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運び屋のゲーム 〜バルカンルートの影〜  作者: 犬伏犬太
【第1部:旅立ちのゲーム】【第1章:失われた故郷】
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第3節:密航者たちの噂

# 第3節:密航者たちの噂


【登場人物紹介】

・ハサン:17歳のシリア人青年。妹のアミラを守るため、欧州への脱出を決意。

・アミラ:9歳の少女。両親を空爆で亡くし、兄のハサンが頼りの存在。


---


アレッポ郊外の仮設キャンプは、内戦から逃れてきた人々で溢れていた。テントが無秩序に立ち並び、その間を埃っぽい道が縫っている。ハサンとアミラは三日前からここで過ごしていた。叔父のファリドの友人であるカマルが、トルコへの密航ルートを手配するまでの間だ。


「お兄ちゃん、お腹すいた」


アミラが小さな声で言った。ハサンは配給の残りのパンを取り出し、半分に割った。


「これで我慢して。明日また配給があるから」


実際には、明日の配給も十分ではないことをハサンは知っていた。キャンプの人口は日に日に増え続け、支援物資は追いついていなかった。


テントの外から話し声が聞こえてきた。ハサンは慎重に外を覗いた。数人の若い男たちが輪になって座り、小声で何かを話し合っていた。


「明日の夜、トラックが来る。一人500ドル」


「高すぎる!先週は300だったじゃないか」


「状況が変わったんだ。国境警備が厳しくなった。それに、お前らだけじゃない。他にも行きたい奴らはたくさんいる」


ハサンは耳を澄ました。彼らは明らかに密航について話していた。ファリドから聞いていた金額よりも高い。彼の持っている金では足りないかもしれない。


「ハサン、こっちだ」


振り返ると、カマルが手招きしていた。ハサンはアミラに「ここで待っていて」と言い、カマルの元へ向かった。


カマルは40代の痩せた男で、常に周囲を警戒するような目つきをしていた。彼はハサンを人目につかない場所へ連れて行った。


「明日の夜、出発だ」カマルは低い声で言った。「準備はいいか?」


「はい」ハサンは頷いた。「でも、お金のことで…」


「ファリドから聞いている。お前の持っているもので足りる」カマルは言った。「ただし、条件がある」


ハサンは緊張した。「どんな条件ですか?」


「お前は英語ができるな?」


ハサンは頷いた。彼は学校で英語を学び、成績も良かった。


「途中で通訳として手伝ってもらう。他の密航者の中には、トルコ語も英語も話せない者がいる。お前がその橋渡しをするんだ」


「わかりました」ハサンは答えた。それは公平な取引に思えた。


カマルは周囲を見回してから、さらに声を落とした。「もう一つ、知っておくべきことがある。『ゲーム』についてだ」


「ゲーム?」


「国境を越えることをそう呼ぶんだ」カマルは説明した。「特にバルカンルートでは。一度失敗しても、また挑戦できる。だが、毎回リスクは伴う」


「バルカンルート?」ハサンは聞いたことのない言葉に首を傾げた。


「トルコからヨーロッパへの道だ。ギリシャ、マケドニア、セルビア、ハンガリーを通って、最終的にはドイツやスウェーデンを目指す」カマルは言った。「多くの者がその道を行く。だが、全員が到達するわけではない」


ハサンは黙って聞いていた。ヨーロッパ。それは遠い夢のような場所だった。平和で、機会に満ちた場所。アミラが安全に暮らせる場所。


「運び屋を信用するな」カマルは続けた。「彼らはお前の命より金に興味がある。常に自分の判断を持て」


「運び屋?」


「密航を手配する者たちだ。国境を『運ぶ』から、そう呼ばれている」カマルは説明した。


「ゲームという言葉も運び屋が最初に言い出した言葉だ。ゲームの盤上で駒を進める事に由来しているのだろう。お前はゲームの駒となり、盤上を運ばれるという事だ」


「彼らなしでは越えられない場所もあるが、彼らは商売人だ。それを忘れるな」


ハサンは頷いた。「アドバイスありがとうございます」


「明日の夜、北の検問所の裏に来い。日没後一時間だ。遅れるな」


カマルは立ち去ろうとしたが、ハサンは彼を呼び止めた。


「カマルさん、なぜ僕たちを助けてくれるんですか?」


カマルは一瞬、遠くを見つめた。「私にも息子がいた。お前と同じ年頃だった」彼は静かに言った。「彼は海を渡れなかった」


それ以上の説明はなかった。カマルは人混みの中に消えていった。


テントに戻ると、アミラは眠りかけていた。ハサンは彼女の隣に座り、小さな肩を抱いた。


「明日、ここを出るよ」彼は優しく言った。「長い旅になるけど、最後には安全な場所に着くから」


「お兄ちゃんがいれば、どこでも平気」アミラは眠そうに答えた。


ハサンは妹の言葉に胸が締め付けられる思いがした。彼女の信頼に応えなければならない。どんな困難があっても、アミラを守り抜く。それが両親との約束だった。


テントの外では、他の難民たちが小さな声で話し合っていた。彼らも同じ夢を見ているのだろう。安全な場所、新しい始まり、そして何よりも、生きる希望を。


ハサンは父の腕時計を握りしめた。時間は容赦なく過ぎていく。明日、彼らの「ゲーム」が始まる。

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