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47話 ラブレター・フロム・ピノワ〜督促状執筆中〜④

翌朝。

宿のホールにはやわらかな朝日が射し込み、ひまわり色の光が木の床を照らしていた。

長テーブルの上には便箋と羽ペンがずらりと並び、ルオ、シエナ、リシュア、そしてハミュが揃って手紙を書いている。


だが、異様なのはその周囲だった。

ハミュにそっくりなハムスターの獣人たちが、机の両脇にびっしりと並んでいる。

背丈はハミュと同じく六歳児くらい。

椅子に座っても足が届かず、ぶらぶらと揺らしたり、立ち上がって紙に向かったりと、それぞれ好きな姿勢で書いていた。


「ルォサァン、ボクとおんなじ“大人の”ハムスターの獣人を連れてきたのだ!」

ハミュは胸を張って鼻を鳴らす。


リシュアは半眼になり、低くつぶやいた。

「……大人、ね。」


そのとき、机の向こうから明るい声が響いた。

「お姉さん! お兄さん! おはようございます!」

『おはようございますー!』


声はそろって高く弾み、空気が一気に明るくなる。

どの顔もつぶらな瞳で、頬がまるく、笑顔がまぶしい。


シエナは両手を胸の前で握りしめ、目を輝かせた。

「か、可愛いっす……! これが本物のハムスターの獣人……!」


隣でハミュが「へけっ」と得意げに鼻を鳴らした瞬間、

シエナがすっと真顔になって言った。


「……ハミュちゃんさんは、偽物っす。」



ハミュは机に突っ伏し、喉を鳴らしながら愚痴った。

「ひどいのだぁ〜……ボクだって本物なのだぁ〜……ゴホッ、痰が絡むのだぁ……。

 ただ最近ちょっと代謝が落ちてるだけなのだぁ〜。毛づやも、寝起きにブラッシングすればまだいけるのだぁ〜。へけっ……」


シエナは引きつった笑顔で言った。

「いや、そのへけっに老人感出てるっす……」


「若いころは回し車で二時間ノンストップだったのだぁ〜……いまは三分で膝にくるのだぁ……」


ルオが羽ペンをくるくる回しながらぼそりと漏らす。

「……もう誰か引退させてやれ。」



カリカリカリカリ……ペンを走らせる音と、ハムスターの獣人たちがきゃっきゃとはしゃぐ声だけが

宿の一階を満たしていた。



リシュアが大きく伸びをして

「……ルオ、その手紙……本当にこんなので誰か引っかかるのか?」と聞いた。



ルオは紙束を指でとんとんと揃え、軽く笑った。


よ。

「 “親愛なるあなたへ”って始まりは、誰にでも刺さる。

 名前がなくても、“あの人かも”って思わせる余白を残すのがコツだ。」


「つまり……誰宛でもいいってことか?」

「そう、“誰にでも効く”ように書くのが目的だ。

 中性的で、匿名で、性別も立場も分からない。

 読む側が勝手に記憶を当てはめる。“あの人のことだ”ってな。かつての友人か、思いを伝え合った人か」


シエナが覗き込みながら首をかしげる。

「“白いテーブルクロスの感触を覚えてるなら”って……これ、なんすか?テーブルクロスなんて大体白いじゃないすか!」


ルオは笑って言った。

「人間って、“あった気がする”を“確かにあった”に書き換えるんだ。

 だから、読む人の中で“記憶”が完成する。」


「性質が悪いな。」

リシュアが呆れたように息を吐く。


「“この島には、何もありません。飾るものも、縛るものも”……」

シエナが読み上げると、ルオが口角を上げた。


「上手い言い回しだろ?“欠けてる”ことを“自由”に言い換えた。

 “何もない”ってのは、裏を返せば“誰も見ていない”ってこと。

 つまり、何をしてもいい――家族にも社会にも知られない、って暗に言ってるんだ。」


リシュアが小さくうなずく。

「……空白を"自由"と“許可”に見せるわけか。」


シエナは次の行を追った。

「“家族という名の優しい檻から、そっと離れて——”

 これもなんか、詩っぽくて……」


「そこも計算だよ。家族を“敵”にせず、“優しい檻”って表現にすることで、

 罪悪感を消して“逃げる理由”を癒やしにすり替える。

 “悪いことをしてるんじゃない、休んでるだけ”って思わせるんだ。

それと “理解してくれる誰か”の存在を匂わせて、日常から引き離す。“自分だけの秘密”にしてやるんだ。

 そうすれば相談の機会がなくなる。だからバレにくい。」


シエナが一文を指で示す。

「“夢の途中への切符として、船の費用と少しの登録料を”――これ…儲かるんすか??」

 

「これは、支払いを“旅の準備”に置き換えて支払いのハードルを下げているんだ。登録料も払えないような額じゃない。これは、いわゆる滞在型詐欺ってやつ。一度島に来てからが本番ってやつだな。」


シエナが手首をぷらぷらさせつつ

「…それにしても2万通も書かなきゃいけないなんて…絶対これ、腱鞘炎っすよ!!…労災降りるすか…?」



ルオはわずかに口元を歪めた。

「クル・ノワの住民に労働保険は適用されないな。どうせ払ってないだろ?」


「二万通って数字は広告の反応率から逆算だ。

 千人に一人反応すれば御の字。けどこれは広告じゃない、思い出の扉を叩く手紙だ。

 二十、三十人でも来てくれりゃ──“島”は満室だ。」


※※※


 ルオは机の上を整えると、慎重な手つきで封筒を取り上げた。

厚手の便箋を中に滑り込ませると、息を整え、銀のロウスプーンを持つ。


「まずは、見た目から信頼を作る。」


スプーンのくぼみに、海と夕焼けを思わせる琥珀色のワックスを一欠片落とした。

炎の上でゆっくり溶かしていく。

やがて、ワックスの縁が波のようにゆらぎ、香ばしい蜜のような香りが立ちのぼる。


「こういうところだよ、差が出るのは。」


ルオは低くつぶやきながら、溶けたワックスを封筒の継ぎ目に静かに垂らした。

一滴、二滴、三滴――。

蝋が広がり、まるで水平線に沈む夕陽のように輝く。


「急ぐな、ここで焦ると台無しになる。」


ロウスプーンをそっと置き、指先で赤銅のシーリングスタンプを取り上げる。

柄の部分には、小さく“PINOISLE”の刻印。

それを封蝋の上にまっすぐ押し当てた。


「……1、2、3、4。」


時間を数え、静かに手を離す。

蝋が固まり、波紋のような跡の真ん中に、“風に揺れるひまわり”の印が残った。


「できあがりっと。」


ルオはわずかに口角を上げて、光にかざした。

金と橙がまざりあう封蝋が、まるで海辺の夕暮れを閉じ込めたように見える。


「どうだ。豪華すぎず、上品で、どこか懐かしい。

 金持ちの“古い友人”から届いた手紙みたいだろ?」


ルオは椅子の背に寄りかかり、片手をひらりと上げた。

「ある統計によると、高齢者の詐欺被害は全体の六割超。

一部の詐欺では被害者の七〜八割が高齢女性だ。日常に“刺激”がないんだよ。

 誰かに必要とされていた記憶を揺さぶれば、すぐに心が動く。」


リシュアが静かにうなずく。

「……誰にも言えず、でも誰かに気づいてほしい。そういう孤独を突くのか。」



ルオは封を終えた手紙を木箱に並べながら、静かに言った。


「これでひとまず完了だ。

 数日後の定期便で第一陣を出す。」


彼は指先についた蝋を拭い、窓の外を見た。

海は穏やかで、遠くに貨物船の帆が霞んでいる。


「その次の便までは――およそ一月。」

唇にゆるい笑みを浮かべる。


「それまでに、“お迎え”の準備を整えておかないとな。」

シーリングワックス、ユウセカで見たので…

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