第53話 ピノワ島リゾート詐欺のテーマパーク〜技能実習中〜⑤
浜辺にはゆるやかな風が流れ、波がさらりと白砂を撫でていく。
夕陽が傾くにつれて、砂の上は金の粉を散らしたように光っていた。
そこでは、ご婦人たちがそれぞれ思い思いの時間を過ごしていた。
ひとりは丸太に腰かけ、帽子を傾けて海を眺めている。
別のひとりは木製のビーチベッドに横たわり、読書をしながら足先で砂をいじっていた。
肩を並べて談笑する者、貝殻を拾いながら笑い合う者――
そのどれもが穏やかで、作り物めいた静けさだった。
波の音と、遠くで響く鐘の音が重なり合う。
丘の上では、ひまわり油のランタンが灯りはじめ、
白い家々の壁にやわらかな光が跳ね返っていた。
ルオは少し離れた場所で腕を組み、静かにその光景を眺めていた。
「……いいな。完璧な“非日常”だ。
あとは、この幸福が“演出されたもの”だと気づかれなければ上出来だ。」
リシュアは短く息を吐き、
シエナはサングラスをずらして笑った。
「……なんか、ここだけ別の世界っすね。」
「ルオさんの観光コンサル、大成功っすね!」
シエナが砂に腰を下ろしながら笑った。
「おばあちゃんたち、全員めちゃくちゃ楽しそうっすよ。」
ルオは腕を組み、ゆっくりと首を横に振った。
「……シエナ。何を言っている?」
夕陽が沈みかけ、彼の横顔を赤く染めていた。
「ここまでは練習みたいなもんだ。
ミニハムズの“付け入る隙”をつくるための、前座さ。」
「前座って……」
シエナが苦笑する。
「この景色も、この灯りも、“前座”なんすか?」
ルオは顎を上げ、丘の上を指さした。
白壁に反射するランタンの灯りが波のように揺れている。
「そうだ。この景色も、この光も。
すべては――究極の観光ビジネスの舞台だ。」
「まだやるんすか……?」
シエナが眉を下げる。
「お客さんが来て、喜んで、お金落として。
それでいいじゃないすか。もう十分、幸せそうですよ。」
ルオの声が低く響いた。
「二百年分の“貸し”だぞ。
そんなちまちました商売で、いつ返せる?」
彼はゆっくりとチビハムたちの方を見た。
ミニハムズは砂の上で輪になり、
頬をパンパンに膨らませながら、ひまわりの種を頬張っている。
ルオは指をさして叫んだ。
「見ろ、奪われ、見捨てられたあいつらの――怨嗟に満ちた顔を!」
シエナが即座に返す。
「めっちゃ、もぐもぐ楽しそうに食べてるっすね。」
リシュアは呆れ顔で口を挟む。
「……お前いつにもまして無茶苦茶を言っているな」
ルオはそれでも止まらなかった。
目を細め、語り口が次第に“縁天モード”の熱を帯びていく。
「実際にな――あったんだよ。」
ルオは波打ち際に視線を落とした。
「とある国の観光地の浜辺で、若い男たちが“恋を売る”ようになった。
相手は主に年配の女性観光客。
最初は、道案内や写真撮影を手伝う程度だったらしい。
でも、そのうち『あなたに惹かれた』『また会いたい』って言葉を覚えた。
気がつけば、彼らは“愛情”そのものを商品にしてた。」
潮風が静かに吹き抜ける。
「彼らにとっては、数ヶ月分の給料が一晩で手に入る。 彼女たちにとっては、たいした出費じゃない。
その金で家族を養う男を、誰が責められる?」
「ビーチバムスター(浜辺をうろつく人たち)誰がつけたのかいつしかそう呼ばれていた。」
ルオは淡々と続けた。
「“バムスター”と呼ばれた彼らは、やがて組織化された。
案内役、恋人役、金の管理、送り迎え――すべて分業だ。
完璧なシステム。誰も止められなかった。観光が唯一の産業だったからな。
取り締まれば、街そのものが干上がる。」
リシュアが低く呟く。
「……それで国は何をした。」
「何もできなかった。今もだ。」
ルオは肩をすくめた。
「あれは犯罪と呼ぶには曖昧すぎる。
“金を渡した”のか、“贈った”のか、線が引けねぇ。
しかも観光は信頼で回ってる。
だから今も続いてる――観光という名の“信頼取引”としてな。」
沈黙ののち、ルオは顔を上げた。
夕暮れの光が彼の頬に赤く反射していた。
「少なくとも二百年だ。貸しを返し切ってもらうまで続く“仕組み”を作る──それがこの島での目的だ。」
リシュアが眉を寄せる。
「お前は何を言っているのだ。
二百年も……それは計画ではなく制度だ。
世代を跨いで“業”を押しつけるつもりか?」
縁天モードの声が戻るが、どこか静かで落ち着いていた。
「貸しを“返してもらう”ってのは、金だけの話じゃねぇ。 縁を紡ぐってことだ。
人と人の間に仕組みを据えて、信頼の回路を作る。
縁が続けば、影響は世代をまたぐ。
利子は“記憶”だ。信用は蓄積され、回れば回るほど太くなる。」
リシュアが冷たく言い放つ。
「それは詭弁だ。
人間を“回路”に見立てるな。
縁は尊重すべきものだ。欺瞞で継続させるものではない。」
ルオは肩をすくめて笑う。
「理想論は美しい。だが現実のあいつらは常に空腹だ。奴らは二百年分の“貸し”を抱えている。
放っておけば、形だけの“復興”で終わる。
だから俺は仕組みを作る。
誰もが参加できる、回り続ける経済の装置を。
呼び名は何だっていい。リゾートでも、スローライフでも、縁天でもな。」
ルオは静かに笑い、遠くの灯りを見上げた。
「だが忘れるな――俺たちのやってることは詐欺かもしれん。
だが、放っておくことこそがが最も許されない…悪だ。」
風が止み、波の音だけが残る。
丘の上の古い教会から、鐘の音が一度だけ響いた。
白い壁の建物群がゆるやかな斜面に広がり、
その窓辺に、誰にも必要とされなかった“ひまわり油”のランタンが灯り始める。
ゆらめく光が丘を包み、
まるで夜空に散らばる星々が、地上へ降りてきたようだった。
その光は、長く忘れられた“貸し”が、
ようやく燃えて返されていく――そんな幻にも見えた。
風の止んだビーチに、波が静かに寄せては返していた。
ルオは砂の上に棒で線を引きながら、ぽつりと口を開いた。
「……ハムスターだ。」
「は?」
シエナが間抜けな声を出す。
ルオは顔を上げ、真剣な目つきで続けた。
「あいつらを――一流のハムスターに仕立てる。」
「……え、最初からハムスターっすよ?」
シエナが素で返す。
ルオは首を振った。
「違う。俺が言ってるのは“ビーチ・バムスター”だ。
ハムスターのビーチバムスター――略して、“ハムスター”だ!!」
潮風が止まる。
リシュアが眉をひそめ、低く言った。
「……お前、最初からそれが言いたくてこの島を選んだのではないのか?」
シエナが食い気味に乗る。
「ダジャレっす!完全にダジャレおじさんっす!!」
ルオは口を開きかけて――閉じた。
何も言えず、視線を泳がせる。
「図星じゃないっすか!」
「……否定しないのか?」
ルオは小さく咳払いをして、棒で砂を突いた。
「いや、違ぇんだよ……その……偶然?こう、ハムスターがいたから……だな……その……ビジネス的な?……縁?」
「疑問符がやたら多いし言い訳の動詞が全部弱いっすよ!」
「偶然で島選ぶ詐欺師があるか!」
ルオは砂に線を引きながらドヤ顔で言い放つ。
「詐欺だろうが商売だろうが、最終的に笑顔が残ればそれは善だ。
“感情のキャッシュフロー”ってやつだ!」
「うわ、出たっすよ!またそれっぽい単語でごまかすやつ!!」
「流行語を混ぜると信用度が三割上がるんだって言っるだろ!」
シエナが頭を抱える。
「いや下がってるっす!!どんどん信用落ちてるっす!!」
ルオは口を尖らせ、砂に線を引き直す。
「お前ら分かってねぇな……この世はリソースとブランディングで回ってるんだよ……」
リシュアはため息をつき、静かに締めた。
「……お前の頭はしっかり回っていないようだな」
ハムスターのバムスター。この話の核心はこれに尽きるっす。




