第17話 ルオ更生計画、信用の値段〜監視実施中〜②
今日は教会のお手伝い!(善意)
聖グロリア教会。
朝の光がステンドグラスを透かし、七色の影が床を染めていた。
香の煙がゆるやかに漂い、祈りの声が静かに響く。
リシュアに引かれ、ルオは渋々と扉をくぐった。
「奉仕活動の一環だ」と言われて、断る理由もなかったからだ。
だが、壇上に見覚えのある顔を見つけた瞬間――足が止まる。
銀髪を後ろで束ね、金糸の法衣に十字の指輪。
声は穏やかで、どこまでも柔らかい。
だがその微笑みの奥には、計算の光が宿っていた。
――エステル神父。
「おお、主よ。今日もあなたの御手によって“恵みの流れ”が満ちています。
人々が捧げる献金は、ただの貨幣ではありません。
それは“感謝の証”であり、“心の供物”なのです」
ルオが腕を組んでぼそっと言う。
「……供物って、つまり現金だよな」
神父は柔らかく振り返り、微笑んだ。
「やあ、ルオ・ラザールくん。
あなたの皮肉も、相変わらず主の庭を潤してくれますね」
「潤うっていうか、カツカツだろこの建物。
相変わらず“金を祈りに変換”してんのか」
「祈りを形にしているだけですよ。
神の恵みを地上で循環させるには、“手段”が必要なのです」
「便利な言い方だな。口座振込でも神は受け取ってくれるのか?」
「もちろん。信仰に方法の貴賎はありません」
リシュアがたまらず口を挟む。
「ルオ、いい加減にしろ。
神父様は、街の子どもたちを助け、炊き出しを行い、
多くの人を救っておられる方だ。皮肉を言うのは無礼だ」
エステルはやさしく微笑みながら、
「構いません。彼の言葉は懐かしい。
かつて彼も“信じる力”を扱う術を知っていた」
ルオが鼻で笑う。
「扱う、ね。あれは信仰じゃなくて“取引”だったろ」
「取引とは、人と人との約束です。
そして祈りとは、神との約束。
――どちらも、誠実さがあれば成立するものです」
ルオが苦く笑う。
「……相変わらずだな。お前の“奇跡”の値札、今いくらだ?」
「奇跡に値などありません。
ただ、“寄付額”に応じて届きやすくなることはあります」
「おい、完全に有料プランじゃねぇか」
神父は目を閉じて祈るように微笑んだ。
「主の祝福にも段階がございます。
小さな祈りには小さな導き。
大きな祈りには――大きな奇跡が」
ルオがため息をつく。
「……信仰ってのは、階段登るゲームかよ」
「それを“精進”と申します」
リシュアは真面目にうなずいた。
「私はおまえのように人を疑うことはできない。
善意を信じる方がずっと健やかだ」
神父が柔らかくリシュアを見つめる。
「その純粋さは、美しい。
人が人を信じる――それが、神が授けた最初の“信用”です」
ルオが鼻を鳴らす。
「……神も随分、融資が上手いな」
「心は無限の通貨ですから」
「そりゃ刷り放題だ」
神父は小さく笑い、
「ええ。だからこそ、信仰は破綻しない」と静かに言った。
リシュアはうっとりしたように小さく息をのむ。
「……素晴らしいお言葉です」
ルオはそっぽを向いた。
「詩人だな。中身は金勘定だけど」
聖堂の鐘が鳴り、三人の間に光が落ちた。
神父は目を閉じて祈り続け、リシュアは神聖な空気に包まれて微笑んでいた。
ルオだけが、苦い顔で天井を見上げていた。
***
数日後。
クル・ノワの街角で、妙な噂が広がっていた。
「ルオ・ラザールが変わったらしい」
「この前、子どもにパン配ってたって」
「教会でも手伝ってるんだと!」
「“真人間”になったんだな!」
花屋の老婦人までが笑顔で言った。
「リシュアちゃん、あんたの努力の賜物だよ。
あのルオが“ありがとう”なんて言う日が来るなんてね!」
リシュアは少し顔を赤らめ、うつむいた。
「……そうか。あいつ、やっと……」
小さく微笑んでつぶやく。
「監視も……もう終わりかもしれないな」
***
そのころ、聖グロリア教会の地下室
帳簿を閉じたエステル神父が、机の上の小袋を並べていた。
それぞれに貼られた札には「花屋」「パン屋」「魚屋」「炊き出し所」。
「ふむ。評判維持費、計六百五十。
“信頼の投資”としては、悪くない数字ですね」
奥の椅子でルオが足を組み、苦笑した。
「言葉の選び方、相変わらず天才だな。要するに賄賂だろ」
「善意の流通、と言ってください」
「お前の辞書、何語でできてんだ」
「バルメリア語の筆記体です」
ルオは呆れ笑いを浮かべ、
「……やっぱ、俺とお前は気が合わねぇな」とつぶやいた。
「そう言いながら、結局こうして協力している」
「金のためだよ」
「金のために“善行”を積む。立派な動機です」
ルオは小さく息を吐き、
「……リシュアには言うなよ」とだけ言った。
「もちろん」
神父はにっこりと微笑み、
「信仰とは、“知らぬ方が幸せな真実”を抱くことですから」と言った。
ルオは苦く笑い、
「……まったく、神様ってやつは上手くできてる」と空を見上げた。
鐘の音が静かに響き、
ルオの影が長く伸びていく。
リシュアはそのどちらも知らず、
ただ街の片隅で、静かに“ルオの更生”を信じていた。
聖グロリア教会【せいぐろりあきょうかい】
(Église Sainte-Gloria)
名詞
① バルメリアにおいて最も広く布教されている宗教組織。
理念は「光は秩序をもたらす」。
信仰を秩序維持の手段として制度化し、政治・金融・芸術のすべてに根を張る。
表向きは救済を語るが、実態は**“社会安定型信仰金融機構”**である。
市民の八割が信徒登録しているが、その多くは布施の自動引き落としを止められないままである。
② 教義と構造
「光は均しく照らすが、影も生む」──正義の過剰を戒める二元論。
「信仰は秩序、無秩序は罪」──詐欺・賭博・錬金など“理を歪める行為”を禁ず。
「贖いと循環」──罪も金も正しく回せば清められる。
この思想により、寄進は“金融活動”と同義になった。
総本山は西方のサン・ヴァレリオ。
ヴァルメリア市は第三大司教区にあたり、丘の上の聖グロリア大聖堂を中枢とする。
聖職階級は大司教・司教・神父・修道士・信徒の順。
装飾は白と深紅、首に銀輪《理の輪》を掛ける。
その意匠は**“光(円)”が“理(十字)”を包む聖印**で、
赦しと監視の両義を持つとされる。
③ (俗)
市民の間では「祈るより請求が早い」「赦しは分割払い」と揶揄される。
寄進は“信仰の投資”と呼ばれ、利率は市場連動型。
神父の多くは経理に明るく、神学より会計に通じている。
俗に**“金を数える方の神の代理人”**と呼ばれる。
〔補説〕
信仰の純化を試みた聖職者は過去に何人も存在したが、いずれも出世しなかった。
神の声よりも利息の音がよく響く都市では、祈りも経済活動の一部である。
教会は今日も、「救い」と「請求」を同じ祭壇で唱えている。
――『新冥界国語辞典』より




