第40話 本当にあった⁉︎詐欺の教科書〜資料熟読中〜①
ソレイユ区・バザールの朝。
屋台のパンの匂いと、焙煎豆の香りが通りを満たしていた。
ルオ、シエナ、リシュアの三人は、カフェのテラス席で朝食をとっている。
「で、その子、弟子にしちゃったんですか?」
シエナがクロワッサンをかじりながら言う。
ルオは軽く肩をすくめた。
「いや、勝手になった感じだな。…」
「あいつはいい線いってる。
ただ、“違法行為を恐れてる”ってとこは叩き直さないと。」
「なにを言っている。お前が叩き直されたほうがいい」
リシュアが即答した。
ルオは苦笑しながら、ベーグルにナイフを入れる。
そこへ、通りの向こうから鋭い声が飛んできた。
「ルオ・ラザール!! 貴様、ここで何をしているのです!!」
エレーヌ・クロードが怒りを押し殺した表情で歩み寄ってくる。
青い制服の肩章が朝日に光った。
ルオはパンをかじりながら答える。
「なにって……朝ごはん食べてるんだけど。」
「違います!!」
「ベーグルにハムを挟んでる?」
「違います!!!」
「お前、わざと言ってるだろう。煽るな」
リシュアがこめかみに指を当てながら呟いた。
エレーヌが深呼吸して言葉を整える。
「昨日、あなたを“労働基準法違反”で逮捕したばかりですよ!? その、貴様がなぜここにいて、呑気に朝ごはんを食べているのかと、聞いているのです!!」
ルオはコーヒーをすすりながら、まるで説明会のように語りだした。
「まぁまぁ、落ち着けって。
俺の“籍”はクル・ノワにある。あそこは区ごとに司法が独立しててね。
犯罪者は“籍”のある区へ送還、そこから再審理――これがルールさ。」
ルオは得意げに指を立てた。
「クル・ノワは“更生者の社会復帰を促す先進的な区”でね。
“反省よりも経済貢献を”という理念のもと、社会活動の再開を推奨しているんだ。
つまり――経済的自己責任の早期実践、ってやつだ。」
エレーヌの眉がピクンと動く。
「……要するに、“お金を払えば出られる”ということですね?」
「言い方の問題だ。」
ルオが涼しい顔で返す。
「“社会的流動化”と言ってほしい。」
「そんな理念あるかぁぁぁぁ!!!」
エレーヌが机をバンッと叩いた。
「くそっ、次こそ絶対に出て来れないようにしてやります!!」
「未来の話をするなんて、投資家みたいだな。俺と一緒だ。」
「貴様と一緒にしないでください!!貴様のは投資ではなく詐欺です!!」
エレーヌはヒールを鳴らし、怒りのオーラを残して去っていった。
一瞬、静寂。
焼き立てのパンの匂いだけが残る。
シエナがフォークをくるくる回しながら、ぼそっと言う。
「……あの人、たぶん次も保釈金の話で戻ってくるっすね。」
リシュアがコーヒーを飲み干し、淡々と続けた。
「そしてまたお前が、“社会的流動化”とか言い出すんだろう。」
※※※
エレーヌが去ったあと、バザールの喧噪が戻ってきた。
パンの香りに混じって、遠くの屋台から客引きの声が聞こえる。
ルオは残りのコーヒーを飲み干しながら、
何気なくシエナに顔を向けた。
「ところでシエナ、“情動式遊戯”の金、いくら残ってる?」
シエナがため息をつきながら、スプーンをカップに沈めた。
「……いくらも残ってないっすよ。」
「アレノ工房の未払い残業代と、休日出勤の手当……
あと、王都労働監督院からの制裁金、
“労働環境の是正命令”を無視した分の加算金、
それに――元従業員たちへの慰謝料にその他もろもろ」
ルオの笑顔がピタリと止まる。
「……おい、それ全部払ったのか?」
「払ったっす。」
「総額いくらだ?」
シエナは一瞬、遠くを見た。
「――数字にするの、ちょっとトラウマなんでやめてもらっていいっすか。」
「そんなレベルか!?」
「通帳の残高が“ほぼ概念”になりました。」
リシュアがぼそりとつぶやく。
「それ、もう“経済制裁”の域だな。」
ルオはコーヒーを飲み干しながら、
どこか遠い目をした。
「……まぁ、金は消えても経験は残る。
経験は資産だ。次に活かせばいい。」
シエナが即座に食い気味で突っ込む。
「いや、そういう考え方が犯罪の温床っす!!」
リシュアが新聞を畳みながら、淡々と言う。
「反省する気は、やはり皆無だな。」
ルオは立ち上がり、
バザールの通りを眺めて口角を上げた。
「仕方ない、次のネタ探しがてら――
“詐欺の教科書”でも読みに行くか。」
シエナが一瞬、理解が追いつかずに固まる。
「……え、ちょっと待って。
“詐欺の教科書”って、ほんとにあるんすか!?」
「幽霊詩人詐欺師のジョルジュのジジイが、載ってるって言ってたやつっすよね!?」
ルオは椅子の背にもたれ、ニヤリと笑った。
「あるさ。六十年くらい前に書かれた啓蒙書だけどな。
“古今東西の手口大全”ってやつだ。詐欺師も哲学者も並列で載ってる。」
シエナがぎょっとする。
「……なにそれ、倫理観ぐちゃぐちゃなタイトルっすね!?」
「いや、当時は“社会心理学の教材”として出てたらしい。
“信じるとは何か”“騙すとは何か”――
学問としての“人間の信頼構造”を研究してたんだとさ。」
リシュアが腕を組み、皮肉っぽく言う。
「つまり、お前がそれを“実地検証”したわけだ。」
「そうとも言えるな。俺は“実践派”だから。」
ルオは楽しそうに立ち上がった。
「さあ行くぞ、“次の章”を探しに。」
シエナがため息をつく。
「絶対、図書館でまた怒られるやつっすね……。」
クルノワ裁き【くるのわさばき】
名詞
① クル・ノワ地区特有の即時・即決・即金処理型の司法慣行。
判決よりも現金、法理よりも顔見知りを重んじ、
裏金か笑顔で全てが解決する。
例:「あの件? クルノワ裁きでチャラになったよ」
② (転)明文化された不正のこと。
“適応力”や“人情味”の名で呼ばれるが、
実際は秩序の裏返しにある現実主義。
例:「クルノワ裁きにかかれば、罪も領収書になる」
③ (比喩)
矛盾を赦すための社会的方便。
罪と罰の間に値札を貼ることで、
人は“救済”と“取引”を混同するようになる。
例:「クルノワ裁きとは、許しを外注する技術である」
――『新冥界国語辞典』より




