第24話 気のせい不成立〜退去勧告中〜③
幽霊は、静かに宙に漂いながら言った。
「『……わしがこの家を手放せぬ理由を、話してもよいか。』」
ルオが眉を上げる。
「勝手にどうぞ。あと五分だけな。」
幽霊は遠い目をして、ゆっくり語り出した。
「『この屋敷は、わしが愛した人から贈られた。
モン・ヴァロンの貴族の娘――詩人であり、画家であり、夢見がちな女だった。
観劇で出会い、言葉を交わした。
互いに詩を贈り合うようになり、気づけば心を奪われていた。』」
屋敷の中を風が通り抜ける。
壁の絵がかすかに揺れ、埃が金の粒のように光った。
「『身分の違いで結ばれることは叶わなかった。
だが彼女は、わしにこの屋敷を与えたのだ。
“あなたの魂がこの家にある限り、住み続けて良い”――
契約書の隅に、そう詩を添えて。』」
リシュアが小さくつぶやく。
「……契約書に詩を?」
「『ああ。わしらにとって詩は、愛であり、約束だった。』」
シエナがしみじみとうなずく。
「……なんか、泣けるっすね。
家ごと愛をくれるとか、もう芸術の域っす。」
幽霊が、微笑を浮かべて続ける。
「『……“あなたの微笑は春の鐘――”』」
その瞬間、ルオの低い声が割り込んだ。
「“夜を越えてわたしを照らす。
この胸の鼓動が止む日まで、
あなたの影に寄り添いたい。”」
幽霊がぴたりと固まる。
詩の続きを、完璧に、抑揚まで同じ調子で言い終えられていた。
リシュアが目を見開き
「……思いのほか落ち着く声だ。お前そんなこともできるのか…」
シエナがぽかんと口を開ける。
「え、ルオさん……覚えてるんすか……? 詩とか読めるタイプだったんすか……?」
幽霊は困惑したまま、震える声で。
「『な、なぜその詩を……!? あれはわしと、彼女しか――』」
ルオが冷たく遮る。
「観劇の話で思い出した。
こいつは教科書に載るレベルのロマンス詐欺師だぞ。」
シエナが目を丸くする。
「は?どういうことっすか。」
ルオは淡々と告げた。
「“ジョルジュ・ロル”。二百年前の詩人詐欺師。
観劇で女にハンカチを拾わせて、この詩を贈る。
同じ文面を十人以上に送って、全部信じさせた。
…禿げてるところ以外は面影があるな」
幽霊の顔が一瞬で青ざめる。
「『ま、待て! わしは本気だった! 本気だったのは彼女だけ――!』」
「はあああああぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
屋敷が震えるほどの叫び。
シエナはテーブルをバンッと叩いた。
「何言ってんすか!? “君だけ特別”とか、言い訳まで量産型っよ!」「感動返せ、このゴーストクズ!!」
リシュアも冷たい声で。
「……死んでなお女を口説くのか。業が深いな。」
幽霊は慌てて手を振る。
「『ち、違う! 他のは…その……詩の練習じゃ!』」
「練習!? は!? 女使って詩の練習!? それが一番タチ悪いっすよ!!」
リシュアが冷たく吐き捨てる。
「感情を“試作”するな。人の心を草稿扱いか。」
幽霊はだんだん逆ギレしてくる。
「『わしは罪など犯しておらん! 詩を贈っただけじゃ! 詩は自由だ!』」
「詩も恋愛も自由だが、詐欺は普通に犯罪だ」
幽霊が必死に抗弁する。
「『だが! 契約書は本物じゃ! 譲渡も正当に行われた!
“あなたの魂がある限り”と明記されておる!
わしの魂は今なおここにある!
詩であれ、恋文であれ、印章がある!契約は契約じゃ!』」
シエナが半眼で。
「開き直りやがったっす!!」
ルオが前髪を避け、冷静に。
「……水掛け論だな。
"善意の"第三者を入れて、後日話し合いにしよう。」
シエナが怒鳴った。
「そんなっ!ルオさん、こんなクソじじいゴーストいますぐ追い出してほしいっすよ!!」
ルオは口の端だけで笑い、いつもの皮肉っぽい声で答えた。
「おいおい、それは地上げ屋のやり方だ。……俺たちはもっと、上品にやる。
ほら、“言葉”ってのは武器にも絆にもなる。幽霊だって、話せば案外わかり合えるかもしれない。」
リシュアが眉をひそめる。
「……らしくないな。穏やかすぎる。絶対何かロクでもないことを企んでいるな…」
幽霊はふてぶてしく笑った。
「『結局、契約は有効じゃろう! 愛された証じゃ! 十人にな!』」
灯がふっと揺れ、
ジョルジュ・ロルの薄笑いが闇に消えた。




