第3話 ただのリュシアだ!〜社会勉強中〜③
上では祈りが届き、
下ではツケが回る。
理想を学びに来た聖女と、
現実を生き延びてきた詐欺師。
ふたりが足を踏み入れたのは――
バルメリア最下層、クル・ノワ。
“社会勉強”には、ちょっと刺激が強すぎる街だった
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出発の直前、ギルドのカウンターではミモザが分厚い報告書を抱えていた。
「はいはい、追加情報よォ。犯人の特徴――“猫の獣人”、それも茶トラか三毛だって♡」
ルオが顔をしかめる。
「また猫好きが書いたんだろ、それ」
「やだァ、よくわかったわねぇ。
"片目に傷、鋭い目つき"
“毛並みが艶やか”“肉球がピンク”“しっぽがふわふわ”――って書いてあるの」
「通報じゃなくて観察日記だよそれ……」
リシュアは報告書を手に取って真面目な顔でうなずいた。
「情報が細かいのは良いことだ。信頼性が高い」
「どこがだよ!」
ミモザは肩をすくめ、指先でルオの胸を軽くつつく。
「はいはい、あんたら仲良く行ってらっしゃい。
くれぐれも死なないでねぇ? 保険の処理が面倒になるから♡」
「脅しかよ……」
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バルメリア最下層、クル・ノワの街。
昼でも空が灰色にくすみ、煮詰まったスープのような匂いが漂う。
道端では油の染みた布を売る露天商と、壊れた魔導具を叩き直すノームが並び、
どの建物も息をしているのか、もう死んでいるのか分からない。
その雑踏の中を、ルオとリシュアが並んで歩いていた。
リシュアは真新しいブーツをぎこちなく踏みしめ、
裾の汚れを気にしながら周囲を見回す。
肩までの切りっぱなしのボブに、陽の光を反射する銀色の瞳。
腰には細身の剣が下がり、動きに一分の無駄もない。
対してルオは、くたびれた上着を羽織り、猫背気味に歩く。
上着がめくれた拍子に、中のノースリーブがのぞいた。
左胸には黒い炎のような刺青――
まるで「この街の証明書」でもあるかのように、煤けた肌の上で主張している。
「……なぁリシュア、ここ王宮から歩いて1時間だぜ?」
「信じられん。あの輝く塔と、この灰色の空が同じ街にあるとは」
「まぁ、王都バルメリアってのは上下で別の国みたいなもんだからな」
リシュアは眉をひそめ、川と呼ぶには濁りすぎた水路を見下ろした。
「……魚が泳いでいる。こんな場所で生きられるのか?」
「当たり前だろ。クル・ノワの魚はな、油と錆で育つんだよ」
「それはもはや金属では?」
「焼くとカリカリしてうまい」
「食べるのか!?」
「そりゃ腹減りゃ何でも食うさ。
あの川で釣った魚で“奇跡のシチュー”作る屋台もあるくらいだ」
リシュアは絶句し、ルオはポケットの銅貨を鳴らして笑う。
「胃袋から強くなきゃ生き残れねぇんだよ、この街は」
ふと、欄干の向こうに古びた釣竿が見えた。
帽子を深くかぶった男が、水面をじっと見つめている。
風が止み、濁った流れに泡がひとつ浮かんでは消えた。
その静寂を破ったのは――
「おいコラ! 何勝手に魚取ってんだよ!」という怒号だった。
見ると、川の中に半身を突っ込んで魚を掴んでいる男がいる。
尻尾がピンと立ち、陽の光に茶色と白の毛並みがちらつく。
ルオが目を細めた。
「……あれ、猫の獣人か?」
リシュアが報告書を開き、真面目な顔で読み上げる。
「“毛並みが艶やか”“肉球がピンク”“しっぽがふわふわ”――一致している」
「おい、余分な情報のほうだけ確認すんなって!」
「特徴が詳細に書かれていた。信頼性が高い」
「いや“ふわふわ”のどこに信頼性があるんだよ!」
川の水しぶきを上げながら、
その獣人は魚をわしづかみにして、牙を見せて笑った。
「今日は大漁だニャ!」
ルオは額を押さえて呻いた。
「……猫の獣人なことだけは確定だな!
てか、ちょっと可愛いのやめろ。やりづらいだろ……」
リシュアは無表情のまま剣を抜く。
「可愛いが、罪は罪だ」
ルオは思わず後ずさる。
「その切り替えが怖ぇんだって!」
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ふわふわに信頼性はない!




