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第50話 ピノワ島リゾート詐欺のテーマパーク〜技能実習中〜②

通りの向こうから、一人の老婆がゆっくりと歩いてきた。

白い帽子に薄手のストール、涼しげな麻のワンピース。

いかにも“リゾートに来た上品な人”といった雰囲気だった。


ハミュが息をのむ。

「ターゲ……じゃなくて、お客さんなのだ!」


チビハムの一人が、ワインボトルを抱え、わざとふらつきながら近づいていく。

次の瞬間――


パリーン!


乾いた音が通りに響いた。


シエナが小声で叫ぶ。

「いったっす!」


ハミュが勢いよく立ち上がる。

「今なのだ!!泣くのだー!!」


「うえーん!! ワインがぁぁ! おかあしゃんにおこらえるのだぁぁ!」

チビハムが地面にしゃがみ込み、割れたボトルの前で大げさに泣き始めた。


そこへ老婆が慌てて駆け寄る。

「あらあらあら、坊や大丈夫かしら? 怪我はない? お洋服も汚れちゃって……」


「ぐすっ……ワインが……おかあしゃんにおこらえる……うえーん……」


老婆は優しく微笑み、チビハムの頭をなでた。

「まあまあ、大変ね。とりあえずお着替えしましょうね。

 このボトルは……あら、高いものじゃないわね。おばあちゃんが買ってあげるから、泣かないの。」


割れたワインと同じ銘柄の安物のワインを露天で3本買い手渡してくれる。それに飴玉、それからほんの少しのお小遣いを渡す。


チビハムは涙を拭き、ぱっと顔を輝かせた。

「うん! おばあしゃん! ありあとなのだ!」


老婆は笑いながら手を振った。

「気をつけるのよ〜!」


老婆が去ったあと、風が静かに通り抜けた。

潮の匂いと、どこか場違いな幸福感が市場に漂っている。


シエナが首をかしげながら言った。

「……あれ、おばあちゃんニコニコして帰ってますけど。 これって……成功なんすか?」


リシュアもうなずく。

「構造的には成功だ。被害者はいない、取引は成立している。詐欺というより“友好的な経済循環”だな。」


ルオは沈黙したまま、口を引き結んだ。

「……違ぇんだよ。」


「え?」とシエナ    


「違ぇんだよ。あれじゃ――血が通ってねぇ。」

ルオの声がじわじわ熱を帯びる。

「こんなんじゃチビハムズは、刺激的で過激な人生を送れねぇ。

 詐欺ってのは“信じた報い”であり、“恐怖の対価”なんだ。

 笑顔で帰られたら、魂が磨耗しねぇだろ。」


シエナが呆れたように呟いた

「普通に詐欺って言ってるすね…

さっきまでBNPLとか取り繕ってたのに…」



ルオは空を見上げた。

「生きるってのは、信用と裏切りの交差点を歩くことだ。

 そのヒリつきがなくなったら――死んだも同然だろ!」


シエナがこめかみを押さえる。

「ルオさんの人生感…徹底的に終わってるっす」


リシュアが眉をひそめる。

「お前はこの島を第二のクル・ノワ地区にでもするつもりなのか…?」

 

「チビハムどもが泣き方を間違えたのだ……“うえーん”じゃなくて“ひぐっ、ひぐっ”なのだ……。

 感情表現が甘いのだ……!」



「ハミュちゃんさん…自分に甘くて人に厳しい。嫌な上司の典型みたいなやつっすね…」


※※※



【ジグザグ詐欺】



市場は朝の熱気に包まれていた。

通りの両脇には小さな露店がずらりと並び、どの店にも——ひまわりの種。

袋詰め、焼き、塩味、はちみつ味。どれを見てもほぼ同じだ。


「……他に売れるものがなかったから、仕方ないが見事にひまわりの種だらけだな…」

リシュアが腕を組んで呟く。


「でも、みんな頑張ってるっすね!」

シエナが明るく言ったその時、通りの奥から見慣れぬ人影が現れた。


白い帽子に麻のワンピース。

昨日の老婆とは違う、少し若々しい笑みを浮かべた女性。

港から来たばかりの“新しい観光客”だ。


その姿を見つけて、ハミュが耳をぴくりと立てる。

「ルオサァン……! たくさんお稽古したから、大丈夫なのだ!」


ルオが口の端を上げた。

「……お、出番みたいだな。」


通りの向こうで、チビハムたちが配置につく。

左右の露天を行き来しながら、客の腕を引き、笑顔で声をかける。

「お姉しゃん、こっちも見て!」「このお菓子もおいしいのだ!」


リシュアが怪訝そうに眉をひそめた。

「……なんだこれは。やけに忙しないぞ。」


シエナが横目で見ながら答える。

「これが“ジグザグ詐欺”っすよ。

 露店や市場で、違う人が次々に店を紹介して、どこで何を買ったか分からなくするんす。

 最後に“会計してない”“万引きだ”って因縁つけて、示談金を取る詐欺っす。」


リシュアは呆れたように息を吐いた。

「……お前達といると碌でもない知識だけが増えていくな。」



ルオは、まるで経済誌の対談でも始めるような顔で語り出した。

「“ジグザグ詐欺”ってのは名前が悪い。

 あれはもう、安心創出型のサービスなんだよ。

 露店を回って会計が曖昧になったところで――“整理してあげますね”って介入する。

 ほら、銀行の窓口や保険の代理店と同じだろ、複雑な手続きを代行する素晴らしいサービスだ」


リシュアが眉をひそめる。

「……その“整理”の前に、不安と複雑な手続きを生み出してるのが問題なんだ。」


ルオは笑って肩をすくめた。

「それが“市場形成”ってやつさ。不安がなければ需要も生まれない。

 俺たちはリスクを提示し、安心を提供してるだけ――社会的サービス業だ。」

ルオは顎に手を当て、にやりと笑う。


小さなチビハムたちが先頭で、ハミュが両手を腰に当てて叫んだ。

「もっとジグザグに動くのだー!!レシートは渡さないのだー!!」


小さなチビハムたちが、「はいなのだー!!」と一斉に返事をして走り回る。

リゾートの陽光の下、可愛い混乱が始まった。




ジグザグ詐欺【じぐざぐさぎ】

名詞


① 市場・観光地などで行われる連鎖誘導型の示談詐欺。

 複数の商人が客を回し合い、支払いの所在を意図的に曖昧にしたのち、

 「会計していない」「商品を持ち逃げした」などと主張して示談金を得る。

 詐欺というより、**混乱を作り出して整える“商売”**と化している。


② (転)

 安心を販売する仕組みの総称。

 不安を先に生み出し、その解消を有料で代行する構造を指す。

 しばしば銀行窓口・保険代理店・役所手続きなどにも比喩的に用いられ、

 「複雑な手続きを代行する素晴らしいサービス」という説明が

 ジグザグ詐欺のもっとも美しい定義文として引用される。


③ (比喩)

 社会が抱える“制度的混乱”そのもの。

 誰も悪意を持たず、しかし全員が利益を得る構造。

 不安は設計され、安心はオプションとして販売される。


〔補説〕

 本来は犯罪だが、語感の軽やかさから経済・政治・教育・恋愛にまで転用された。

 専門家の間では「構造的不安商法」または「安心創出モデル」と呼ばれ、

 すでに詐欺という言葉では収まらない。

 現代社会のあらゆる窓口が、この仕組みの上に立っている。


――『新冥界国語辞典』より

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