30話 新型デート商法〜ハグの確率抽選中1/350〜①
ソレイユ区プラン通り
魔導機の部品、古書店、問屋が入り混じる雑多な気配がある街
魔導大学の講義が終わったばかりの学生と、古書を抱えた商人、
それに安っぽい宣伝札を配る若者が入り乱れる。
通り沿いには魔導印刷所と骨董屋が並び、
カフェのテラスには紙とインクとコーヒーの香りが混ざっていた。
ルオたちは、そのテラス席から通りを眺めていた。
向かいの石畳の角で、若い女が通行人に声をかけている。
石畳の角で、若い女が通行人の男に声をかける。
「お兄さん、ちょっと時間ありませんか?」
「え? お、俺?」
「すぐそこに素敵な絵の展示があって……」
女は笑顔を浮かべたまま、男の袖を軽くつまんだ。
そのまま立ち話が始まる――絵の話、趣味の話、恋の話。
やがて男の顔がほころび、ふたりは人混みの中で笑い合った。
しばらくすると、別の場所で、また別の女が声をかけている。
プラン通りのあちこちで、同じような“偶然の出会い”が量産されていた。
シエナがマカロンをかじりながら、眉をひそめる。
「……あー、あれ、デート商法っすね。
あたしでも知ってる、古典的なやつっすよ。」
リシュアが新聞をたたんで視線を向ける。
「デート商法とはなんだ?」
「デートっぽくして油断させて、高い絵を売りつけるんす。
“恋愛+美術”の二重請求、ってやつっすね。」
「そんな手に引っかかる人間がいるのか?」
リシュアが呆れたように言う。
「それに絵を売るなら、投機が盛んなモンマール区の方が理にかなう。」
ルオがカップを傾け、苦い笑みを浮かべる。
「上流層は警戒が強い。
今、俺が希望と期待を売るのは“中流の夢見る層”だよ。
“絵は儲かる”と聞いたけど、実際買ったことはない。
――そういう連中が、いちばん“物語”を買いたがる。」
シエナがスプーンを回しながら。
「でも、デート商法で絵を売るだけなんて……
ルオさんにしては地味っすね。」
ルオは少し笑い、身を乗り出した。
「絵を売るのは画商の仕事だ。
俺の仕事は――“期待と希望”を売ることさ。」
リシュアが呆れたように息を吐く。
「……詐欺師の言葉だな。」
「違う。市場の真理だ。」
ルオは指先でカップを弾いた。
「人は、恋にも、投資にも、祈りにも“良くなる未来”を見たい。
その期待を信じさせる。そこにこそ、価値が生まれるんだ。」
ルオが言葉を締めた瞬間、
向かいの通りで、女の子が男の手をそっと握った。
シエナが身を乗り出す。
「お、女の子が手を握ったっす!」
ルオが冷静に目を細める。
「小役だな。……確率1/12。」
「小役……?」
リシュアがきょとんとする。
「あ、また手を握ったっす!」
「小役連か。これは期待値が高いな。」
「うわっ! 今度ハグしたっす!!」
ルオがカップを置き、真顔でうなずく。
「ビッグを引いたか……彼はついてるな。」
「……言ってることがさっぱりわからん。」
リシュアの冷たい視線が突き刺さる。
数分後、男女は通りの先のガラス張りのアトリエに入っていった。
ルオたちはカフェを出て、向かいの店の陰から中を覗き込む。
アトリエの壁には、青と白の絵がずらりと並んでいた。
波、光、跳ねるイルカ。どれも輝きが強く、
まるで本物よりも明るい“幻想の海”。
女は男の腕を掴みながら、ひとつの絵を見上げて微笑んでいる。
「……あれ、結局絵を買わされてるっす。」
シエナが小声でつぶやいた。
「でも、目玉が飛び出るほど高くはないっすね。
給料一か月分くらい……これ、儲かるんすか?」
ルオが唇の端を上げる。
「見ろ、あの絵。」
シエナが前のめりになる。
「あれ……あのキラキラしたイルカの絵じゃないっすか!
高いんだか安いんだか、よくわかんないやつっすよ!」
リシュアが腕を組みながら首をかしげる。
「絵画にしては、むしろ安いのではないか。」
ルオは淡々とした声で言った。
「そうだな。デートをして、絵を売る。ここまでは古典的な“デート商法”。
――だが、ここからが“新型”だ。」
「新型?」
「ほら、見ろ。」
女の子と男が、絵を抱えたまま裏路地へ消えていく。
シエナが立ち上がる。
「あれ……まだ続くっす!? え、まさか二次会!? てか大丈夫っすか!?」
ルオが帽子も被らず、すっと立ち上がった。
「行くぞ。……“アフター営業”だ。」
裏路地に入ると、薄暗い石畳の奥に、
《ドーファン・ド・リヴィエール》と書かれた古びた看板が見えた。
扉を開けると、
壁一面に“イルカの絵”。
青、白、銀。光を食べたような輝きで、どれも似た構図。
シエナがぽかんと口を開けた。
「な、なんすかここ……! イルカだらけっすよ!!」
リシュアが眉をしかめる。
「……悪趣味だが、統一感はあるな。」
奥のカウンターから、やたらと甲高い声が響いた。
「これは……お客様! 素晴らしい選択です!
数ある作品の中でも、この波の角度――まさに“神の一筆”!
ご覧ください、この光の反射、ここに“無条件の愛”が宿っているんです!」
「愛……ですか。」
男が照れ笑いを浮かべる。
「ええ、“愛”ですとも!」
店主は身を乗り出して語る。
「イルカは調和の象徴、そして魂の浄化を意味します!
この絵を部屋に飾れば、人生そのものが光に包まれる!
そして今なら――市場でも高く評価されています!」
シエナが顔をしかめて小声で。
「どの絵も同じに見えるっすけど……」
ルオが苦笑する。
「黙れ、今いいところだ。」
店主は男の肩を軽く叩いた。
「驚くなかれ、こちらの作品――
なんと! 二倍の価格で引き取り希望が入っているんですよ!」
「二倍……!?」
男の目が光る。
「そう、芸術とは“今この瞬間”の奇跡!
あなたは幸運を掴んだんです!」
男は金貨を手にして呆然、
女の子は「すごい!」と抱きつき、
イルカの絵が眩しく光を跳ね返す。
シエナがぽかんとしたまま。
「……なんか、普通に売れてるっすね。倍の値段で。」
リシュアが眉をひそめる。
「だが……どう見ても、あの店が損している。」
ルオは肘をついて、二人のやり取りを聞き流していた。
そして、通りの向こうの二人を見ながら、
ゆっくりと口を開く。
「――そうさ。これは、“希望”と“期待”を売る商売だ。」
シエナがきょとん。
「またなんか始まったっすよリシュアさん。」
ルオは真面目な顔のまま、少し身を乗り出す。
「人ってのはな、“未来に投資する生き物”なんだ。
まだ起きてないことに、金も心も賭けちまう。」
「……詐欺師の口から言われると、説得力がありすぎるな。」
リシュアがぼそっと言う。
ルオは意に介さず、さらに熱を上げていく。
「希望を信じたい奴がいる。
期待を抱きたい奴がいる。
その二つが重なれば、“縁”が生まれる。
人と人が繋がって、金が動く。
それが、この街の理だ!」
「理とか言ってるけど、だいたい欲望の話っすよねそれ。」
シエナのツッコミが飛ぶ。
ルオはニヤリと笑って。
「そう、人は惹かれるものに逆らえない。
夢に、光に、誰かの笑顔に……。
理屈より先に、手が動く。
――それが、俺たちの“市場”だ。」
リシュアがため息をつきながら。
「やはり、ロマンと詐欺の境界が存在しないな。」
シエナが肩をすくめた。
「……でも、ちょっといい話に聞こえるのが腹立つっす。」
そのとき、外では“またね”と笑いながら別れる男女の姿。
昼下がりのプラン通り。
光が反射して、イルカの絵が窓にきらめく。
ルオは立ち上がり、
「――結局、人は希望で動くんだ。
だったら、俺はその希望を売るだけさ。」
リシュアが呆れたように。
「つまり、詐欺だな。」
シエナが苦笑して。
「でも、ちょっとキラキラしてたっすね今のルオさん。」
街に笑いが溶けていく。
昼のプラン通り、
イルカの青が、妙にまぶしく光っていた。
たまたまイルカの絵を欲しい人が裏に店を開いている
ーー
プラン通り【ぷらんどおり】
(Rue Plan)
名詞
① バルメリア市・ソレイユ区の東西を貫く、知識と偏愛の坩堝。
魔導機の部品、古書、印刷機、骨董品が入り乱れ、
通り全体がインクと油の匂いでできている。
魔導大学の学生と商人、修理工と詩人、そして――
妙に熱のこもった早口で語りかけてくる人々が、いつも一定数いる。
② 文化的印象
この通りでは、理論と趣味が区別されない。
収集と研究、推測と妄想、すべてが“考察”として尊重される。
カフェでは論文の草稿とキャラクター同人誌が同じ机で並び、
誰も咎めない。むしろ、それが“知の多様性”と呼ばれている。
魔導印刷所の音が響くたびに、新しい思考と薄い本が同時に生まれる。
③ (俗)
「プラン民」=異常に詳しいのに社会性が低い人々を指す。
彼らは事実上この通りの守護者であり、
部品の相場から禁書の在庫まで、すべての情報を把握している。
また「プラン語り」という名詞は
相手が引くほど専門的な話を始めるという意味で使われる。
〔補説〕
ソレイユ区において、プラン通りは知識の墓場であり、天国でもある。
ここに通う者は皆、自分の興味のために生き、他人の評価を必要としない。
その姿勢が滑稽であるほど、この街は少しだけ静かになる。
――『新冥界国語辞典』より




