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運び屋のゲーム 〜バルカンルートの影〜  作者: 犬伏犬太
【第3部:運び屋の世界】【第7章:セルビアの影】
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第2節:運び屋組織の構造

# 第2節:運び屋組織の構造


【登場人物紹介】

・ハサン:19歳のシリア人青年。妹のアミラを守るため、ヨーロッパを目指している。

・アミラ:ハサンの10歳の妹。両親を空爆で亡くし、兄と共に避難中。

・カリム:25歳のシリア人男性。アレッポ出身の元大学生。家族と再会するためドイツを目指している。

・ファティマ:30代のシリア人女性。5歳の息子サミルと共に難民としてヨーロッパを目指している。

・ヤスミン:22歳のアフガニスタン人女性。単身でヨーロッパを目指している。医学生だった。

・ナディル:40代のイラン人男性。政治亡命者。元ジャーナリスト。

・タレク:30代のシリア人男性。難民グループのリーダー格。頼りになるが、謎めいた雰囲気を持つ。

・ゾラン:40代のセルビア人男性。ベオグラードの運び屋組織の中間管理職的存在。冷静で計算高い。

・イヴァン:30代のセルビア人男性。ゾランの部下で、難民の移動を担当する。

・ミロシュ:50代のセルビア人男性。運び屋組織の上層部。冷酷で権力を持つ。


---


【ベオグラード - 運び屋組織のアパート】


ハサンたちが運び屋組織のために働き始めてから一週間が経過していた。毎日、彼らは市内の様々な場所に出向き、難民と接触し、ゾランの組織への「紹介」を行っていた。その成果は徐々に現れ始めていた。電話が鳴り、新たな「顧客」が現れるようになった。


この日、ハサンとカリムはゾランに呼ばれ、別の場所に連れて行かれることになった。


「どこに行くんだ?」カリムはタクシーの後部座席でゾランに尋ねた。


「上の人間に会う」ゾランは前を見たまま答えた。「君たちの仕事ぶりが評価されている」


ハサンとカリムは顔を見合わせた。これが良いことなのか悪いことなのか、判断できなかった。


タクシーはベオグラードの高級住宅街に入った。整然と並ぶ邸宅、手入れの行き届いた庭、高い塀と警備システム。ここは明らかに裕福な人々が住む地域だった。


「着いた」ゾランは言い、タクシーが大きな門の前で停まった。


門は自動的に開き、彼らは中に入った。広い庭の奥には、モダンな建築様式の大きな家が建っていた。


「ここは...」ハサンは言葉を失った。


シリアでの戦争前、ハサンの家族は中流階級だった。父親は大学教授で、彼らは快適な生活を送っていた。しかし、この邸宅は彼が今まで見たどんな家よりも豪華だった。大理石の柱、巨大な窓、完璧に手入れされた庭園。それは彼が映画でしか見たことのない贅沢さだった。難民キャンプでの粗末なテント、国境での野宿、そして今までの苦難の旅を経験してきた彼にとって、この光景はまるで別世界のように感じられた。彼は自分たちが関わっている組織の力と富を目の当たりにして、畏怖と不安が入り混じった感情に襲われた。


「ミロシュの家だ」ゾランは説明した。「彼は私たちの...雇用主だ」


彼らは玄関に向かって歩いた。ドアが開き、スーツを着た男性が彼らを迎えた。


「ゾラン、お待ちしていました」男性は言った。「こちらへどうぞ」


彼らは豪華な内装の家の中に案内された。大理石の床、高い天井、芸術作品が飾られた壁。すべてが富と権力を象徴していた。


リビングルームに入ると、50代と思われる男性が座っていた。彼は灰色の髪を後ろに撫で付け、高価なスーツを着ていた。手には葉巻があり、煙が部屋に漂っていた。


「ミロシュ、彼らが私が話していた若者たちだ」ゾランは紹介した。


ミロシュはじっとハサンとカリムを観察した。彼の鋭い目は、まるで彼らの心の中まで見透かしているようだった。


「座りなさい」彼はセルビア語で言った。ゾランが通訳した。


彼らはソファに座った。緊張で背筋が伸びていた。


「ゾランから聞いているよ」ミロシュは英語に切り替えた。彼の英語は流暢だった。「君たちは良い仕事をしている」


「ありがとうございます」ハサンは答えた。


「しかし、もっと大きな仕事がある」ミロシュは続けた。「より多くの報酬を得る機会だ」


彼は煙を吐き出し、テーブルの上の書類を指さした。


「我々の組織は広範囲にわたる」彼は説明を始めた。「ベオグラードだけでなく、バルカン全域に拠点がある。トルコから始まり、ギリシャ、マケドニア、セルビア、そしてハンガリー、オーストリア、最終的にはドイツまで」


彼はペンを取り、地図上にルートを描いた。


「これは単なる運び屋の集まりではない」彼は続けた。「これはビジネスだ。国際的なビジネスだ」


ハサンは驚いた。彼が想像していたよりもはるかに大規模な組織だった。


「各国に我々の人間がいる」ミロシュは説明した。「警察、国境警備隊、時には政府関係者にも。彼らは適切な...報酬を受け取り、我々の活動を見逃す」


「贈賄ですか?」カリムが思わず口にした。


ミロシュは笑った。「ビジネスの一部だ。世界中どこでも同じことが行われている」


彼は立ち上がり、窓の外を見た。


「毎年、何十万人もの人々がヨーロッパを目指す」彼は言った。「彼らは安全を求め、より良い生活を求めている。そして彼らは支払う意思がある。我々はただ、彼らの需要に応えているだけだ」


彼は振り返り、ハサンとカリムを見つめた。


「君たちのような若者が必要だ」彼は言った。「同胞と話せる者、彼らの言語を理解し、彼らの恐怖と希望を理解できる者だ」


「何をすればいいんですか?」ハサンは尋ねた。


「今よりも責任のある仕事だ」ミロシュは答えた。「単なる紹介ではなく、実際の移動の手配だ。国境を越える際の案内役だ」


「危険ではないですか?」カリムが尋ねた。


「すべてのビジネスにはリスクがある」ミロシュは肩をすくめた。「しかし、報酬も大きい。一回の越境で500ユーロだ」


ハサンとカリムは再び顔を見合わせた。それは彼らが今稼いでいる額の10倍だった。


「考える時間が必要です」ハサンは言った。


「もちろん」ミロシュは頷いた。「しかし、長くは待てない。機会は常に限られている」


彼は再び座り、別の話題に移った。


「君たちの旅の目的地はどこだ?」


「ドイツです」ハサンは答えた。「妹と一緒に行きたいと思っています」


「家族がいるのか?」


「いいえ、両親は空爆で亡くなりました」


ミロシュは一瞬、何かを考えているように見えた。


「わかった」彼はようやく言った。「君たちが我々のために働けば、我々も君たちを助ける。それが取引だ」


会話はそこで終わった。彼らはミロシュの家を後にし、タクシーでアパートに戻った。


「どう思う?」カリムは小声で尋ねた。


「わからない」ハサンは正直に答えた。「彼らは本当に大きな組織のようだ。警察まで買収しているとは...」


「危険すぎるかもしれない」カリムは言った。「でも、報酬は魅力的だ」


ハサンは黙って考えていた。ミロシュの提案は彼とアミラをより早くドイツに連れて行ってくれるかもしれない。しかし、それはより深く犯罪組織に関わることを意味していた。


アパートに戻ると、他のメンバーが彼らを待っていた。


「どうだった?」ヤスミンが尋ねた。


ハサンとカリムは彼らがミロシュの家で見聞きしたことを説明した。組織の規模、国際的なネットワーク、警察との関係、そして新しい仕事の提案について。


「それは人身売買組織だ」ナディルは厳しい表情で言った。「彼らは難民を商品として扱っている」


ナディルの顔には深い皺が刻まれていた。イランでジャーナリストだった彼は、政府の腐敗と人権侵害について記事を書いていた。その中で、彼は人身売買組織の実態を調査し、その残酷さを目の当たりにしていた。女性や子供が国境を越えた後に行方不明になるケース、約束された仕事が実は強制労働や性的搾取だったケース。彼はそれらの犠牲者たちの顔を今でも鮮明に覚えていた。そして、その記事を書いたことが彼の亡命の原因となった。彼の目には、過去の記憶と現在の状況が重なり合う恐怖が映っていた。


「でも、彼らは実際に人々を国境の向こうに送り込んでいる」タレクは反論した。「それが重要なことだ」


議論が始まった。ナディルとヤスミンは組織との関わりを深めることに反対し、タレクとカリムは現実的な選択肢として考えるべきだと主張した。ファティマは息子のことを考え、迷っていた。


ハサンは窓際に立ち、外を見ていた。アミラは別の部屋で他の子供たちと遊んでいた。彼女の笑い声が聞こえてきた。


その部屋には、ファティマの息子サミルの他に、ゾランが運営するアパートに一時的に滞在している難民家族の子どもたちがいた。彼らは皆、親と共に危険な旅をしてきた子どもたちだった。言葉の壁があっても、子どもたちは遊びを通じてすぐに打ち解けていた。その無邪気な笑い声は、この厳しい現実の中で、かすかな希望の光のように感じられた。


「私たちには選択肢がある」ハサンは突然言った。全員が彼を見た。


「ミロシュの組織で働き、より深く関わるか。あるいは、別の道を探すか」


「別の道?」ファティマが尋ねた。「どんな道?」


「わからない」ハサンは正直に答えた。「でも、必ずあるはずだ」


「現実を見ろ」タレクは言った。「我々は不法滞在者だ。正規の仕事はない。貯金もない。どうやって国境を越えるつもりだ?」


「NGOの助けを借りる」ヤスミンが提案した。「難民支援団体がある」


「彼らは法的な支援しかできない」タレクは反論した。「それには時間がかかる。何ヶ月も、場合によっては何年もだ」


議論は続いた。意見は分かれたままだった。


夜、ハサンはアミラと一緒にベッドに横になっていた。彼女はすでに眠りについていた。彼は天井を見つめながら、今日見たものについて考えていた。


ミロシュの豪華な家、彼の自信に満ちた態度、そして彼が描いた組織の姿。それはすべて、難民の苦しみの上に成り立っていた。彼らの絶望と希望を利用し、金を稼ぐビジネス。


しかし同時に、彼らは実際に人々を助けていた。国境を越え、新しい生活を始める手助けをしていた。それは単純に善か悪かで判断できることではなかった。


ハサンは決断を下さなければならなかった。アミラのために、そして自分自身のために。運び屋組織の構造を知った今、彼はどの道を選ぶべきか。


窓の外では、ベオグラードの夜が静かに過ぎていった。明日、彼らは答えを出さなければならなかった。

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