第28話 休日でも仕事でもない午後〜シエナと外出中〜①
モンマール区の午後。
白い石畳が光を反射し、風に香水と焼き菓子の匂いが混じる。
坂道の向こうには劇場の尖塔、馬車の鈴の音。
ルオとシエナが並んで歩いていた。
休日でも仕事でもない――そんな微妙な時間。
シエナが屋台の冷たい飲み物を両手で持ち、
嬉しそうにストローをくわえる。
「やっぱモンマールって上品っすね。
ソレイユとは空気の値段が違うって感じっす。」
「空気の値段も税金比例するのかもな」
「うわ、急に現実的っすね。」
笑いながら数歩進んだあと、
シエナがふと足を止め、横目でルオを見上げた。
「……でも、こうやって歩くの、なんか新鮮っすね。
仕事抜きで外出って、初めてじゃないっすか?」
通りの向こうに目をやった。
「……まぁ、調査の一環だな。」
「調査?」
「人の流れと、詐欺の流行を見に来ただけだ。」
シエナが頬をふくらませ、
ちょっとだけ唇を尖らせる。
「……デートみたいっすね。」
ルオの歩みが、ほんの一瞬止まる。
そして、何気ない声で答えた。
「デートだろう。」
「――えっ!?」
シエナの声が裏返り、
手に持っていたカップが小さく揺れた。
「きっちり仕事ってわけじゃなく、男女が並んで歩いてたら立派にデートだろ?」
ルオは笑いながら、ただ前を向いて歩き出す。
「日記のタイトルに“外出調査”って書くと味気ないからな。」
「ずるいっす……その言い方、ずるすぎるっす……!」
「でも、いつもより歩くスピード遅いっすよ。」
「……坂が急なだけじゃないか?」
「嘘だ〜! 優しいスピードっす!」
ルオは思わず吹き出し、頭をかいた。
「優しいスピードってなんだよ……」
モンマールの坂を抜けると、ひときわ賑やかな通りに出た。
《ジュール通り》。
昼と夜のあいだに生きる街、バルメリアの中でも――最も“口の上手い人間”たちが集まる場所だ。
通り沿いには詩人、画家、奇術師、そして物売り。
誰もが自分の言葉や絵や魔導小物に値札をつけ、
「心に響いたら銀貨一枚」と言いながら客を引く。
空にはガス灯の骨組みが伸び、
紙切れに書かれた詩が、風に乗って舞っていた。
街角では路上詩人が朗読し、
香辛料の匂いと古本の紙の匂いが混ざり合う。
シエナがきょろきょろと辺りを見渡した。
「……ここ、なんかソレイユの屋台よりカオスっすね。
詩人が並んでるのに、声のボリュームが営業っぽいっす。」
ルオが口の端を上げる。
「芸術と商売の境目なんて、バルメリアじゃ髪の毛一本だ。
詩人も詐欺師も、どっちも“言葉で食ってるしな。」
シエナが笑いながら肩をすくめる。
「そりゃ確かに……でも、ちょっとワクワクするっすね。」
ルオは軽く頷き、手すりにもたれながら通りを眺めた。
風に舞う詩の切れ端が、陽の光を反射してふわりと輝く。
まるで言葉そのものが、この街の通貨みたいに――
人の間を飛び交っていた。
ルオが人だかりを見ながら、小さく笑った。
「……あの幽霊詩人を思い出すな。」
シエナが目を瞬かせる。
「え、あの全女性の敵ゴーストくそジジイのことっすか? 屋敷で燃えたやつ。」
「だいぶ上乗せされてるな。…そう。あいつもここ出身だったそうだ。ジュール通りの人気詩人でな。
“言葉は魂を縛る鎖”とか言って……詩で人を泣かせて、金を取ってた。」
シエナは少し遠い目をして、
「あの時……ルオさん、詩を読んだっすよね」
ルオは目を細め、照れ隠しに笑った。
「あれは"演出"だな。ロマンチックに言った方が、説得力が上がる。」
「……でも、あの時ちょっとドキッとしたっす。」
「ん?」
「“演出"ってわかってるのに、なんか……ズルい言い方するっすよね。」
ルオが肩をすくめ、少し照れくさそうに笑う。
「言葉ってのは、真実よりも“響き”が勝つんだ。
バルメリアじゃ、それを詩って呼ぶ。」
風が通りを抜け、紙切れに書かれた詩が二人の足元に落ちた。
そこには震える筆跡で、こう書かれていた。
“嘘でもいい、誰かに届けば本物になる。”
シエナはその一行を見つめ、ふっと笑った。
「……詩人も、詐欺師も、結局ロマンチストっすね。」
ルオは前髪をよけ、両手をポケットに突っ込んで
「そうだな。」
とだけ答え、風に飛ばされる紙を見送った。
優しいスピード。お気に入り。
ーー
ジュール通り【じゅーるどおり】
(Rue Jule)
名詞
① バルメリア市・ベル・モンマール地区の中でも、最も静かにきらめく裏通り。
表通りの喧噪からわずか一本入っただけで、
通りは音を吸い込むように落ち着き、灯りは琥珀色に沈む。
古いカフェと洒落たバー、政治家と詩人が肩を並べる密談の店が並び、
契約も恋文も、ここでは同じ声量で交わされる。
② 文化的印象
金と理想、官僚と芸術が同じテーブルに座る稀有な場所として知られ、
夜が深まるほどに言葉が値を持つ。
街の人々はこの通りを、
**「真実と嘘が同額で取引される場所」**と呼ぶ。
③ (俗)
政治家が「少しジュールで話そう」と言うとき、
それは会議ではなく取引を意味する。
また、恋人同士が「ジュールで会う」と言うとき、
それは別れの約束を示すこともある。
〔補説〕
バルメリアにおいて“夜の秩序”を保つのは、法でも教会でもなく、
この通りの暗黙の礼儀である。
誰も叫ばず、誰も問わず、ただ杯の音だけが正直に響く。
――『新冥界国語辞典』より




