第19話 持続可能な社会貢献〜入居者募集中〜③
朝のヴィリエ宅
扉は開け放たれ、埃と水音が入り混じっていた。
チュロと弟たち――通称チュロズ――が、モップと雑巾を振り回している。
「ルオー! 壁、抜けたよ!」
「“通気性の改善”だ、問題なし!」
「天井から水出てるよ!」
天井から、ぼたぼたと水が落ちていた。
チュロがダクトテープを握って笑う。
「もう直したよ!」
ルオは見上げて、軽く頷いた。
「見えなけりゃ大丈夫だろ。」
リシュアが眉をひそめる。
「それを“環境に優しいローコスト修繕”とか言うの、やめろ。」
ルオは肩をすくめた。
「お、その発想いいな!手抜きも一種のエコフレンドリーだな!」
「……都合の良すぎる解釈の仕方だな」
ルオは笑ってモップを回す。
「だからこそ、俺たちの仕事があるってもんだ。」
リシュアが深いため息をつく。
「……今日も絶好調だな、お前。」
⸻
少し経って、廊下の影からチュロが顔を出した。
「ルオ、これ拾ったよ!」
小さな手には、黒い財布と古びた契約書。
リシュアが眉をひそめる。
「……拾った? どこで。」
「床の上!」
「床の上?」
「机の下!」
「机の下?」
「……床の下の、机の下!」
「そんな場所があるか。抜いたんだろう。」
チュロは慌てて耳を伏せた。
「ちがうよ! 落ちてたの! 重力がやったんだもん!」
「重力を共犯にするな。」
ルオは苦笑しながら財布と書類を受け取った。
「……不動産屋のやつだな。昨日のカバンと同じ革だ。」
「返してくる?」
「いや、あとでいい。こういうのは“タイミング”が大事だ。」
リシュアが睨む。
「悪用する気じゃないだろうな。」
ルオは軽く笑って手を振った。
「まさか。少し“整理”するだけさ。」
「また始まった……。」
ルオは壁にもたれ、指を鳴らした。
「昨日の会話で分かったんだ。
あのタイプは、真面目で誰よりも働く。
けどな、働きすぎて周りを信用できなくなる。
“任せられない”のも責任感じゃなくて、ただの不安だ。
つまり、焦ってる。焦ってる奴は、提案に弱い。」
リシュアが呆れたように言う。
「……お前とは、安心して世間話もできないな。」
ルオは笑って肩をすくめた。
「雑談が一番、財布の口を緩めるんだよ。」午後。
不動産屋が再び屋敷を訪れた。
昨日より少し疲れた顔で、それでも丁寧に帽子を取る。
「いやぁ……まさか本当にここまで綺麗になるとは。」
ルオは笑顔で迎えた。
「人も家も、磨けば光ります。
――見る目がある人の選んだ物件だからこそですよ。」
不動産屋は少し照れたように笑った。
「……そう言われると、救われますね。」
昨日、お話してて思ったんです。
あなたみたいな方は、最後まで“自分の目で見届けたい”タイプだ。
人に任せず、自分の責任で仕上げたい。
お金ももちろん大事ですけど――あなたは、“金額よりも責任の形”を気にする人だ。
そこが、誠実さですよ。
だからこそ、長く抱えて悩むより、きれいに区切りをつけた方がいい。
“納得して手放す”ことの方が、あなたにとって一番価値があるはずです。
高く売るより、正しく終わらせる――そういう人のほうが、信頼されるんですよ。」
不動産屋は少し驚いたように目を瞬かせた。
「……まぁ、そうかもしれません。」
ルオは穏やかに笑った。
「そういう人が扱う家は、信頼できます。
この家を次に渡すときも、“きれいな形で終わらせたい”と思ってるはずです。
だから、俺は――あなたのような人と取引したいんです。」
不動産屋は静かに頷き、少し目を細めた。
「……あなた、不思議な人ですね。
口がうまいのに、嫌な気がしない。」
ルオは肩をすくめて笑う。
「口だけで動くなら、世の中もっと平和ですよ。」
リシュアが小声でぼそり。
「……薄っぺらすぎる平和だな…」
不動産屋は小さく笑い、サインをした。
「分かりました。あなたに任せましょう。」
ルオが手を差し出す。
「誠実な取引、ありがとうございます。」
⸻
契約がまとまり、不動産屋が帽子をかぶり直す。
そのとき――玄関からチュロが飛び出した。
「ねぇ! これ落ちてたよ!」
小さな手の中に、あの財布と契約書。
不動産屋は目を見開き、
「――ああ! それ、私の!」と笑顔を見せた。
チュロは胸を張る。
「拾っただけだよ! 本当だよ!」
不動産屋は笑いながらチュロの頭をなで、
ポケットから飴を取り出して渡した。
「ありがとう。助かりました。えらいね。」
チュロが駆け戻ってくる。
「ほらね! ご褒美もらえた!」
飴玉と、小銭を誇らしげに掲げる。
リシュアが目を細める。
「……その小銭は?」
チュロはにへらと笑う。
「重力がやったんだもん!」
ルオは吹き出しながら言う。
「ほらな。信用は拾うもんだ。金は、転がってくる。」
ご褒美のくだり可愛くて好きっす。
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エコフレンドリー【えこふれんどりー】
形容動詞・名詞
① 本来“環境に優しい”を意味する外来語。
だがバルメリアにおいては、主に手抜きや怠慢を上品に言い換える語として用いられる。
② 語義の転化
資源や労力を“節約”する行為がいつの間にか“環境配慮”と呼ばれるようになった結果、
怠け者が“持続可能な人材”として評価される風潮が定着。
そのため、「何もしない」が最も環境に優しい行為とされる。
③ (俗)
手抜きの新しい言い方。
例:「掃除サボった?」「いや、今日はエコフレンドリーにしただけ。」
〔補説〕
この言葉は、“努力の削減を美徳に変える魔法の言葉”として広く浸透しており、
官庁の報告書から主婦の言い訳まで万能に使われる。
バルメリアの市民の間では、**「怠けても怒られない唯一の呪文」**とされている。
――『新冥界国語辞典』より




