第16話 ルオ更生計画、信用の値段〜監視実施中〜①
リシュアちゃんによるルオの更生プログラム
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クル・ノワ探索者ギルド。
朝から煙草と酒の匂いが混じり合い、依頼掲示板の前では借金まみれの男たちが頭を抱えていた。
その奥、カウンター席。ミモザが脚を組み、新聞を広げている。
「“縁天詐欺、主犯保釈”……♡ あらやだ、見出しにアンタの名前出てるじゃないの、ルオちゃん♡」
隣の席でだらしなく寝そべっていた男が顔を上げた。
金髪の寝癖、半開きの目。ルオ・ラザールである。
「もう留置場で自分の名前は見飽きたよ」
「アンタほんっと学ばないわねぇ〜。その図太さ、逆に才能かも♡」
ルオが肩をすくめた、その時――
ギルドの扉が勢いよく開いた。
風が書類を舞わせ、朝日の中に白い影が立つ。
白い外套、冷たい瞳。
リシュア。
その名を聞いた瞬間、ルオの笑顔が引きつる。
ミモザは新聞を畳み、わくわく顔で小声。
「きたわね♡ 天罰係」
リシュアはざわめきにも動じず、真っすぐルオの前へ。
声は静かで、しかし硬い芯があった。
「お前のことを、もう放っておけない」
「……ん?」
「私は反省している。お前の蛮行を途中で止めるべきだった。
だから今度は、止めるだけでは終わらせない――叩き直す」
「叩き直す……?」
「今日から私がつきっきりで監視する。真人間になるまでだ」
ギルドの空気が一拍止まり、どよめく。
ルオは乾いた笑いをこぼした。
「……真人間って、生で初めて聞いたよ」
ミモザがカウンターをコツンと叩いて笑う。
「いいじゃないの♡ 更生キャンプ、第一日目! この機会に足を洗ったら?」
「やめて、縁起でもないこと言うな」
リシュアは無表情のまま、分厚い紙束を机に置く。
「これが明日のスケジュールだ。祈り/清掃/慈善/労働/昼食/感謝/反省。
一分の遅刻も許さない。逃げ出そうとしても――私が離れない」
「おぉ……監視体制、強化版ね」
ルオは苦笑して立ち上がる。
「“真人間育成プログラム”だな…」
ミモザが口紅を引き直し、投げキッス。
「がんばんなさいよ♡ 真人間になったら、あたしの彼氏にしてあげてもいいわ」
「刑罰より重い申し出だな」
***
午前:清掃
クル・ノワの裏通り。
ルオは箒でごみ山と格闘、リシュアは腕を組んで監督。
「そこ、埃が残っている」
「リシュア、それはもう“地層”だぞ」
「なら削れ」
「初めて受けたよ。そんな命令。」
遠巻きの住人たちがニヤニヤ。
「ルオが掃除してる!」「世界終わるぞ!」
ルオは汗を拭き、ぼそり。
「……なぁ、これ本当に更生になってるのか?」
「黙って掃け」
冷たい言葉なのに、どこか面倒見がいい。
***
昼:炊き出し
パンとスープの匂い。
ルオはぎこちなく配膳、リシュアは隣で子どもにスープをよそう。
「お前、思ったより器用だな」
「詐欺師ってのはな、なんでもできる」
「威張ることじゃない」
「いや、褒められたと思ったんだけど」
子どもたちがくすくす笑い、ルオはスプーンを止める。
「……変な感じだな」
「何が」
「騙してないのに“ありがとう”って言われるのがさ」
リシュアは一瞬だけ口元をゆるめた。
「それが普通だ」
「普通、ねぇ……」
湯気に映る自分の顔がぼやける。
「普通って案外むずかしい。誰かに“ありがとう”って言われたら、まず裏を探す癖がある」
「裏などない。世の中には“表”しかない人もいる」
「そんな人間、滅多にいない」
「いる。私がそうだ」
ルオは吹き出した。
「自信満々だな」
「当然だ」
真顔で返され、子どもが笑い転げる。
つられて、ルオも笑った。
***
午後:街の修繕
古びた石畳を直していると、花屋の老婦人がひょいと顔を出す。
「リシュアちゃん、その子、彼氏さん?」
リシュアは目を丸くし、慌てて手を振る。
「ち、違う! 私はただ――ええと、監視をしていて、その、規律指導の一環で同行させているだけだ!」
老婦人はけらけら。
「まぁまぁ、お似合いよ。正反対って案外うまくいくの」
通りを並んで歩く二人は、確かにどこか“デート”めいて見えた――
ただ、一方が箒、もう一方がチェックリストを持っているだけで。
***
夕暮れ
作業のあと、教会前の階段に腰を下ろす。
鐘がゆっくり鳴り、風が涼しい。
「今日一日、何か感じたか」
ルオは少し考え、肩をすくめる。
「……疲れた。けど、退屈じゃなかった」
「退屈ではない、か」
「お前の命令が多すぎて、考える暇もなかったからな」
リシュアは空を見上げ、かすかに笑う。
「考えるより動く方が、人は変わる」
「そうかもな。……けど、俺が変わったらお前、困らない?」
「なぜだ」
「“監視対象”がいなくなるだろ」
一拍。
リシュアは目を伏せ、頬にわずかな紅。
「……お、お前は……何を言っているのだ」
ルオはふっと笑う。
その笑いには、いつもより少しだけ温度があった。
真人間【まにんげん】
名詞
① バルメリアにおいて、すでに絶滅したとされる理想的人間。
誠実・正直・善良などの旧来の徳目を体現する存在を指すが、
公式記録・宗教台帳・雇用統計のいずれにも生存例はない。
最後の真人間は、百年以上前に「善意による破産」で死亡したと伝えられる。
② (転)
道徳的完全体としてのフィクション。
教育や信仰の教材として引用されるが、実在は確認されていない。
市民は皆「真人間らしく生きる」ことを求められるが、
実際にはそれを演じる技術が評価される社会である。
③ (俗)
皮肉を込めて使われる語。
例:「真人間になったら、この国では働けないぞ。」
この用法が最も一般的であり、
研究者の間では**“死語のふりをした日常語”**と分類される。
〔補説〕
真人間の絶滅理由については諸説ある。
善意の遺伝的退行、倫理の市場転換、または単純な淘汰。
いずれにせよ、バルメリアでは“誠実”が生存戦略として不利になった。
現存するのは、真人間を描いた壁画と、
それを眺めて笑う観光客だけである。
――『新冥界国語辞典』より




