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第67話 ライダー・光と闇の社員研修〜同時進行中〜②

暗い講堂。

魔導灯の明かりが一つ、まるで審問の灯のように、円の中心を照らしていた。

三十人の受講者が、硬い椅子に腰を下ろしている。

誰も動かず、誰も息をしない。


この日、行われるのは――“光と闇の研修”の中でも最も過酷とされる課題。

名を《ディスクロージャー》。

互いの仮面を剥ぎ、心を暴く儀式。


「――隣の者の改善点を十個あげろ。」


教官の声が、静寂を切り裂いた。


その瞬間、空気がざわめいた。

「十個も……?」

小さな呟きがいくつか漏れ、すぐに飲み込まれる。


この課題で最も辛いのは――言われる方でも、怒鳴られる方でもない。

“言う側”だ。

人の欠点を探し、声に出して突きつける行為が、どれほど心を削るか。



マルセルの肩に手が置かれ、

隣の席に座る若い女性が、ゆっくりと息を吸い込む。

泣きそうな顔で、唇を震わせて――

……そして、予想外に、流暢だった。


「言い訳しかしない。」

「すぐ手を抜く。」

「自分だけ苦労してると思ってる。」

「“誠実さ”とか言って逃げようとする。」

「人の話を聞かない。」

「同じミスを何回もする。」

「それを人のせいにする。」

「気分で態度が変わる。」

「笑ってごまかす。」

「シンプルにうざい」


十個。

本来ならここで終わる。

だが、彼女の眉間にはもう迷いがなかった。


「何もできないのに偉そう。」

「謝ってるようで、反省してない。」

「女性を見下してる。」

「年下を見下してる。」

「注意したら逆ギレする。」

「空気を悪くしても気づかない。」

「全部、“俺は悪くない”って顔をする。」


声が強くなるたび、マルセルの喉がきゅっと鳴る。

息をするたび、胸が痛む。

隣の誰かが視線を逸らした。


そして、最後の一言が、

まるで刃物のように落ちた。


「……こんな人が、お父さんだったら、見てられない。」


沈黙。

時間が止まる。


“十個”というルールは、とうに消えていた。

彼女は、課題をこなしたのではない。

ただ、限界まで我慢してきた言葉を吐き出しただけだった。


マルセルは苦しそうに息を吐いた。

視界が滲む。

それが汗か涙か、もうどうでもよかった。


一方その頃

※※※


薄暗い個室。

深い紅の壁紙に、一本の蝋燭の灯りが揺れていた。

窓は厚いカーテンで覆われ、外のざわめきはすべて遮られている。

ワインの香りが、ゆっくりと空気に滲んでいた。


ルオは椅子に腰を下ろし、静かにグラスを傾けていた。

その背後に立つリシュアが、彼の肩に手を置く。


「――お前は。」


その声は、囁きにも似ていた。

けれど、ひとつひとつの言葉が、温かみを帯びている。


「嘘をつくな。」

「倫理観が終わっている。」

「平気で距離を詰めるな。」

「誰にでも、同じ声で話すな。」

「いつも余裕ぶって、こっちが焦るのを楽しんでるだろ。性格が悪い。」

「平気で人の心を動かすくせに、責任を取らない。」


ルオは何も言わない。

ただ、グラスの中でワインがゆらりと揺れた。


「……つまり、お前はずるい。」


リシュアの手が、彼の肩から離れる。

蝋燭の炎がかすかに揺らめいた。


ルオは口元に笑みを浮かべる。

「ずいぶん俺のことを見てくれてるんだな。――ありがとう。」


「そういうところがずるいというのだ!!」

リシュアが思わず声を荒げ、すぐに溜息をついた。

「……何にも反省していないな。」


彼女は椅子の背に手を置き、少し遠い目をした。

「反省してないといえば……マルセルは、どうしているのだろうな。」


※※※


夜の山道。

空には月が滲み、遠くの街灯りが霞んで見えた。

冷たい風が頬を切り、吐く息だけが白く浮かぶ。


マルセルは、ひたすら歩いていた。

豆は潰れ、足の皮は剥け、靴の中はぬるい痛みで満たされている。

ふくらはぎが攣り、筋肉の線がひとつずつねじれ、足首まで痛みが走った。

思わず立ち止まりそうになった瞬間、前を行く仲間の背中が闇に溶けていく。


置いていかれる。

それだけが怖くて、足が勝手に動いた。


足元の砂利が滑る。

息を吸うたびに喉が焼け、肺の奥で鉄の味がした。

遠くで誰かが怒鳴っている。

「止まるな!」「這ってでも進め!」


――圧倒的一番になるための研修だった。


足が攣っても、走らなければならない。

倒れた者は置いていかれる。

仲間のはずが、今は全員が敵のように見えた。


――早く終われ。

――もうゴールでいい。

――せめて、数分でいいから休ませてくれ。


足がもつれ、視界が歪む。

時計を見るたび、針はほとんど動いていない。


“1秒でも早く終わってほしい”――

その願いだけが、唯一の希望になっていた。


それでも歩く。

ただ歩く。

ひたすら、歩く。


一方その頃


※※※


店を出たルオとリシュアは、どちらから言い出すでもなく歩き出した。

約束もなく、目的もなく――それでも自然と、並んでいた。



街は21時の静けさを纏っていた。

ガス灯が並ぶ石畳には、ワイン色の光がにじみ、

ショーウィンドウの残り火が、通りを淡く照らしている。

行き交う人も少なく、世界がふたりのためだけに薄く伸びていた。


風に乗って、彼女の髪がかすかに触れる。

腕がぶつかる。

どちらからともなく、腕が絡んだ。


リシュアが、ふと足を止める。

視線の先には、ライトアップされた橋があった。

金と藍が混ざるように光を反射し、

川面には、それを反射したくさんの光を生んでいた


彼女はその橋の方へ、ゆっくりと歩き出した。

帰り道ではない。

遠回りになることを、分かっていて。


理由はない。

ただ――もう少し、このままでいたかった。

まだ、帰りたくなかった。

せめて、あと少しだけ。


視線が絡み、口元が緩む。

時計の針は、静かに、残酷に進んでいく。


“1秒でも長く、この時が続いてほしい。”


言葉はもういらなかった。

二人はただ歩く。

ゆっくりと、静かに。

ただ歩く。

まるで、時をだましているかのように。


ーー

マルセルは歩く。

足が攣り、豆が潰れ、靴の中で血の温さが広がる。

仲間の背中が遠ざかるたびに、心が削られていく。

早く終わってほしい、それだけを祈りながら。


リシュアは歩く。

ルオの手を握り、夜風の中に漂う葡萄の香りを吸い込む。

帰りたくない、終わらないでほしい――

その願いだけが、胸の奥を静かに温めていた。


マルセルは歩く。

足音が岩肌に響き、吐く息が白く散る。

倒れたいのに倒れられない。

“まだ歩けるだろう”という怒号が、心臓を叩き続ける。


リシュアは歩く。

橋の上、金と藍の光が髪を照らし、

風が頬を撫でていく。

“まだ歩いていたい”――その想いが、足の運びを鈍らせていた。



マルセルは、1秒でも早く終わってほしいと願いながら歩いた。

リシュアは、1秒でも長く続いてほしいと願いながら歩いた。


それでも、どちらも止まらなかった。

前へ――それぞれの夜を、歩き続けた。



夜の空は、同じ色をしていた。


光の結社【ひかりのけっしゃ】


名詞


① ヴァルメリア市に本部を置く、営業・啓発・人材育成を統合した宗教的企業組織。

 理念は「働くことは光である」。

 構成員は全員“自発光”を義務づけられ、睡眠・食事・会話などあらゆる行為を

 「生産性の一部」として再定義する。

 この思想により、組織は「一日が二十四時間照り続ける構造体」として知られる。


② 運営原理は、**「照度が高いほど健全である」**という照度経済学の理論に基づく。

 この学説は、夜間の都市光量と経済成長率の相関を示した統計(通称“夜間光データ”)を起点に、

 **「光が増えれば経済は繁栄する」という思想へと転化された。

 結社では、営業でシェアを拡大することを「都市の照度を高めること」**と定義し、

 他社を妨げる行為や市場の独占さえも“光の拡散”として正当化される。

 競争は倫理、淘汰は健全性、勝利は発光――。

 夜の街が白く燃えるほど、彼らは自らの正義を確信する。


③ 構成員は皆、**「より長く、より明るく働くこと」**を義務とし、

 沈黙・疲労・休息はすべて「照度低下」として減点対象となる。

 倒れる者は“光が強すぎた結果”とされ、

 平均照度の上昇をもって健全な成果とみなされる。


〔補説〕

 “光の結社”はバルメリアにおける**「最も明るく、最も健全な企業」**として知られる。

 その輝度は都市の照度基準を大きく超えており、

 社員は自嘲を込めて自らを“光の戦士”と称している。

 しかし実際には、同業他社を排除し、部署間で互いを妨害するその営業様式は、

 ゴースト/あくタイプの変化技を好む害悪プレイヤーそのものである。


 こうして“光の結社”は今日も眩しく輝いている。

 その内部構造は誰にも見えないが――

 それこそが、完全に明るい組織の証とされている。


――『新冥界国語辞典』より

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