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43話 誰かの事を考えて過ごす普段通りの1日〜生活指導中〜②

しばらく歩くと、通りの喧騒がふっと途切れた。

路地の奥に、古いレンガ造りの建物があり、そこへ続く細い階段が見えた。


「――ついたな。」

「なんだここは。」

「カフェだよ。リシュアが好きそうな静かなとこ、探して予約しておいた。」


「……お前、こういうところによく来るのか?」

「いや、ここも初めて。」

「初めてばかりだな。」



階段を下りると、薄明かりのランプと低い音楽が漂う空間。

半個室のテーブルに座ると、ルオが小声で言った。


「ここ、面白いらしいんだ。フルーツとケーキを机に直に置いて、

 店員がチョコで文字を書くんだってさ。」


「机に直接? 不衛生じゃないのか?そんな店があるのか。」

「あるんだよ。しかも“その人の感情”を見て書くらしい。」

「……また詐欺の話か。」

「いやいや、これは芸術。合法的な情動式表現だ。」

「ややこしい言い方をするな。」


ルオは笑いながらカップを掲げた。

「でもまあ、こういう時間も悪くない。

 たまには“詐欺じゃない方の人間関係”も学ばないとな。」


「お前はそれを“デート”と言いたいんだろう。」

「……まぁ、言葉の定義によるな。」


「デートではない。」

リシュアがピシャリと断言した。


ルオは目を細め、ゆっくりと笑った。

「はいはい、わかってるよ。」


ランプの灯りが、ふたりの笑いを柔らかく照らした。


※※※


夕暮れ。

メル川沿いの道には街灯が灯り始め、水面に光が揺れていた。

屋台の明かりと焼けた香りが漂い、賑わいの中にもどこかゆるやかな風が吹いている。


川面を照らす夕陽が、リシュアの横顔を柔らかく染めた。


その光を見つめながら、リシュアがぽつりと呟く。

「お前とこんなところをゆっくり歩く日が来るとはな。」


「俺もだよ。こんなにのんびり歩くのは、初めてだな。」


「今日はなんだ。普段通りに過ごせと言っていたのに…。初めてのことばかりじゃないか。」


「誰かの事を考えて過ごす。俺にとっては普段通りだよ。リシュアに喜んで欲しかったからな。まず相手の気持ちに寄り添って共感する…恋愛もビジネスも同じだよ。」


「…仕事の話は…なしだろう」


風が川面を撫で、リシュアの髪が揺れた。

その姿を見て、ルオは思わず息を呑む。


「……綺麗だな。

 こんなふうに“綺麗だ”なんて思うのも、初めてだ。」


リシュアは横を向いたまま、静かに言う。

「お前も意外に“初めて”だらけなのだな。」


「それはそうさ知らないことの方が多いに決まってる。」

ルオは笑って、空を仰いだ。

「リシュアはいずれ帰ってしまうんだろ?

 だから――忘れられないように、“初めて”をたくさん共有しときたいんだよ」


そのとき、川面にふっと影が走った。

銀の背びれが光り、水しぶきが上がる。


「おっ、川イルカだ。」

ルオが指をさす。

「川イルカといえば――アレノのやつが――」


「仕事の話は無しだ。」


リシュアが小さくため息をつく。

ルオは肩をすくめた。


「じゃあ質問。リシュア、海のイルカって見たことあるか?」


「ない。海に行ったことがない。バルメリアは内陸だからな。」


「そうか……海の夕暮れはな、ここよりずっと綺麗なんだぜ。

 空と水が、全部一つの色に溶けるんだ。」


リシュアはほんの少しだけ目を細めた。

「……お前は、そういう景色を信じられるんだな。」


ルオは笑う。

「いつか一緒に海を見に行けたらいいな。

 港町とか、海沿いの市場とか――リシュアと一緒に、見てみたい。」


「“いつか”は脈ゼロだと、シエナが“選ばれなかった者たち”に言っていたぞ。」


ルオが吹き出す。

「じゃあ、“今度”にしよう。今度、一緒に海を見に行こう。」


リシュアは目をそらしながら、川面を見つめた。

「……行く。」


二人の影はずっとそこにあった。夕陽に染まる水面が夜の帷で見えなくなるまで。


※※※


数日後、クル・ノワギルド

朝の光がステンドグラス越しに差し込み、机の上の書類を照らしていた。

奥ではシエナが荷物を詰め、ミモザがパンをかじりながら見守っている。

扉の外では馬車の音。まるで遠足前のようなざわめきだった。


ルオが軽い足取りで現れる。

「さて、出発の準備できてるか?」


シエナが元気よく振り向く。

「できてるっす!!」


リシュアが顔を上げる。

「……何の話だ?」


ルオは当然のように言う。

「なんのって…海に行く準備だよ。バルメリア領の島に、新しいビジネスチャンスがある。

 船の動き、商人の流れ、観光客の傾向――市場調査だ!」


「は? どういうことだ?」

リシュアの声がわずかに低くなる。


「いや、この前言っただろ。“海を見に行こう”って。」

ルオは平然と肩をすくめる。


「……それは、いつかの話だったはずだ。」


「そのつもりで寝かせてたんだけどさ、

 リシュアが思いのほか乗り気だったから、早めに実行することにしたんだよ。」


「誰が乗り気だった!?」


シエナが荷物を抱えながら口を挟む。

「えっ、リシュアさんお留守番っすか? もったいないっすよ、海っすよ!?」



ルオが笑いながら、地図を丸めてバッグに差し込む。

「潮風を感じて、市場を見て、現地の人と話して――これも立派な文化交流だ。」


「……お前の“文化交流”はだいたい商談か詐欺の前置きだろう。」


ルオは悪びれずに答えた。

「市場調査って言葉は夢があるだろ? 経済の波を読むのは航海みたいなもんさ。」


リシュアは深く息を吐き、額を押さえた。

「……わかった。三十分くれ。今わかった。この男を野放しにしておくわけにはいかん。」


シエナが笑って手を振る。

「ミモザさんいってくるっす!!」

「いってらっしゃーい♡お土産待ってるわよ!」


ギルドの朝に、軽やかな笑い声が響いた。



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