないと知れるにつれ、
やがて人の流れは逆転し――今度は、客の列が店を取り囲むようになっていた。
「ルオさーん!ほんっと最低人間っす!!
何留置所でのんびりしてるんすか!!
こっちはクレーム対応とお客さんの整理で大忙しっすよ!!」
「ゾス!!では自分、店に戻りますんで!!失礼します!!――1秒でも長く営業しなくちゃいけないので!!」
バタンッ、と勢いよく扉が閉まる。
しん……とした廊下。
静かな間が落ちた。
リシュアがぽつりと呟く。
「……マルセルさんは、人が変わったようだが――
何か、人として大事なものを失っていないか?」
「ルオさん! マルセルさん、やばいっす! 働きすぎっす!!」
シエナが慌てて言う。
ルオが顔を上げ、穏やかに笑った。
「いいことじゃないか。」
「えっ!?」
「あいつは今、“本当のワークライフバランス”を体現してるんだよ。」
ルオは紅茶をひと口飲んで続けた。
「“仕事”と“生活”を分けない。
すべてを“成長プロセス”に統合してるんだ。
つまり――“生きることが働くこと”ってやつさ。」
リシュアが眉をひそめる。
「……それ、バランス取れてないのでは?」
「いや、真のバランスってのは“片方を極めたとき”に初めて生まれるんだよ。」
ルオはまるで経営講演のように静かに語った。
「休まないことが悪じゃない。
エネルギーを循環させ続けるのが“サステナブル”ってもんさ。」
「あとこれっす!」
シエナが食い気味に言う。
「ペンをガムテープで手にくくりつけて、
“いつでも契約書が書けるようにしてる”らしいっす!」
ルオは感心したように頷く。
「それはもう、“自己最適化”の域だな。
ツールと自分を一体化させて、レスポンスロスをゼロにしてる。」
「笑い事じゃないっす! 20時までは店に立って、
それ以降は“在宅を狙って営業活動”って言って、
家の明かりがついてる家を全部回ってるっす!」
ルオは満足げに言った。
「素晴らしい。完全に“フレックスタイム制の究極形”だ。
需要が動く時間に、自分も動く。
――市場と同じリズムで生きてるんだ。」
リシュアが呆れたように呟く。
「……それをバランスと呼ぶのか?」
ルオは微笑み、窓の外を見た。
「働くことと生きることに“境界”を作るのは、もう古いんだよ。」
シエナが叫ぶ。
「いやそれ、普通に過労っすーー!!!」
「うるせえ、外でやれ!」
下の階から誰かの怒鳴り声が響いた。
リシュアが小さく息をつく。
「……で、ルオ。お前はどこまで見越してたんだ?」
ルオは肩をすくめる。
「どこまでって?」
「結果としては、店は理想のオル通りに移転した。
悪評混じりとはいえ、今じゃ繁盛してる。
――あれも全部、計算のうちだったのか?」
ルオは紅茶を一口飲み、静かに答える。
「炎上マーケティングでも、三割は正規の顧客になるという統計がある。
……ある程度の集客にはつながると思ってたよ。」
「流石っす!!」
シエナが身を乗り出す。
「事業保険入れて、火事も計算っすね!?
あたし、完全に予想外のトラブルかと思って心臓止まるかと思ったっす!!」
ルオは目を逸らして答えた
「ち、違う! そ、それは……ちょっと予定外で……その、思ったより……燃えて……」
「計算じゃなかったんすか!?」
「いや、まぁ……計算に“入ってなくも”……いや、入ってたら困るな……その、勢いで……」
シエナが机を叩いて爆笑する。
「何言ってんすかルオさん! 言葉が半分しか出てないっす!!」
リシュアが冷ややかに呟いた。
「……つまり、“想定外の成功”というわけか。」
シエナが頭を抱える。
「人の店燃やしといて成功って言い方もどうかと思うっす……」
窓の外では、クル・ノワの細い路地を風が抜けていた。
昼と夜の境目、赤錆びた煙突から白い煙が立ちのぼる。
街はいつも通り、汚れて、うごめいて、それでも回っている。
――商売は、今日も灰色のまま動いている。




