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第29話 休日でも仕事でもない午後〜シエナと外出中〜②

ジュール通りを抜けると、光の色が変わった。

ガス灯の影が長く伸び、店先のガラスに夕陽が反射して金色に揺れている。

そこが――《クレール通り》。

“芸術と欲望が最も近い通り”と呼ばれる、モンマールの心臓部だった。


画廊には、絵画・宝飾・香水瓶・魔導ランプ。

どれも“本物”と“偽物”が混じっている。

むしろ、この街では“見分けがつかないものこそ高く売れる”。


シエナが目を瞬かせる。

「なんか……やたら人がいますね。」


「今、絵画の投機が流行ってる。」

ルオが通りの喧騒を眺めながら答える。

「“感性”ってやつが、一番高く売れる時代らしい。」


「へぇ〜、ルオさんは手出さないんすか?

 こういう話、好きそうなのに。」


ルオは軽く笑って、ポケットに手を突っ込んだ。

「こういうのは、資本がでかいやつが勝つ。

 ……俺は“逆転の目”を探してるところだ。」


シエナが少し笑う。

「また、なんか悪いこと考えてる顔してるっすね。」


シエナが首を傾げる。

「……絵って、なんでこんなに高いんすか?

 どれも似たように見えるし、額縁の方が立派っすよ。」


ルオが笑う。

「値段は“描いたやつ”じゃなく、“見たやつ”が決めるんだ。

 つまり、見る方の欲望が高いほど、高くなる。」


「欲望の値段っすか。深いようで浅いっすね。」


シエナが肩をすくめて歩き出した、その時。

通りの奥の屋台で、一枚の絵が目に入った。


青と白が溶け合う幻想的な海。

光が実物よりも明るく、波がほとんど発光しているように見える。

その中央で、二頭のイルカが空へ跳ね上がり、

まるで月光をまとって微笑んでいるようだった。


見る者を包み込むような輝き――けれど、どこか嘘くさい。

“綺麗すぎる”という不自然さが、逆に人を惹きつけていた。


「ルオさん、あれ……安すぎないっすか?

 “原画・一点もの”って書いてるのに、銀貨三枚って……」


ルオが目を細め、口の端で笑う。

「……へぇ。こういうのを“見る目の試験”って言うんだよ。」


シエナが不安げに。

「これ、また“詩人詐欺”みたいなヤツっすか……?」


「さぁな。詩が“言葉の詐欺”なら、絵は“光の詐欺”だ。

 ……この通りに似合ってるじゃねぇか。」


「なんか気になる絵っすね…イルカの絵。いい絵にも見えるし、お土産屋さんにありそうにも思えるっす…」


夕陽が傾き、街のガス灯が一つ、また一つと灯り始める。

クレール通りの名の通り、街全体が“光に照らされた嘘”で満ちていた。


坂道を登るにつれて、街の喧騒がやわらいでいった。

石畳の路地のあいだから、ちらり――と光がのぞく。

それは、建物の隙間から覗く《ルーメン・タワー》の灯。


「……あっ、見えたっす! あれ、塔っすよね!?」


シエナが指さして、子どものように目を輝かせた。

夜風に髪が揺れるたび、その瞳の中の光もまたきらめく。


ルオは穏やかに笑いながら頷いた。

「まだ全部は見えてない。もう少し先にいこう」


石造りのアーチを抜けると、路地が緩やかに上へと伸びていた。

二人の靴音が、石畳にリズムを刻む。

通りの明かりが途切れ、ふと開けた場所に出た。


そこに――塔があった。


《ルーメン・タワー》。

白い骨格が夜空を切り裂き、螺旋状の魔導灯が流れるように点滅していた。

塔の周囲には霧のような光が漂い、谷の底まで淡い金を落とす。

まるで街全体が一つの心臓のように、光と呼吸をしているようだった。


「……すごい……。」


シエナが息をのんだ。

その顔が、塔の明かりを映して輝いている。


「きらきらっす…想像以上にきらきらっす!!」


ルオは少し笑って答えた

「おまえの顔も、負けないくらい"きらきら"だな

もう少し近づいてみるか」


た。


「……人混みっすよ?」

「そうだな。……迷子になるなよ。」


彼の手が軽く引く。

シエナの肩が触れ、指先が触れた。

光の粒が、二人の間を流れるように舞う。


「また……いつか、もう一度来れるっすか?」


ルオは少しだけ笑った。

「……期待してるのか?」


「え、まぁ……希望っすね。」



「…期待と希望。か…」


「シエナ、今日お前とここに来れて……よかった」


シエナは少し照れたように笑った。

「……ルオさん、どうしたんすか。そんな素直に言うなんて。」


ルオの口角がゆるく上がる。

「……今、わかったんだよ。」


彼は夜空を見上げた。

《ルーメン・タワー》の光が雲を割り、

街の一角を金色に染めていた。


「人は、一度手にした光をもう一度見たくなる。

 一度触れた温もりを、もう一度感じたいと思う。

 “もう一度”――それが、希望の正体だ。」


言葉が、熱を帯びる。

シエナは思わず立ち止まった。


「誰だって、“また会いたい”“もう一度笑いたい”と思う。

 その想いが人を動かす。

 それを信じる限り、世界は何度でも回る!」


ルオの声が夜空を震わせた。

塔の光が瞬き、通りの空気が少し揺れたように感じた。


「そうだ……“再び”を望む心は、最大の資産だ!

 人は未来を買う。明日を信じる。

 ならば、その“期待”を形にすれば――」


彼は拳を握りしめ、

まるで神に宣誓するように言い放った。


「……誰もが、喜んで騙される!思いついたぞ、次のスキームを!!」


シエナが目を丸くした。

「……ルオさん。」


「“もう一度”を売るんだよ。出会いでも、夢でも、光でもいい。

 人が信じたくなるものを――何度でも、だ。」


「……デートで詐欺のネタ思いつくなんて、最低っす!!!」


「ちがう! 商機だ!!」


「それが最低なんすよ!!!」


そして急に真顔に戻り、

「――よし、準備に取りかかるぞ。」


「……え?」


「構想は固まった。今夜のうちに試算して、明日には資料だ。」



そう言いながら歩き出すルオ。

《ルーメン・タワー》の光が背中に差し、

その影をクル・ノワの暗がりへと伸ばしていく。


シエナはその背を追いながら、

小さく笑った。


「ま、でも――楽しそうなルオさんも嫌いじゃないっす。」


夜風が吹き抜け、塔の光が静かに瞬いた。


首都高の芝公園周りが好きっす


ーー


クレール通り【くれーるどおり】

(Rue Clair)

名詞


① バルメリア市・ベル・モンマール地区の中心を貫く、最も眩しく、最も虚構的な大通り。

 劇場と画廊、香水店と宝飾商が立ち並び、

 魔導灯と硝子の反射が折り重なって、

 通り全体が一枚の舞台装置のように輝いている。

 人々はこの通りを「光の演技場」と呼ぶ。


② 文化的印象

 クレール通りの美しさは“真実”ではなく“演出”にある。

 芸術も商売も恋も、すべては舞台照明の延長線上で語られる。

 ここでは「語る」ことよりも、「どう見えるか」が重要であり、

 沈黙よりも、姿勢が雄弁である。


③ (俗)

 「クレールに出た」という言葉は、

 人前に姿を現す・表舞台に立つという意味で使われる。

 また「クレールの光を浴びた」と言えば、

 社会的に脚光を浴びた、または見栄えを整えられた状態を指す。

 それは称賛であると同時に、皮肉でもある。


〔補説〕

 バルメリアにおいて、光は祝福ではなく演出の技術である。

 ジュール通りが“囁きの場所”なら、クレール通りは“見せるための沈黙”の場所。

 この街で最も明るい場所ほど、真実は遠ざかる。


――『新冥界国語辞典』より

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