第41話 本当にあった⁉︎詐欺の教科書〜資料熟読中〜②
モンマール区。
朝の霧がまだ石畳に残る時間。
ルオたちは、荘厳な円蓋の建物――王立叡智院の前に立っていた。
その名は“王国の記憶庫”。
過去の思想、魔導、そして人間の欲望までもが封じられた、
知識と狂気の倉庫だった。
中に入ると、吹き抜けの天井まで届く書架が果てしなく並び、
光を帯びた浮遊魔導灯が静かに頁を照らしていた。
紙をめくる音と羽ペンの筆致だけが響く、息苦しいほどの静寂。
ルオが小声でつぶやく。
「……いいな。こういう“静かに悪だくみできる環境”。」
「……悪だくみ前提で喋るなっす…!」シエナが小声で即座にツッコむ。
ルオは一冊の古びた革装丁の本を抜き取った。
金の箔押しで書かれている題名は――
『人心資本論 ――信頼経済の成立と崩壊・第一巻』
「……ほんとにあったっすね。“詐欺の教科書”!」
シエナが声を潜めながらも目を輝かせる。
ルオが小さく笑った。
「流石に“詐欺の教科書”とは書いてないがな。
でも内容は……まあ、だいたいそれだ。」
リシュアがちらりと背表紙を見て眉をひそめる。
「……“第一巻”?」
シエナが棚の奥を見て目を丸くする。
「うわっ、めっちゃ出てるっす! “第二巻・人心誘導論”“第三巻・信頼流通史”……
“第七巻・幸福の再分配”!? なんかヤバそうっす!!」
ルオは手に取った本をひょいと掲げる。
「とりあえず一冊、持っていくか。」
リシュアがため息をつきながら言う。
「館内で喋るな。絶対怒られる。とっとと中庭に行くぞ。」
「は、はいっす……!」
シエナが慌てて後を追った。
※※※
中庭。
風にめくられた古書の頁が、かすかに光を反射していた。
シエナが本をのぞき込み、思わず声を上げる。
「ほんとっす!! “ジョルジュのクソジジイゴースト”載ってるっす!!!」
ルオが淡々と読み上げた。
「“ジョルジュ・ロル”。
二百年前の詩人にして、当時の最も洗練された詐欺師だ。」
見出し――
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【項目:ジョルジュ・ロル Georges Lorl】
詩人・詐術師(活動年代不詳/推定二世紀前)
ヴァルメリア黎明期における「感情流通経済」成立の端緒とされる人物。
当時の劇場文化において、観客間の“情動交換”を商業的に転用した最初期の事例として記録される。
彼は舞台上の悲恋劇に合わせて“偶発的邂逅”を演出し、
女性にハンカチを拾わせ、その裏に詩文を添えて贈与した。
詩文は同一の内容が十数名に頒布されたが、
受け取った女性たちはいずれも“自らのみが選ばれた”と信じ、
その後の経済的援助・贈与へと発展したと伝えられる。
後年、この手法は**《選択的希少性錯覚(Selective Illusion of Rarity)》**として
王立叡智院経済心理学部門により命名・分析された。
代表詩句:
「あなたの微笑は春の鐘――
夜を越えてわたしを照らす。
この胸の鼓動が止む日まで、
あなたの影に寄り添いたい。」
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ページの下部には小さく脚注が添えられている。
――“感情を商品化した最初の愚か者にして、
最初の天才である。”
(第七次感情経済史研究会議・記録抄)
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ルオが低くつぶやいた。
「……“夜を越えてわたしを照らす。
この胸の鼓動が止む日まで――か。
やっぱり、詐欺師ってのは詩人の亜種だな。」
シエナがページを覗き込み、顔をしかめる。
「うわ、甘っ!! 読むだけで血糖値上がるっす!!」
リシュアが淡々と眼鏡を直す。
「だが、仕組みは完璧だ。“誰にでも刺さる設計”になっている。」
ルオは満足げに笑った。
「感情を操る最初の技術者――
この街の祖先は、案外こういう奴だったのかもな。」
「いや、クソジジイがルーツなのは嫌っす!!!」
リシュアがページをめくりながら眉をひそめる。
「……ところで、この“FUTON”という語、やけに頻出しているな。」
シエナが指を差す。
「これっす! “FUTON reform fraud scheme(フュートン改修詐欺)”って書いてあるっす!」
ルオが首を傾げる。
「フュートン……? “photon”の誤記か?光が関係している…?」
リシュアがページを読む。
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【事例:FUTON改修詐欺】
分類:家庭訪問型感情誘導商法
発生年代:第六王期後期
被害者の家庭を訪問し、
「お使いのFUTONが古く、健康に悪影響を及ぼす」と説き、
“感情浄化素材”を使用した最新型FUTONへの改修を勧める。
実際には内部の“充填エネルギー”を抜き取る行為が行われ、
対象者の睡眠・判断力を低下させることで継続的な金銭供出を誘発した。
当時、“FUTON”は家庭内の精神安定装置とされ、
多くの家庭がこの詐欺により破産・離散に追い込まれたという。
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シエナが青ざめる。
「な、なんすかこの物騒なエネルギー機械!?
寝るたびに“充填エネルギー”が抜かれるとか、もうホラーっすよ!」
ルオは顎に手を当てて真剣な顔をする。
「……“FUTON”とは、眠りを媒介に感情を吸収・循環させる装置。
つまり、古代の“情動収穫機構”の一種かもしれんな。」
リシュアが冷ややかに言う。
「いや、ただの生活用品の可能性もあるだろう。」
「ないっすよ!だって、“FUTONの中核エネルギー体”って書いてあるっす!」
リシュアがさらにページをめくる。
「……こちらも“FUTON”を扱った事例だな。」
シエナが身を乗り出す。
「“FUTON引取詐欺”っす!! なんかヤバそうな匂いしかしないっす!!」
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【事例:FUTON引取詐欺(Futon Retrieval Scheme)】
分類:家庭侵入型交渉誘導詐欺
発生年代:第七王期初頭
施行者は「旧式FUTONの回収業者」を装い、
“老朽化したFUTONは感情エネルギーを漏出させ、心身への悪影響を与える危険がある”と説明して
家庭への立ち入りを要求。
居住者の信頼を得たのち、
「FUTONの内部構造を解析するため」と称して装置の一部を持ち去り、
代金や保守契約料を請求した。
その実態は、家主の感情残滓(Residual Emotion)を採取し再販する目的の詐欺であり、
王都では一時期、各家庭から“情動汚染”の苦情が殺到した。
本件を契機として、王国は**“家庭用情動機器取扱い業者登録制度”**を制定。
「訪問によるFUTON回収行為」を原則禁止とした。
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ルオが腕を組みながら唸る。
「……感情エネルギーを漏出させる危険がある……?
つまり、“FUTON”とは感情を密封する容器の一種か。」
シエナが青ざめる。
「ま、まさか! 引き取りに来た業者が感情エネルギーを抜き取ってたってことっすか!?」
ルオはページを閉じながら、遠くを見るように呟く。
「“眠りを媒介に感情を吸い上げる”。
やはり“FUTON”は……厄介な代物で間違いないな」
リシュアがページをめくる。
「……これもFUTON”事例だな。今度は群衆を使った販売方式らしい。」
事例:FUTON情動覚醒集会商法事案(Futon Emotional Awakening Assembly Scheme)】
分類:群衆誘導式感情取引詐欺
発生期:第八王期中期
施行者は「感情啓発士」を名乗り、王国各地の公会堂や市場にて“自己解放講座”を開催。
聴衆の前で高揚的な演説を行い、最後にこう呼びかけたという。
「いま――心を変えたいと思う者、手を挙げてください!」
会場の熱気が最高潮に達した瞬間、
手を挙げた者たちを“選ばれし覚醒者”と称し、
その勢いのまま高額な“FUTON”を購入させた。
販売者は「FUTONには情動波を安定化させる構造がある」と説明し、
契約行為を“心の成長儀式”と呼称。
当時、参加者は“感情の解放”を信じ、自発的に支払いを行ったとされる。
しかし後日、参加者の多くが「自分の意思ではなかった」と訴え、
本件は群衆誘導下意思形成錯誤罪として立件された。
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リシュアが淡々と読み上げた。
「……“情動の解放”をうたって群衆を熱狂させ、
最終的に“契約の自由”で逃げるとは。なかなかの構造だな。」
シエナが顔をしかめる。
「“手を挙げた人限定でFUTON販売”って……もう詐欺をカリスマ化してるっす!」
ルオは頬杖をつきながら、静かに笑った。
「“情動の覚醒”……なるほど、原初の情動式遊戯ってやつかもしれないな。」
ルオが重々しく言った。
「……結局、“FUTON”とは何なんだ?」
リシュアがすぐさま答える。
「文脈的に見れば“感情安定装置”だ。
人間の情動波を包み込み、熱を逃がす構造……
つまり、“情動冷却媒体”の一種。」
シエナが首をかしげる。
「いやいや、“引き取り”とか“リフォーム”とか出てきたっすよ?
どう考えても、なんかこう……家ごと動かす乗り物っすね!」
ルオが眉をひそめる。
「お前、いきなりスケールがでかすぎるだろ!?」
「いや、“集会で起動”とか書いてあったし……なんか空飛ぶ系っすよ!」
リシュアはため息をつき、眼鏡を押し上げた。
「飛ぶわけがない。たぶん儀式的な比喩表現だ。」
ルオは顎に手を当て、妙に神妙な声で言った。
「……いや、俺は“共感を媒介するエネルギー体”だと思う。
“FUTON”の“ON”は電源の“ON”だ。
“FU”は……不明だが、たぶん“フュージョン装置”の略だ。」
リシュア「……造語するな。」
シエナ「フュートンって響き、強そうっすね!」
図書院の静寂が、三人の会話で崩れていく。
リシュア「違う。もっと形而上的な――」
ルオ「たぶん電源入れるタイプだ。」
シエナ「やっぱ装置っすね!!」
リシュア「装置じゃない!」
ルオ「いや、俺の仮説では“FU”が“浮遊”、つまり――」
「――うるさい!!!」
司書の怒鳴り声が飛ぶ。三人同時に口を閉じた。
静寂を切り裂く音とともに、司書が立ち上がった。
眼鏡の奥で冷たい光を放ちながら、無言で一冊の分厚い辞典を突き出す。
そのページには――でかでかと「FUTON」の項。
FUTON(布団):
意味:敷物または掛物。寝具。主に睡眠時に使用される。
バルメリア東外海沿域で広く使用されている。
三人「…………」
司書が眉ひとつ動かさず、静かにページを指した。
「――寝具、です。」
リシュア「……寝具……」
ルオ「……まさか、ただの……」
シエナ「……寝るやつっすね。」
司書「二度と“フュージョン装置”とか言わないでください。」
ルオ「いや、でも情動を包み込むって意味では――」
司書「――布です。」
三人「はい……」
三省堂の辞書で調べればよかったっす




