第23話 気のせい不成立〜退去勧告中〜②
「で、でたーーーっ!!」
シエナの絶叫が屋敷中に響いた。
チュロは悲鳴を上げて廊下の奥に逃げ、リシュアはこめかみを押さえる。
薄暗い玄関の先――
そこに立っていたのは、七十を越えた細身の男。
上質なコートに、神経質そうな眉。
若い頃はさぞ整っていたのだろう。だが今は頭頂が心許なく、そして――うっすら透けていた。
「頭も体もすけてるっすー!!」
幽霊は、わずかに顎を上げて言った。
「『ここは、わしの邸宅だ。勝手に入り込んで好き勝手にするとは、不作法にもほどがある。』」
ルオは鼻で笑った。
「気のせいだ。“幻影不介入”
見る側が認めなければ存在しない。法でもそう決まってる。」
シエナが手を上げる。
「出たっす、“最強の呪文”!」
幽霊は、わずかに肩を揺らして笑った。
「『……おぬしの言っとるのは一審の話しじゃろう?』」
ルオが片眉を上げる。
「ほう?」
「そこまで知っとるなら『“ヴァレスト商会 対 ルーミエ邸”の最終的な判決を知らんとは言わせん。
一審では、“見る者が認めなければ存在しない”と裁かれた。
だが二審で覆ったのじゃ。』」
リシュアが少し身を乗り出す。
「……あの“幽影邸事件”か。」
幽霊は誇らしげに続ける。
「『控訴審では、売主であるヴァレスト商会が“幽霊屋敷”として新聞や観光案内に広告を出していた事実が認定された。
つまり、商会自身が“幽霊の存在”を宣伝し、利益を得ておったということじゃ。』」
シエナが目を見開き面白そうに頷く。
「……で、あとになって“やっぱり幽霊はいません”って言ったわけっすね!」
「『そう。裁判所はそれを“禁反言”と判断した。
すなわち、“幽霊がいる”と宣伝して金を取った者は、その存在を否定する資格を持たぬ。』」
チュロがぽかんと口を開けた。
「じゃあつまり……」
幽霊は口角を上げて、静かに告げた。
「『――法的にも、幽霊は存在する。』」
しばし沈黙。
風が屋敷の廊下を抜け、埃を揺らした。
リシュアが低くつぶやく。
「今更すけど幽霊と普通に言い争ってるのヤバすぎるっす!」
ルオは肩をすくめ、苦笑した。
「……知ってやがったか。」
幽霊は得意げに胸を張る。
「『わしが生きておった頃は、毎日のように報道されておったからのう。』」
シエナが素っ頓狂な声を上げた。
「現役世代っすか!? そのニュース見てたんすね!?」
ルオはひとつ息を吐き、書類の束を取り出した。
「……わかった。一審の負けは認めよう。」
幽霊がわずかに目を細める。
「『殊勝なことを言う。』」
「しかし会話ができるなら、話が早い」
ルオは羊皮紙を広げ、〈王都公証院〉の赤い封蝋を示した。
その手つきは、まるで官庁の査察官のように正確だった。
「この家はいま、俺が正式に所有している。
譲渡契約は公証院立会いのもと締結済み。
登記もすでに〈中央地籍台帳〉に登録されている。」
幽霊は眉をひそめる。
「『だから、どうした。』」
ルオは淡々と答えた。
「法の上では、この邸宅の所有権は完全に移転している。
したがって、〈王国民法 第六十二章〉に基づき、
“正当な権原を有せぬ占有者”に退去を命じることができる。」
「……つまり、あんたに立ち退いてもらう必要がある。」
その瞬間、空気が止まった。
リシュアがこめかみを押さえる。
「……ルオ、お前、自分で何言ってるかわかってるか?」
シエナは半笑いで。
「いやいやいや、“幽霊に退去勧告”っすか!? そんなの聞いたことないっす!」
ルオは真顔のまま頷く。
「当然だ。法の下では“居住者”に区別はない。」
リシュアがため息をつく。
「……死者も納税義務者扱いか?」
ルオは少し考え、さらりと返す。
「固定資産税を払っていないなら、なおさら退去の理由になる。」
シエナがぽかんと口を開けた。
「ぜ…絶妙に会話が成立してないっす…」
それでもルオは構わず、静かに宣言した。
「——正式に告げる。十四日以内に明け渡すこと。
期限を過ぎれば、強制執行の手続きを取る。」
リシュアが目を細めた。
「……お前、本当にやる気か?」
幽霊は一瞬だけ沈黙し、やがて苦笑した。
「『……ふむ。わしを法で追い出そうとは、実に珍しい。だが、いいだろう。』」
シエナが小声でぼやく。
「幽霊もノってきたっす……この街やっぱ頭おかしいっすね。」
頭が透けてるって自分で書いててひでぇなって。
ーー
幽霊邸事件2審【ゆうれいていじけん2しん】
名詞
① ヴァルメリア司法史上でもっとも奇妙な不動産訴訟。
通称「幽霊屋敷裁判」。
ヴァレスト商会が販売した邸宅に“幽霊が出る”との苦情が発端となり、
買主ルーミエ家が“実在しないものを売った”として訴えを起こした。
② 一審では「見る者が認めなければ存在しない」との判断から、
幽霊の存在は否定され、商会側が勝訴。
しかし二審では、商会自身が“幽霊屋敷”として広告を打ち、
観光収益を得ていた事実が明るみに出た。
裁判所はこれを**禁反言(estoppel)**の原則に基づき、
「幽霊の存在を宣伝して金を得た者は、その存在を否定できない」として判決を覆した。
③ 結果として、バルメリア高等法院はこう結論づけた。
> 「法的にも、幽霊は存在する。」
以後、この判例は**「幽霊存在確定判決」**として語り継がれ、
類似の案件では“感情的価値の実在”を主張する者の強力な前例となった。
〔補説〕
この事件以降、バルメリアでは“幽霊付き物件”が人気を集め、
不動産広告には「幽霊保証つき」「怨念オプションあり」といった文言が常態化した。
司法は理性を失わなかったが、市場はすぐに狂気を理解したのである。
――『新冥界国語辞典』より




