第18話 持続可能な社会貢献〜入居者募集中〜②
モンマール区。
今も文化と政治と金融の中心。
人の足取りは洗練され、空気まで値札がつきそうな場所だ。
そんな街のはずれに、ひときわ古びた屋敷がある。
ヴィリエ亭。
建築様式はティンダール式。
黒い木骨と白漆喰の格子構造、厚いスレート屋根には苔が生え、
まるで時間が呼吸をやめたようだった。
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屋敷の前で迎えた不動産屋は、スーツの裾を引っ張りながら言った。
「……まさか“ルオ・ラザール”さんご本人が来られるとは。
新聞で拝見しましたよ、“縁天詐欺”の。」
ルオは笑顔で両手を広げた。
「おいおい、やめてくれよ。あれはもう“過去のブランド名”だ。
だが、ブランドってのは“信用”の裏返しだろ? つまり俺は信用に詳しい。
怪しい取引の匂いに敏感で、裏を嗅ぎ分ける鼻がある。
詐欺師が安全を買うってことは、逆に安全ってことだ。」
不動産屋は目を瞬かせた。
「……いや、その理屈、妙に筋が通ってるような……。」
「通ってなくても“通ってる気がする”のが交渉のコツさ。
お互い得する話をしよう。いや、そっちが一方的に得してもいい。
俺は、あなたがこの“厄介な在庫”を綺麗に片付ける手伝いがしたいだけだ。」
不動産屋が思わず苦笑する。
「……口が回りますね。――わかりました、まずは中をご案内しましょう。」
後ろでリシュアがため息をついた。
「お前の“正しい経済活動”は、毎回ろくでもない方向に傾く。」
「査定だよ、査定。使われてないものを、もう一度動かすだけさ。
“眠ってる資産を市場に還す”――持続可能な未来だろ?」
リシュアは眉をひそめる。
「……今、適当に言葉並べただけだろ。」
「かもしれない。でも流行語を使うと信用度が三割上がるんだ。」
不動産屋が咳払いをした。
「ええ、その……“例の件”はお聞きになってますか?」
「“例の件”?」
ルオが首をかしげると、不動産屋は声を落とした。
「……出るんですよ。」
空気がひやりと凍る。
「何が?」
「……足音です。昼間でも、二階の廊下をコツコツと。
夜になると、誰もいないのにラップ音が。
誰も近づかない理由も、それでしてね。」
シエナが顔を青くした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! そういうの苦手なんすけど!」
ルオは笑いながらポケットに手を入れた。
「まぁまぁ聞け、シエナ。お前、隕石にぶつかったことあるか?」
「え、ないっすよ?」
「幽霊を見たことは?」
「ないっすけど。」
「だろ? 道を歩いてて隕石に当たる確率はおよそ160万分の1だ。幽霊は存在するか不確かだが、隕石は存在するな?つまり、幽霊が存在しても“当たる確率”は隕石より低い!」
シエナが眉をひそめた。
「……それ、なんか説得されそうでムカつくっす。」
ルオはさらに畳みかける。
「隕石にビビって家でヘルメット被ってるやつがいたらそいつをどう思う?」
「そりゃ……頭が悪いっすね。」
「だろ? 幽霊に怯えてチャンスを逃すのも同じことだ。
存在するかどうかより、“確率”で考えろ。」
不動産屋は苦笑しながらも、どこか安心したように頷いた。
「……まぁ、そう言われると……。」
ルオは軽く笑い、契約書を指で弾いた。
「任せとけ。俺が“幽霊がいない証明書”をつけて売ってやる。」
「そんなもの発行できるんですか?」
「発行できるかじゃない、“売れるか”だ。」
「……つまり?」
「“見えないものを、見えない”って断言すること――それが一番高く売れるんだよ。」
シエナは肩をすくめて、呟いた。
「……悪霊よりルオさんの方が怖いっす。」
「悪霊は出ない。出るのは利益だけだ。」
屋敷の扉が、きぃ……と音を立てて開いた。
奥の薄暗い廊下に、冷たい空気が流れ込む。
三人は顔を見合わせた。
ルオが一歩、足を踏み入れる。
「さぁ、資産査定の時間だ。」
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玄関を抜けると、湿った空気が肌にまとわりついた。
長年閉ざされていたせいか、微かにカビと鉄の匂いが混じっている。
壁には薄い埃の膜、古びたランプには蜘蛛の巣が絡まっていた。
「……これ、ほんとに人が住んでたんすか?」
シエナが肩をすくめる。
床がぎぃ、と鳴るたびに飛び上がっている。
ルオはランタンを掲げて淡々と歩く。
「床が鳴くのは湿気と経年劣化。
確率で言えば、木材の収縮音が99.998%。幽霊の足音が0.002%。」
「……小数点の説得力ってズルいっすね。」
リシュアは黙って壁を指でなぞる。
「造りは古いが、骨組みはしっかりしてる。
彫刻も上等だ。昔は貴族の別邸か何かだろう。」
「つまり“ブランド物”ってわけだ。」
ルオは笑う。
「ほこり落として、少し光を入れりゃそれだけで価値が上がる。」
そのとき――
二階から、コツ……コツ……と乾いた音がした。
シエナが跳ねる。
「今! 今聞こえましたよね!? コツって!」
ルオは平然と見上げた。
「二階の梁の収縮。温度差で木が動く音だ。」
「でも、昼間でも出るって……!」
「じゃあ聞くが、昼間に何かしらの理由で人が二階を歩く確率と、
幽霊が昼休みに出勤する確率、どっちが高い?」
「……昼間に歩く方っすね。」
「正解。冷静な市場分析だ。」
リシュアが半ば呆れたように息を吐く。
「……理屈の暴力だな。」
ルオは得意げに頷いた。
「理屈は盾だ。幽霊なんてのは、無知を食う商売みたいなもんさ。」
三人は階段を上がる。
古びた手すりが軋み、窓からの光が細く差し込む。
その先の廊下、右の部屋の扉がわずかに開いていた。
「……風か?」とシエナ。
ルオは慎重に近づき、扉を押し開ける。
中は応接間らしい。
厚いカーテン、崩れかけたソファ、机の上には古い燭台。
ただ、埃が厚く積もっているのに――
床の中央だけ、うっすらと“誰かが歩いた跡”のように跡が残っていた。
リシュアが眉をひそめる。
「……これは?」
ルオはしゃがみ込み、指で埃を払った。
「窓際から差し込む風の流れが一定じゃない。
風の乱流で埃が飛ばされただけだ。」
「ほんとにそう見えます?」
シエナが身を寄せる。
「見えるかどうかじゃない、“そうだと決める”のが理性だ。」
その瞬間、奥のドアが――
ギィ…… と、ゆっくり音を立てて開いた。
三人とも動きを止める。
風はない。
窓も閉じている。
音だけが、屋敷全体の空気を震わせた。
「…………」
ルオは一拍置き、深く息を吐く。
「……蝶番の金属疲労。湿気のせいで膨張したんだ。」
「毎回説明つけるの早すぎっす!!」
シエナが半泣き声で叫ぶ。
「説明できるうちは“幽霊”じゃない。」
「じゃ、説明できなくなったら?」
ルオは微笑んだ。
「そのときは“原因不明”って言えばいい。」
リシュアがついに笑った。
「……もう、論理的な説明と詭弁の境界がわからん。」
「詭弁だろうが理屈だろうが、“安心を買う人間”がいる限り、
俺たちは売る側だ。」
窓の外で、カラスが鳴いた。
午後の日差しが差し込む。
屋敷は静まり返り――
確かに“何か”が見ているようにも感じられた。
だが、ルオは気にも留めず言った。
「いい家だ。静かで、声が響く。」
シエナが呟く。
「……響くのは声だけっすかね……。」
リシュアは黙って屋敷を見渡し、ぽつりとこぼした。
「お前の理屈が通じるうちは、まだ平和だ。」
ルオは肩をすくめ、笑った。
「理屈が通じなければ、値下げするだけだよ」
私は幽霊vs確率で暗いところが怖くなったっす。
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ティンダール様式【てぃんだーるようしき】
名詞
① バルメリアにおける古建築様式の一つ。
黒い木骨と白漆喰による格子構造、厚い石板屋根を特徴とする。
直線を避け、わずかな歪みを残す設計思想を持つ。
職人たちはこの歪みを**「家の呼吸」**と呼び、完全な対称を“死んだ構造”として忌んだ。
② 構造と印象
・木骨:焦がし木を用い、経年で銀灰色に変化する。
・外壁:白漆喰仕上げ。日差しの角度により木骨の影が歪み、遠目には顔のように見える。
・屋根:厚いスレート葺き。苔の生え方が“家の成熟”を示す。
・窓:格子ガラスがわずかに歪み、夜には灯りが人影のように揺らぐ。
③ 文化的背景
ティンダール様式は“時間と共に老いる建築”とされ、
壁のひびや歪みは修復せず、そのまま“記憶”として残される。
住民はそれを“家の皺”と呼び、古い家ほど敬意を払う。
④ (俗)
その陰影と歪みのため、夜に笑っているように見える家が多く、
バルメリアに存在するお化け屋敷のほとんどが、この様式を参考に建てられている。
街の子どもは黒と白の格子を見ると、無意識に十字を切るという。
〔補説〕
“見上げると目が合う家”“息をしている屋敷”などの怪談は、
いずれもティンダール様式を起源とする。
――『新冥界国語辞典』より




