第55話 ピノワ島リゾート詐欺のテーマパーク〜技能実習中〜⑦
宿のホールには、やわらかな朝日が射し込み、
ひまわり色の光が木の床を照らしていた。
テーブルの上、湯気の立つコーヒーの向こうで――
リシュアが広げた新聞の見開きが、金色に光っていた。
一面全面。
そこには、夕暮れのピノワ島が描かれていた。
紙面を広げると、そこには夕暮れのピノワ・ビーチが広がっていた。
ひまわり油のランタンが並ぶ浜辺。金色の波が、ゆるやかに光を返している。
その奥――二匹の川イルカが、まるで空を泳ぐように跳ね上がっていた。
背びれには夕陽の反射が走り、全身が宝石のように発光している。
筆のタッチは滑らかで、空気と水の境界が曖昧だった。
光が現実よりも“やさしすぎて”、絵全体がまるで夢の中の風景のように滲んでいる。
シエナが息をのむ。
「……すっご。イルカ……いや、“川イルカ”っすかね? まさかアレノさんの?」
リシュアが小さくうなずく。
「間違いない。あの過剰な光沢と、やたら幸福そうな水面――アレノの筆だ。」
絵の下には、柔らかな書体の文章が添えられている。
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ピノワ島 ルーメン・ポーチが生んだ奇跡
夕暮れの砂浜で、ひとりの老婦人が小さな獣人にポーチを手渡しました。
ひまわり油のランタンが揺れ、波が金色に光る夜でした。
その小さな袋には、光を模したガラス玉と銀貨が入っていました。
——“あなたの一年が明るくありますように。”
私が初めてルーメン・ポーチをもらったのは、若いころでした。
その灯りはあたたかく、やさしくて、
こんな小さな光をもらえる私は、きっと特別な存在なのだと思いました。
今では私が贈る番。
孫のようなチビハムちゃんに、ルーメン・ポーチを手渡すのです。
なぜなら――あの子もまた、特別な存在だからです。
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シエナが息をのむ。
「……これ、アレノさんの絵っすよね!?川イルカいますもん!
しかも、この前のハムちゃんの話そのままじゃないっすか!」
リシュアが新聞を覗き込み、静かに呟く。
「あきれた…そういうことか…、」
ルオは口角をわずかに上げた。
「最初から言ってただろ、“みんなに伝える”って。」
シエナは紙面を抱えたまま、目を丸くする。
「……もしかしてっすけど――」
ゆっくりルオを見る。
「この前、“ちゃんと伝えたい”って言ってたの、
この広告の話だったんすか!?
勝手に“心の成長”だと思って感動してたっす!!」
ルオは軽く笑って、カップを持ち上げた。
「まぁ、間違ってはいない。俺の心は常に成長してるからね。」
リシュアが半眼で呟く。
「……やはり、お前に“情操教育”は無理だったようだな。」
そのとき、ハミュが首をかしげた。
「でもなんで、新聞なのだ? ほかの魔導通信とか、早いのもあるのだ。」
ルオは笑いもせず、新聞を指先で軽く叩いた。
「新聞ってのはな、他の記事が真面目だから、
同じ紙面にあるだけで“広告も信頼できる”気がしてくる。
いわば“信頼の間借り”だ。
しかも紙は読むのが遅い。
一行ずつ噛みしめて、“考えた気”になれる。
信頼と感動が、ゆっくりセットで染み込む。
――つまり、“商売人と高齢者に優しい”メディアなんだ。」
リシュアが静かに目を細める。
「……つまり、“信頼の錯覚”を利用してるわけか。」
ルオは肩をすくめて笑った。
「錯覚じゃない、“構造”だよ。
人は“刷られた言葉”に弱い。――インクの重みが、理屈を超えるんだ。」
シエナが新聞を畳みながら、しみじみと呟いた。
「……それにしても、こないだのハムちゃん、元気っすかね。もう泣き止んだっすかね……?」
ハミュが胸を張って鼻を鳴らす。
「へけ! 僕ならもう元気なのだ!」
シエナが振り返る。
「いや、ハミュちゃんさんの体調なんかミリも心配してないってすよ!! おばあちゃんとお別れした“チビハムちゃん”のことを言ってるんすよ!」
「へけ! おばあちゃんにルーメン・ポーチをもらったのは僕なのだ!」
「……え?」
シエナが新聞を握りしめたまま固まる。
「じゃ、じゃあ……泣きわめいて地団駄踏んでたのも?」
「へけ! 僕なのだ!」
「“おばあちゃんの孫になるのだ!”って言ってたのも!?」
「へけけ! 僕なのだぁ!悲しいお別れだったのだ!」
リシュアが一瞬目を細め、静かに口を開く。
「……つまり、あの“チビハム”は――ハミュだったということか。」
シエナが絶句する。
「ま、まさか……全部、ハミュちゃんさん…おじいちゃんハムスターがやってたってことっすか!?」
ハミュが小さな手を上げて叫んだ。
「へけけっしゅ! おばあちゃんにお手紙かくのだっ!ルーメンポーチもらうのだ!」
一瞬、リシュアとシエナが固まる。
沈黙。
リシュアが、低く、恐る恐る口を開いた。
「……つまり……私たちは後期高齢者同士の……ロマンス詐欺を見て泣いていたのか…?」
シエナが椅子を蹴りそうな勢いで立ち上がった。
「嘘っすよね!? おばあちゃんと孫の感動話じゃなかったんすか!?
ハムスターのバムスター、どこ行ったんすか!!」
ルオが新聞をたたみ、コーヒーを一口すすった。
「……立派なハムスターのバムスターだろ。
ただ――ビーチにも、高齢化の波は来る。」
シエナがテーブルに突っ伏した。
「そんな波いらないっすよぉ!!」
リシュアが淡々と呟く。
「……全部、その波にさらわれてしまえ。」




