44話 ラブレター・フロム・ピノワ〜督促状執筆中〜①
バルメリア王国南西・ポルト=リュミエール港
潮の匂いと、錆びた鎖のきしむ音。
空にはカモメが輪を描き、白い帆布を張った小型船が並んでいる。
海は遠く青く輝いているが、足元の港は人と荷と汗の匂いが混ざるざらついた現実だった。
高台から続く坂道には商人と行商人、旅人、魔導機の修理屋が入り乱れ、
どこか南方の陽気さと混沌が同居していた。
「うみっすー!!」
最初に叫んだのはシエナだった。
風に髪をなびかせながら、港の柵にしがみついて身を乗り出す。
リシュアが腕を組んで呆れたように言う。
「……これがお前の“見せたかった景色”か?」
ルオは肩をすくめ、潮風を受けながら笑った。
「まぁ港町もいいけどな。ビーチはもっとすごいんだ。
今日はその入口ってわけさ。」
停泊していた白い魔導船が静かに波間に揺れていた。
金属と魔石の合わせ構造で、陽光を受けて淡く輝く。
帆の代わりに魔導陣が光を纏い、船体の縁から薄く蒸気が立っている。
「これが今日の足だ。小回りが利くし、何より速い。」
ルオは船体を軽く叩く。
「王都からここまで馬車で半日、これからは海の道だ。
風を感じながらその土地を見て回る――完璧な“実地調査”だろ?」
リシュアは半眼でため息をつく。
「……またその言葉か。どこまでが調査で、どこからが観光なのだ。」
シエナが笑う。
「どっちでもいいっすよ!行きましょう、波が呼んでるっす!」
港に響く甲高いカモメの声。
青と白がまぶしい空の下、三人を乗せた魔導船は滑るように離岸した。
船体が光を弾き、潮風が頬を撫でる。
バルメリアの街並みが遠ざかっていく。
その光景はまるで――
「楽しい旅の始まり」を約束するようだった。
※※※
ブロロロロロ……。
魔導エンジンの低い唸りが、空気の奥まで響いている。
「もう無理っす……! きぼちわるいっすぅ……!」
シエナが船縁にしがみつき、完全にぐったりしていた。
「おいおい、大丈夫か?」
ルオが声をかけるが、返事は「うぇぇ……」と波音にかき消された。
リシュアは無言。
腕を組み、顔色一つ変えずに前方の海を見つめている。
ただ――その額のあたり、わずかに青ざめていた。
ポルト=リュミエールとピノワ島の間は
民間の定期船が1月に1本しか出ていない。
次の定期船は3週間後。
彼らは定期便を待たず近くの島で一泊し、翌朝から魔導ボートでの渡航を選んだのだ。
潮風とエンジンの震動。
港の喧噪も、王都の煌びやかさも、
すべて遠く、塩の匂いだけが残っていた。
ルオは、帽子を押さえながら小さく笑った。
「まあまあ――これも旅の醍醐味ってやつだ。」
シエナが船縁から手を振る。
「もう……醍醐味とかどうでもいいっすぅ……!」
リシュアの沈黙が、やけに重く響いていた。
──その先に見えるのは、雲の切れ間にぼんやりと浮かぶ影。
ピノワ島。
“陽気な絶望”が眠る、小さな島だった。
※※※
桟橋にボートがぶつかる音がした。
潮の匂いの中、だるそうな声が響く。
「ようこそ、ピノワ島へ……なのだ……」
現れたのは、六歳児ほどの背丈のハムスターの獣人だった。
ふわふわの毛並みと、いつまでも眠たげな目。
だるそうに尻尾を揺らしながら名乗る。
「ボクが島の案内人、ハミュ・トロワなのだ……」
くりっとした目。膨らんでいる頬。
愛らしい少年のような背格好、しかしその顔は何かを諦めたように疲れ切って見えた。
ルオは、船酔いでぐったりしたリシュアとシエナを見やり、
「悪い、まず宿を頼む。」
「……わかったのだ。宿はこの坂の上なのだ……でも登るのはつらいのだ……」
三人は荷物を引きずりながら坂を登った。
***
坂の上に建っていたのは、
かつて貿易が盛んだった頃に建てられた古い宿だった。
重厚な石造りにバルメリア様式の装飾が残っているが、
壁や梁には継ぎ足した木材や釘の跡があり、
色の違う漆喰があちこちに塗られている。
誰かが手を入れながら、どうにかこの建物を生かしてきたのがわかる。
「……手入れは、されてはいるな。」
ルオが呟くと、ハミュは小さく胸を張った。
「昔は偉い人も泊まったのだ……今はボクの寝床の隣なのだ……」
ルオはリシュアとシエナをベッドに寝かせ、
静かに外へ出た。
石段の下で、ハミュが待っていた。
「……見てほしいのだ。
この島の、悲惨な現実を。」
ルオは短く息を吐き、帽子をかぶり直した。
「……案内してくれ。」
海風が重く吹き抜け、
沈みゆく陽が、島の影を長く伸ばしていた――
住んでる地域で適当に苗字が決まっている設定。
ハミュ・トロワは3区の出身。…太郎に似てたから。




