第54話 ピノワ島リゾート詐欺のテーマパーク〜技能実習中〜⑥
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夕闇と夜のあいだ。
波が光を返し、ひまわり油のランタンが砂浜を金色に染めていた。
老婦人はビーチベッドで静かに横たわり、薄いストールを胸にかけていた。
そこへ――小さな足音。
1匹のハムが砂の上をちょこちょこと駆けてくる。
「おばあちゃん……もう、帰っちゃうの……?」
老婦人は微笑んで、そっと手を伸ばした。
「ええ、明日の船でね。あなたももう眠る時間でしょう?」
「やだやだやだやだぁぁぁぁぁ!!!」
岩陰からルオの声が飛ぶ。
「よし、そのまま感情表現だ! ……いや、違う、“甘い言葉”だ!口説けぇ!」
「おばあちゃん、ひぐっ、ひぐっ帰っちゃやだぁぁぁぁぁ!!!」
「ちがう、泣くな!“あなたがいないと寂しい”とか言え!!」
「やだやだやだやだやだやだやだーーっ!!」
ハムが全力で砂に寝転び、手足をばたつかせる。
「だめよっ、ハムちゃん! そんなことしたらお洋服が砂だらけに……」
「やだぁぁぁ! おばあちゃん帰っちゃやだぁぁぁ!!」
「わ、わがまま言っちゃダメよ……ハムちゃん……おばあちゃん帰りづらくなっちゃうわ……」
ハムはぐずぐず泣きながら、
「おばあちゃんっ……僕のおばあちゃんになってぇぇぇぇ!!!」
老婦人の動きが止まる。
「えっ……?あらあら可愛いこと言ってぇ…」
ハムを抱き上げ膝に乗せる。大事なものを抱えるように。婦人はハムの頭を撫でながら、静かに微笑んだ。
「ふふ……困った子。
あなたね、私の孫たちにそっくりなの。
みんな大きくなっちゃって、もう“おばあちゃん”って呼んでくれないのよ。」
ランタンの光が、老婦人の皺を金色に照らす。
「昔はね、“光の降誕祭”の夜に《ルーメン・ポーチ》を配るのが楽しみだったの。
子どもたちの枕元に小さな布袋を置くの。
中には光を模したガラス玉と――袋がベッドに沈むくらいの銀貨を入れてね。
“あなたの一年が明るくありますように”って。」
老婦人は遠い目をした。
「でも今は、渡す相手がいないの。
お嫁さんには“もうそういうのはやめてください”って言われて、
主人は“無駄遣いだ”と新聞の陰に隠れるの。
家にいても、誰も私を待っていないの。」
波音の合間に、彼女の声がかすかに揺れた。
「贈るってね、自分がまだ誰かを想っていいんだって思える瞬間なの。
あの小さな袋は、私にとって“生きてる証”みたいなものだったのよ。」
ハムは鼻をすすりながら顔を上げた。
「じゃあ……僕が、ぼくがおばあちゃんのまごになるの…」
老婦人は驚き、目尻を拭った。
「……そんなこと言われたら、また泣いちゃうじゃないの。」
「僕、まいにち“おばあちゃん”ってよぶのだ!
そしたらおばあちゃん、まいにちポーチくれてもいいのだ!」
老婦人は吹き出して笑い、涙の跡を隠すように頬を撫でた。
「もう……ずるい子ね。」
ランタンの灯がふたりの影を寄せ、
ひまわり油の柔らかな香りが夜風に溶けていった。
チビハムは老婦人の手をぎゅっと握った。
「……だから、かえらないでほしいのだ……!」
頬袋がふくらんで、目には涙が光っている。
「やだやだやだ、かえっちゃやなのだぁ……!」
老婦人は苦笑して、そっとその小さな頭を撫でた。
「仕方ない子ね。」
ランタンの灯が、彼女の瞳に柔らかく揺れる。
「じゃあ、こうしましょう。
おばあちゃんはお家に帰っても、あなたのことを忘れないように、毎月お手紙を書くわ。
《ルーメン・ポーチ》をひとつ添えて。」
チビハムは涙をぬぐいながら顔を上げる。
「おばあちゃん……ほんとに……?」
「ええ。そのかわり――」
老婦人は指を立てて、優しく微笑んだ。
「あなたは、頑張って育てたひまわりのタネと、お手紙を送ってちょうだい。
そして、おばあちゃんのお庭にもひまわりを植えるの。
あなたがいつ遊びに来てもいいように、毎日お水をあげておくわ。」
ハムは鼻をすんすん鳴らしながら、こくりとうなずいた。
「うん……やくそくなのだ……!」
老婦人はその小さな手を包み込み、囁くように言った。
「だからね、いい子だから……もう泣かないで。」
潮の音が二人の沈黙を包み込む。
ランタンの灯りが波に映え、まるで遠い約束のように、夜の海に溶けていった。
※※※
夜の浜辺に、焚き火の光がやわらかく揺れていた。
波が静かに寄せて、砂の上に金の線を描く。
シエナが袖で目をぬぐいながら、かすれた声を漏らした。
「ひぐっ……ひぐっ……あんなの、泣くに決まってるっす……! あたし、あの光景……みんなに見せたいっす……!」
リシュアは腕を組んだまま、ゆっくりとうなずく。
「……そうだな。あの温かさは、語るだけでは届かない。
あれを見たら、きっと誰でも、少しだけ優しくなれる。」
焚き火の向こうで、ルオが目を細める。
「……広めたいな。」
海風がその言葉を運び、火がぱちりと弾けた。
シエナが笑みを浮かべる。
「ですよね、ルオさん……! あれは、伝えなきゃもったいないっす!」
「……ああ。伝わるべきだ。」
ルオの声は穏やかで、どこか遠くを見ているようだった。
リシュアが穏やかに笑った
「流石のお前も人の心を取り戻したようだな…」
三人の視線が、波間に漂うランタンの光を追う。
それはまるで、誰かの想いがゆっくりと海に溶けていくようだった。
きっこかの光景を見たルオも優しくなった事でしょう




