第49話 ピノワ島リゾート詐欺のテーマパーク〜技能実習中〜①
桟橋に定期船が着いた。
いつもなら、わずかな食料や日用品を載せ、島で誰も使い道のないひまわり油を積んで帰るだけの、誰にも歓迎されない船だ。
だが、今日は違った。
船の甲板には、封書の返事を手にした二十名ほどの淑女たちが立っていた。
上品な帽子を押さえながら、潮風に目を細め、口々に言う。
「何にもないのね……素敵だわ」
「風の音だけが聞こえる……静かでいいところね」
「これぞ隠れ家リゾートって感じ」
ルオは白いリネンのシャツに、砂色のスラックス。
胸元のボタンをひとつ外し、袖を軽くまくっている。
海風に裾が揺れ、太陽に焼けた肌がほんのり光って見えた。
「ようこそ――“世界一の夕日が見られる島”、ピノワへ。」
人々のざわめきが止む。
ルオはゆっくりと両手を広げ、穏やかに、けれど確信に満ちた声で続けた。
「ここには何もありません。飾るものも、縛るものも。
だからこそ――あなたらしい時間を、自由に過ごせる。
どうぞ、“あなた自身”を取り戻す旅をお楽しみください。」
潮風が吹き抜け、彼の言葉を運んだ。
それは、確かに詩のようであり――そして、巧妙な招待のはじまりだった。
桟橋に風が抜ける。
白い帽子の老婦人たちは、口々に言った。
「まあ……静かねぇ」「ほんとに何もないのね、素敵だわ」
“何もない”が、まるで贅沢の代名詞のように響く。
ルオは少し離れた場所で腕を組み、口元をゆるめた。
「いい反応だ。“何もない”を“スローライフ”って言葉に変えりゃ、価値は三倍だ。
……流行語を混ぜると信用度が三割上がるって、昔から決まってる。」
シエナが眉を寄せる。
「出たっす!信用度三割増理論。言ってるのルオさんだけっす。」
ルオは続ける。
「この島は《リゾート型経済再生施設》。
世界一の夕日と、世界最高のQOLを“体験”できる場所さ。」
リシュアは腕を組み、低く言った。
「……お前、今どの単語も信用を下げる方向で使っているぞ。」
ちょうどその時、浜辺の方から声が聞こえた。
「おばあちゃん、こっちこっちー!」「お茶でも飲むのだー!」
ハムスターの獣人たちが、笑顔で手を振っている。
ルオは薄く笑って言った。
「ほら、始まった。
二百年分の“貸し”を、返してもらう時間だ。」
リシュアは静かに言った。
「この島、二週間後には地図から消えているかもしれんな。」
市場は狭く、潮風と果実の匂いが入り混じっていた。
古びた屋根の下では、島の子どもたちが走り回り、屋台の主がのんびりと声を張り上げている。
その中を、チビハムズたちがワインボトルを抱えてふらふらと歩いていた。
陽光に照らされた瓶が赤く光るたびに、道行く人が思わずよける。
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【ボトルアタッカー】
リシュアが眉をひそめた。
「……あれは何をしている?」
シエナが肩をすくめる。
「ボトルアタッカーっすね。観光地でよくあるやつっす。
わざと転んでボトルを割って、“弁償してほしい”って泣きつくんすよ。」
ルオは涼しい顔で頷いた。
「いいや、それはもう古い説明だ。
今のボトルアタッカーはBNPL型マイクロクレジットモデルなんだ。」
シエナが目をぱちぱちさせる。
「どこがっすか!? ただの事故商法っすよ!」
ルオは両手を組んで理屈を展開する。
「“Buy Now, Pay Later”──本来は“買ってから支払う”だろう?
でもこのモデルは、“壊してから支払う”。
利用が先で、決済は後。完璧にBNPLの構造だ。」
隣でリシュアがこめかみを押さえる。
「……お前は、“壊す”と“買う”を同義語だと思っているのか?」
ルオはすぐに首をかしげ、にやりと笑った。
「同じだろ。どちらも“価値の転移”だ。」
リシュアは頭を押さえた。
「……悪い意味で感心した。」
ルオは腕を組みながら、にやりと笑った。
「言葉を使わずに人の財布を開かせる。それが“信用操作”ってやつさ。
こう見えて、あの子たちは社会通念を学んでる。
“生きていく術”だよ。」
シエナが呆れたように言う。
「……それ、どの口で“教育”って言うんすか。」
ハミュが嬉しそうに瓶を振り回す。
「おばあちゃんが泣いたら、勝ちなのだー!」
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BNPL【Buy Now, Pay Later】
〔英〕名詞
① 商品やサービスを今すぐ手に入れ、支払いは後日に回す仕組み。
財布の中身よりも、欲望の勢いを優先する行動様式。
例:「給料日前でもBNPLで服を買った」
② (転)行為の内容が「購入」でなく「破壊」であっても、
**“先に使って、あとで払う”**という順序さえ守れば成立するとする皮肉的な考え。
つまり「壊してから払う」。
倫理的には問題があるが、経済の仕組みとしては驚くほど筋が通っている。
③ (比喩)利用と支払いのあいだにある**“時間のズレ”**を
人間社会の信頼関係そのものとみなす見方。
“今”を先に楽しみ、“後で”をなんとかする、という精神構造を指す。
例:「BNPLとは、心の借金を制度化したものである」
〔補説〕
BNPLは単なる後払い制度ではない。
支払いを遅らせることで、安心を前借りする行為である。
その仕組みが破綻するのは、信用が尽きたあと――
つまり、“あとで”が本当にやって来たときである。
――『神冥界国語辞典』より
「人は“今”を買い、“後で”に祈る。
それを経済と呼ぶうちは、まだ救いがある。」
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