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第63話 勝てる交渉、勝てない交渉〜交渉難航中〜②

オル通り――黄金の街の一角にある不動産屋を、

ルオたちは訪れていた。

目的はただひとつ、家賃の相談。

けれど、この男の「相談」はいつもひと筋縄ではいかない



オル通り(Rue d’Or)――

銀行と商会が立ち並ぶ黄金街。

昼下がりの光がガラス窓を反射し、通りは金属のような輝きを放っていた。

ルオ、シエナ、リシュアの三人は、その一角にある不動産屋メゾン・ド・コントラの扉を開けた。


カラン、と鈴が鳴る。

奥から、初老の男がにこやかに現れる。

「おや、ルオさん! その節はお世話になりました。幽霊屋敷の件、すっかり片付いたようで。」


ルオは軽く会釈しながら言った。

「どうも、ご無沙汰してます。今日はちょっと――相談がありましてね。」


男が笑顔を崩さずに尋ねる。

「おや、それはそれは。どのようなご用件で?」


ルオは懐から契約書を取り出し、軽くテーブルに置いた。

「ソレイユ区の《匠の鎖》の物件。ここから借りてるはずですよね?」


男は書類に目を落とし、うなずく。

「えぇ、もちろん。借主のマルセルさんがやっておられるお店の。

 ただ……お恥ずかしながら、お貸しした後のことはあまり詳しくは存じ上げませんで。

 鎖の店、というくらいしか……。」


シエナが呆れ顔で肩をすくめる。

「それ以上の情報ないっすか……マルセルさん、存在感うっす!」


ルオは片眉を上げて笑う。

「まぁ、あの調子だと宣伝もしてねぇだろうな。

 ――で、ご相談したいのは家賃の話なんですが。」


男の笑顔が一瞬ピタリと止まる。

「……家賃、ですか?」


ルオはにこりと笑った。

「ええ、少しだけ”お得な"話をしに来ました。」



ルオは懐から書類を取り出し、テーブルに広げた。

「この"匠の鎖"というのは今、俺が手掛けてる新しいビジネスの一つでね。

 小規模店舗を複数展開していくモデルなんです」


男は眼鏡を押し上げ、興味深そうに覗き込む。

「……“鎖”ですか? 売れるんですか、それ。」


シエナがすかさず突っ込む。

「いや、普通そう思うっすよね……!」


ルオはにやりと笑い、まるで自分の発案であるかのように語り始めた。

「鎖はいいですよ。懐中時計に、神父の装身具。

 他に代えがきかない上に、絶対になくなることもない。

 “永続する需要”ってやつです。」


男は腕を組み、少し首をかしげる。

「……ですが、多店舗展開するほどの需要があるでしょうか?」


ルオは身を乗り出し、机の上の書類を軽く叩いた。

「懐中時計を持つ人が増えるほど、“鎖”は必要になる。

 つまり、鎖が売れるかじゃない。

 “時間を持つ文化”が広がるかどうか――その話なんですよ。」


男は思わず自分の胸ポケットに目を落とす。

そこには、さりげなく光る金の鎖が覗いていた。


ルオはそれを指さして、にやりと笑った。

「ほらね。あなたのように“流行を作る側”がもう動いている。

 そうなれば、あとは簡単です。

 アーリーアダプターの後に、60%の“ボリュームゾーン”が続く。

 もう“時計のない時代”には戻れませんよ。」


男は小さく息を呑み、わずかに笑った。

「……なるほど。そういう見方もありますね。」


ルオは軽く指を鳴らして、締めくくった。

「だからこそ、鎖は売れるんです。

 時間を扱う時代に、繋ぐものが要らなくなるはずがない。」


ルオは穏やかな笑みを浮かべ、指先で契約書を整えながら言った。

「――実はね、すでにいくつかの区で次の出店計画が進んでるんです。

 もちろん、その際は真っ先にここ――《メゾン・ド・コントラ》さんに相談させてもらうつもりですよ。」



男が言った。

「また鎖屋を? 景気のいい話ですな。」


ルオは書類を閉じ、指先で銀のペンを転がした。

「鎖って、面白いですよね。」


「……と、言いますと?」


「ひとつ繋げば、次も繋がる。

 信用も同じです。 一本が切れても、どこかで誰かが繋ぎ直す。」


男が小さく笑う。

「まるで市場そのものですな。」


ルオは軽く頷いた。

「ええ。だから――今は“鎖”を増やしておくんです。

 信頼ってやつも、量がものを言いますから。


ルオはうなずき、声をやや落として続ける。

「だからこそ、今のうちに“関係”を作っておきたいんですよ。

 1号店のこの物件は、いわばモデルケースです。

 ここが上手く回れば、同じ規模の物件を複数借りることになる。」


男は「ふむ」と頷きながら書類を覗き込む。

「なるほど、そういうことですか。」


ルオはそこで、数字の書かれた紙を静かに差し出した。

「で――そのためにも、家賃を少し調整しておきたい。

 今後の展開を考えた上で、このくらいの金額にしてもらえないでしょうか?」


男は紙を見て目を細める。

「……いやぁ、ルオさん。流石にこの数字は……大家さんが納得しませんよ。」


ルオは軽く笑いながら、肩をすくめた。

「登記上は、《メゾン・ド・コントラ》さんの所有物件になってるはずですよね?」


男は一瞬、顔を引きつらせる。

「……よくご存じで。」


ルオはにこやかに身を乗り出す。

「つまり、あなたが決められるってことです。

 家賃を下げて店が生き残れば、次も、次の次も――

 あなたのところに話を持ってくる。

 でも、潰れたら“空き家”です。」


男はしばらく無言で数字を見つめていたが、やがて口元を緩めた。

「……なるほど。つまり、今後の出店も全部こちらにお願いしてくれる、と。」


ルオは穏やかに笑った。

「ええ。信用できる不動産屋はそう多くありませんからね。

 この1号店を皮切りに、同規模の店舗をいくつも展開する予定です。

 そのときは、真っ先にあなたに声をかけますよ。」


男の目がわずかに輝く。

「……ふむ、そういう話なら、こちらも協力しないわけにはいきませんな。」


ルオは軽く手を叩いた。

「ありがたい。じゃあ――この金額でお願いできますか?」


男はしばし沈黙し、やがて苦笑を浮かべた。

「……まったく、ルオさんにそう言われちゃ断れませんね。

 先に“次の契約”を見せられちゃあね。」


ルオは軽く指を鳴らし、笑った。

「それと――もうひとつだけ、お願いがあるんです。」


男が首をかしげる。

「……なんでしょう?」


「差し当たって、オル通りに一件、空いている物件がありますよね。

 角地の、元は時計職人の工房。

 今はずっと空いたままになってる。」


男がわずかに驚いたように眉を上げる。

「……よくご存じで。ええ、あそこはなぜか、借り手がつかなくて。」


ルオはにやりと笑った。

「“なぜか”じゃないですよ。

 人が離れる場所ってのは、“信頼”がまだ繋がっていないだけです。

 繋げば、流れは戻る。――鎖と同じです。」


男は一瞬、言葉を失い、それからゆっくりとうなずいた。

「……なるほど、そういう見方もありますね。

 押さえておきましょう。急ぎ手を打っておきます。」


ルオは立ち上がり、上着の裾を整えながら微笑んだ。

「ありがたい。

 いい取引になりそうだ。」


店を出ると、午後の陽射しがオル通りの石畳を金色に照らしていた。


シエナが半ば呆れたように言う。

「やけに簡単に下げてくれましたね。あの人、めっちゃ乗り気だったっすよ。」


ルオはポケットに手を突っ込み、ゆるく笑った。

「交渉ごとってのはな――“自分が何をしてほしいか”より、“相手が何をしてほしいか”を考えることだよ。」


シエナはぽかんとした表情で首を傾げる。

「でも……出店計画なんて勝手に決めちゃっていいんすか?」


ルオは肩をすくめて歩き出し

「"いつもの"だろ?」といって笑った。


※※※


そして軽く空を見上げる。

「さてと……早く片付いたし、少し遠回りしてから飯でも食って帰るか。

 シエナ、どこか行きたいとこあるか?」


シエナの目がぱっと輝く。

「ルーメンタワーもまた行きたいっすし、このままオル通でお茶も行きたいっす!

 ――あ、トワ通りでスイーツ食べるのもいいっすね!それにルミエール公園も紅葉綺麗らしいっすし!」


ルオは額を押さえてため息をつく。

「おいおい、どれか一つにしろ。交渉ってのは“欲張らないこと”だ。」


シエナは人差し指を立て、ニッと笑った。

「交渉は“相手の望むものを見せる”っす!

 ルオさん、今きっと――甘いもん食べて休みたい気分っすよね?」


ルオは思わず笑う。

「……まぁ、交渉終わりで疲れてるのは確かだな。」


「はいっ! だからまずカフェで一息。

 脳に糖分が必要だからスイーツも決定っす。

 で、最後はルミエール公園で癒し――これで完璧っす!

 ちなみに、下調べもしてあるっす。どこも評判よかったっすよ!」


「お前……それ、全部通す気かよ…」


シエナはいたずらっぽくウインクした。

「もちろんっす! 今、ルオさんが一番見たい“頑張る後輩”見せてるっす!」


ルオは思わず吹き出し、肩をすくめた。

「……不動産屋には勝てたのにな。勢いと可愛さには敵わねぇな。」


「実地で学ぶタイプっすから!」


ルオは苦笑しながら歩き出す。

その歩幅は、さっきよりほんの少しだけゆるやかだった。


シエナは横に並び、そっと笑う。

「……何気に優しいスピードなの、キュンとくるっす。」


ルオは振り返らずに片方の口角を上げた。

夕陽が石畳を染め、二人の影が並んで伸びていった。

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