第21話 持続可能な社会貢献〜入居者募集中〜⑤
ギルドの午後。
薄暗いランプの灯の下で、ルオ・リシュア・シエナが机を囲んでいた。
机の上には金貨の山と、まだ乾ききらない契約書。
シエナが目を輝かせた。
「いや〜、今回も完璧っすね!
“音楽家の邸宅”、めっちゃ高値で売れたっす!」
ルオは満足げに腕を組んだ。
「“再生資産のリデザイン事業”、順調そのものだな。
埃も噂も、磨けば価値になる。」
リシュアがため息をつく。
「……悪い噂まで金にするとは。」
そのとき、ギルドの扉が勢いよく開いた。
買主が真っ赤な顔で飛び込んでくる。
「貴様らッ! どういうつもりだ!!」
シエナが肩をすくめた。
「うわ、怒ってるっすね……」
男は机を叩き、怒鳴った。
「“音楽家の邸宅”だと!? 冗談じゃない!
地区中に知れ渡っている“モンマールの幽霊屋敷”だ! 資産価値が暴落する! 契約解除だ!」
ルオは椅子をくるりと回し、穏やかな笑みで立ち上がった。
「いやぁ……そりゃ驚いた。幽霊屋敷なんてあるんですねぇ…
モンマールの噂なんて、クル・ノワまで届かないんですよ。
天と地ほど離れてますからね。」
「天と地ほど離れてるだとっ!?同じ市内だろうっ!」
「クル・ノワ地区じゃあ、一生ここから出ないで暮らすやつも珍しくない。橋を渡るか渡らないかで別世界なんですよ」
「新聞にも観光案内にも載ってるじゃないか!!」
ルオは肩をすくめた。
「観光案内なんて、観光客か田舎者しか見ませんし
新聞? クル・ノワじゃ焚き付けの燃料以外に使い道はありませんよ。読んでるやつなんて、一人もいません。」
リシュアがぼそり。
「……どの口が…朝読んでたじゃないか…」
男は怒りをあらわにした。
「中央大審院に訴えてやる! こんな詐欺が許されるか!」
ルオは軽く手を上げて制した。
「おお、いいですね。ぜひ“幻影不介入”を引き合いに出してください。」
「……なんだそれは。」
ルオはゆっくりと歩きながら、まるで弁論のように語る。
「昔、バルメリア中央大審院で判例があったんです。
《ヴァレスト商会 対 ルーミエ邸(通称:幽影邸事件)》。
買主が“幽霊が出るから取り消したい”と訴えた。
でも――裁判所はこう言った。
『幻影に法は介入せず。存在しないものに告知義務は生じない』。」
買主がたじろぐ。
ルオは淡々と続けた。
「つまり、“幽霊がいる”と証明されない限り、法的には“いない”んです。
“いないもの”を知らせる義務なんて、どこにもないでしょう?」
リシュアが小声で呟く。
「……理屈の暴力だな。」
ルオは笑って続ける。
「あなたは“幽霊が出る”とおっしゃる。
でも、私は見てませんし、聞いてもいません。
あなたが“いる”と言う。私は“いない”と言う。
――その時点で、もう幻影は“証拠不十分”です。」
男は言葉に詰まる。
ルオは優しい声で畳みかけた。
「それに、もし本当に幽霊がいたとしても――
それは“恐怖”じゃなく“伝統”ですよ。
何代も人が暮らし、音が残り、記憶が染みついている。
それを“幽霊”と呼ぶか、“歴史”と呼ぶか。
それを決めるのは、買った人の感性です。」
男は戸惑いながらも聞き入ってしまう。
ルオはさらに微笑んだ。
「幻影不介入――それは、“見えないものに価値を与える自由”のことでもある。
あなたが幽霊を恐れるなら損をし、
誇りに思うなら得をする。
――それだけの話です。」
買主は怒気を失い、少しだけ苦笑した。
「…そう言われると…悪い気はしないかもしれん」
「ルオさん、のってきたっすね!」
シエナが笑った
ルオは片手を上げて笑った。
「ありがとうございます。
法も商売も、“信じた方が負け”ってわけじゃないんでね。」
男はすっかり丸め込まれ、どこか納得したように帰っていった。
静けさの中、リシュアがため息をつく。
「……幻影不介入。新聞を読まないやつが知っているものか…」
シエナが笑う。
「“幽霊はいないというのに幽霊で儲ける男”っすね。」
ルオはにやりと笑った。
「“いない”からこそ、貴重で売れるんだよ。」
幽霊はいない派。UFOは見たことある派っす
ーー
幻影不介入【げんえいふかいにゅう】
名詞
① 「存在しないものには法は及ばない」という、バルメリア中央大審院で確立した法理。
初出は百年前の《ヴァレスト商会 対 ルーミエ邸》――通称“幽影邸事件”。
買主が「幽霊が出る」として契約の取り消しを求めたが、
裁判所は次のように判示した。
「幻影に法は介入せず。存在しないものに告知義務は生じない。」
② 法的意義
以降、“存在が証明されないもの”については一切の告知義務が免除されることとなり、
曰く付き物件や旧施設の取引における“万能の盾”として機能した。
その結果、「幽霊が訴えに来ない限り無罪」という実務的慣習が定着する。
③ 運用と拡張
本来は心霊案件に限定された法理だったが、
この判例以降、原因不明・責任所在不明・調査困難など、
行政や企業が説明を避けたい場面でも多用されるようになった。
役人のあいだでは「それ幻影不介入でいこう」が
“面倒な案件を棚上げする合言葉”として定着している。
〔補説〕
法学者の間では、“法の限界を示した厳粛な判例”とされているが、
当時の裁判官が**「ただ面倒だっただけ」という説も根強い。
いずれにせよ、この一文が
バルメリアにおける最も便利な放棄の詩句**となったのは確かである。
――『新冥界国語辞典』より




