48話 ラブレター・フロム・ピノワ〜督促状執筆中〜⑤
2万通の“ラブレター”が海を渡った。
かつてバルメリアに奪われたものを、言葉で取り返すための——
貧しい島から、豊かな都へのささやかな“返答”だった。
そして、一ヶ月。
明日には、その"返事"を運ぶ最初の定期船が到着する
宿や旧領事館は白く塗り直され、
海沿いの建物も、崩れた壁をそのままに“再生”の名で磨かれていた。
昼の光ではただの白壁だったものが、夕方になるとゆっくりと金色を帯びていく。
太陽が水平線に傾くたび壁のひび割れが朱に染まり、
まるで古い街そのものが夕陽を抱きしめているようだった。
今は誰もいない教会も壁は白く、屋根は青く塗り直され、夕日の赤を帯びて、象徴のように存在感を出していた。
風は潮の香りを運び、遠くで波が石畳を叩く音がする。
3人はは黙ってその光景を見つめ、誰も言葉を発しない。
何もない島が、一瞬だけ世界でいちばん美しい場所に見えた。
崩れた商家や、銀行は最低限の安全対策だけされ、実情を伝える展示物として残された。
この島の物語を伝える役割を任されたのだ。
――ひび割れは消さない。
貧しさと恨みを隠すより、歴史を飾る方が価値になる
※※※
夕陽が海を焦がし、白い家々が赤金に染まっていた。
波打ち際に並ぶ三つの影。風が、昼の熱をさらってゆく。
「……お前の言っていた“夕日”とは、これのことか?」
リシュアが静かに問う。
ルオは少し笑い、目を細めた。
「いや、違うな。あのとき思い出してた夕日よりよりずっと綺麗だ。」
ルオは夕陽に照らされながら、ゆっくりと息を吐いた。
「この夕日は、“世界一になる”夕日だ。」
指先で赤く染まる水平線をなぞるようにしながら、言葉を続ける。
「…理由は?」リシュアが短く問う
「俺が、世界一って言ったからだよ」
「世界一っなんてもんは言ったもん勝ちさ。
“これが世界一だ”って信じた奴が、そう名乗り続けて、
他の誰かが“そうかもしれない”と思うようになった瞬間――本当に世界一になる。
信じる数が増えた分だけ、景色の価値が上がるんだ。
それが“ブランディング”ってやつさ。」
シエナが目を丸くして笑う。
「じゃあルオさん、口先だけで世界一を作るつもりっすね?」
ルオは肩をすくめ、少しだけ真面目な声で返した。
「最初の“口先”がなきゃ、誰も信じちゃくれない。
でも、信じ続ければ――いつか本物になる。
この島も、この夕日もな。」
風が三人の間を抜け、赤く光る波が静かに揺れた。
まるでその言葉を肯定するように、世界が一瞬だけ“本当に美しく”見えた。
「ルオさん…」 「ルオ…」
その時静寂を破って
浜辺の方から、にぎやかな声が風に混じって聞こえてきた。
「いたたたー! おばあちゃんがぶつかったー!」
「瓶われちゃったの〜! どうしよ〜! でもいいよ、ちょっとだけお金ちょうだい?」
「こらっ、泣くのだ! 涙を使うのだっ! 悲劇は商機なのだっ!」
波打ち際では、小さな体のハムスターの獣人たちが瓶を抱えて転げ回っている。
どうやら“ボトルアタック”の練習らしい。
少し離れた砂浜では、別のグループが声を張り上げていた。
「おばあちゃん、こっちこっち〜! さっきのお金まだだよ!」
「え? 払ったもん!」「えー? どこで〜? でもレシートないよ!」
「その調子なのだ! 混乱を生むのだっ! 怪しく見えるのがコツなのだっ!」
ルオは腕を組んだまま、海を背に立っていた。
「……ボトルアタックチームもジグザグチームも順調みたいだな。」
「一体ハムちゃんたちに何やらせてるんすか!!」
シエナが叫ぶ。
「何って――“技能実習”だよ。」
ルオは涼しい顔で言い切った。
「こいつらははただ、世界の仕組みを学んでるだけだ。生きていく術をな。」
「生きてく術!? どう見ても詐欺の練習っすけど!?」
ルオは海風を受け、声に熱を帯びる。
「違う! これは“自立支援”だ!
世の中は正直者が損をするようにできてる。だからこそ、言葉で身を守る力をつけるんだ。
“誤解をほどく”のも、“納得させる”のも、どちらも商談の基本だろ?」
リシュアが呆れたように息を吐く。
「……それを詐欺って言うんだよ。」
「いや“適応”だ。
社会は善悪じゃなく構造で動く。なら教えるべきは“誠実さ”じゃない、“立ち回り”だ。」
ルオは指を鳴らす。
「取られる前に、取る方法を覚える。
それが“教育”だ。俺はこの島に“自立”を教えてるだけさ。」
浜辺では、ちびハムたちが瓶を抱えて転げ回り、
「ごめんなさ〜い!でも悪くないもん〜!」
「泣くのだ〜!もっと真に迫るのだっ!」
という声が響く。
シエナが頭を抱えた。
「……これ、社会復帰どころか社会不適合まっしぐらっすよ。」
ルオは笑いながら指を立てた。
「こいつらは“社会不適合”じゃない、“社会に不適合にされた側”だよ。いいか?
国が教育せず、支援もせず、見て見ぬふりをしてきた結果がこれだ。
だったら俺たちが就労支援をしてやるしかないだろ?」
「どの口が言ってるんすか!」
シエナが机を叩く。
「いいかシエナ、これは“民間主導の再教育”ってやつだ。
バルメリア市が二百年前にこの島から搾り取ったんだ。国が返す気がないのなら民間から“還元”してもらうしかないだろ?」
リシュアが眉をひそめる。
「……お前、いま完全に悪役の顔をしてるぞ。自覚あるか?」
ルオは止まらない。
「明日ここに来るのは、バルメリアの上品な奥様方。
“癒やし”を求めて、ピノワ島に来る!
だが癒やしには対価がいる。“支払い”だ。
俺たちは丁寧に請求してやる、笑顔で、優雅に!」
「ミニハムズには、古今東西ありとあらゆる観光客向けの詐…ビジネスを仕込んだ!!この島は、最早リゾート型ビジネスのテーマパークと言って差し支えない!
平和で単調な日常に慣れきったバルメリア市民に、ちょっとした刺激をお届けしようじゃないか!」
シエナが青ざめた顔で両手を振る。
「めっちゃヤバいこと言い出したっす!!?
しかも笑顔でって一番怖いやつっすよ!?」
ルオは両手を広げ、目を輝かせる。
「――経済のリハビリだ。
金を奪うんじゃない、流れを戻すんだ。」
ルオはにやりと笑い、声を低めた。
「いいか? この島はもう貧しくない。
二百年分の貸しが、明日――返済されるんだよ。」
ルオの高笑いだけが、暗くなりゆく浜辺に響いた。
ピノワ島【ぴのわとう】(Pinois)
名詞
① バルメリア王国南西沿岸に浮かぶ小島。
面積一万平方キロ、人口二十五万。
王都から船で一晩、かつて油輸出で栄えたが、
魔導灯の普及により産業が崩壊。
現在は「世界一の夕日が見られる島」として再生された観光地。
② (転)
貧困を観光化した島。
崩れた家屋は「味わい」と呼ばれ、
錆びた屋根は「ノスタルジー」と称される。
観光客のためにひび割れを磨くその姿から、
人々はこの現象を“ピノワ化”と呼ぶ。
例:「彼らは島を直さず、売った。」
③ (比喩)
忘却を経済に変えること。
過去を埋めず、装飾することで赦しを得ようとする心理。
例:「ピノワとは、壊れた記憶のリゾート化である。」
〔補説〕
島民の多くはハムスターの獣人で、
争いを知らぬまま、笑顔で働く。
彼らの手で白く塗られた壁は、
過去を覆う“明るい絆創膏”のようだ。
観光局の標語はこうである。
「貧しさを隠すより、歴史を飾れ。」
――『新冥界国語辞典』より




