35話 新型デート商法〜ハグの確率抽選中1/350〜⑥
ソレイユ区の外れ。
風の抜けない煉瓦造りの建物。
看板には大きくこう書かれていた。
《ルオ・ラザール経営 アレノ・リス工房》
――愛と光と川イルカの聖地。
「……ここなんすか?」
シエナが眉をひそめる。
ルオは腕を組み、淡々と答えた。
「“恋を演出する絵”を作っている場所だ。俺の新しい事業の一つだ。」
「じ、事業って言ったっす!? 絵の工房が!?」
「まぁ、見てみろ。」
ギィ――と扉を開けると、
油絵の具と熱気が入り混じる。
ずらりと机が並び、作業服の男たちが黙々と筆を動かしていた。
青、白、銀。
同じ色を塗って、乾燥室に入れ、
乾いた絵を取り出して、また同じ色を塗る。
その光景は――芸術というより、完全に“製造ライン”。
「……あ、ここが、あのイルカの絵のアトリエ…いや工房っすか!?」
シエナが口をあんぐり開ける。
そのとき、奥から甲高い声が響いた。
「イルカではありませんぞ!!川イルカですぞ!
川イルカは世界で最も純粋な生き物なのですぞーーーッ!!!」
ベレー帽にカイゼル髭。
白いシャツに絵の具まみれの男が、筆を振りかざしていた。
アレノ・リス。通称《川の詩人》。
彼の描く“アレノ絵”は、青と白が溶け合う幻想的な海。
光が実物よりも明るく、波がほとんど発光しているように見える――
だが構図はどれも同じ。
「愛・光・自然・自由」を語る癒しの芸術家だが、
その実態は“信念を持った大量生産者”だった。
シエナがぼそり。
「……また、やばそうな人が出てきたっす。」
アレノが筆を掲げ、恍惚とした声を上げる。
「その透明な魂を、筆先に宿すのですぞぉぉぉ!!!」
ルオが苦笑する。
「飛ばしてるな、アレノ。」
「当然ですぞ! 川イルカこそ人類の純粋な魂!!
この瞳! この肌! この曲線こそ“無償の愛”の象徴ですぞ!!!」
シエナが突っ込む。
「いやいやいや、じゃあ大量生産するなっす!
絵画ってもっとこう“作者の思い”がこもってるもんじゃないんすか!?」
アレノは胸を張る。
「もちろんですぞ!
わたしの願いは川イルカの素晴らしさを、一人でも多くの人に伝えること!
だからこそ! より多く、より早く、より広く!
――愛の普及活動なのですぞ!!!」
「理想を形にするには、現実的な仕組みが必要なんだよ。」
アレノは感極まってルオを指差す。
「そうなのですぞ! ルオくんの経営によって!
川イルカの純粋さを世界に広める“理想の工房”が完成したのですぞ!!!」
アレノが満面の笑みで金色のペンを掲げた。
「わたしの魂はこのサインにこもっておりますぞ!!!」
乾燥炉がゴウンと唸り、
新しい“愛の一枚”がベルトの上を流れていく。
「……効率が魂を殺してるっす……」
シエナが呟く。
リシュアが腕を組んでぼそり。
「まぁ……巨匠も工房を持って、弟子に彩色を任せることはある。
なしではないが……流石に、効率が良すぎるな。」
アレノがうっとりと両手を広げる。
「効率は愛ですぞ! 愛は共有! 共有は平和! 平和は――川イルカですぞぉぉ!!!」
「……川イルカ愛も製造過多っす。」
シエナが顔を覆った。
アレノが嬉しそうにうなずく。
「川イルカこそが愛!愛とは再現可能な祈り!!!」
乾燥炉がゴウンと唸る音の中、
アレノがルオのもとに駆け寄ってきた。
「しかしルオくん、最近――在庫が少々だぶついておるのではないかね?」
「……ほう?」
「わたしの絵が、いや、川イルカの素晴らしさが、
まだ充分に世間へ伝わっていない! 努力が足りていないのではないかと!」
ルオは顎に手を当て、静かに微笑む。
「今は待つときだ。流れには“間”がある。」
アレノが首をかしげる。
「間、ですぞ?」
「そうだ。潮目――いや、川の流れが変わる瞬間ってのは、誰にも読めない。
だが変わる時は一気に来る。
その時に“愛の在庫”が足りないほうが問題だ。」
アレノの瞳が再び輝きを取り戻す。
「おおっ、さすが経営者! 流れを読む男ですぞぉ!」
ルオは軽く笑って言った。
「量産を急いでおいてくれ。
愛が届く時、世界は一気に買い占めに走る。」
「了解ですぞぉぉぉ!!!」
アレノが再び筆を振り上げる。
乾燥炉の音が高鳴り、
“愛”という名の在庫が、次々とベルトコンベアに流れていった。




