第1節:難民グループの形成
# 第1節:難民グループの形成
【登場人物紹介】
・ハサン:19歳のシリア人青年。妹のアミラを守るため、ヨーロッパを目指している。
・アミラ:ハサンの10歳の妹。両親を空爆で亡くし、兄と共に避難中。
・カリム:25歳のシリア人男性。アレッポ出身の元大学生。家族と再会するためドイツを目指している。
・ファティマ:30代のシリア人女性。5歳の息子サミルと共に難民としてヨーロッパを目指している。
・ヤスミン:22歳のアフガニスタン人女性。単身でヨーロッパを目指している。医学生だった。
・ナディル:40代のイラン人男性。政治亡命者。元ジャーナリスト。
・タレク:30代のシリア人男性。難民グループのリーダー格。頼りになるが、謎めいた雰囲気を持つ。
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【セルビア - 小さな町】
朝の光がハサンの目を覚ました。彼は一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。硬いベンチの感触と、背中の痛みが現実を思い出させた。彼らは小さな町の公園で一晩を過ごしたのだ。
公園は町の外れにあり、数本の古びたベンチと、錆びた遊具が点在していた。朝露に濡れた草は銀色に輝き、東の空からは柔らかな光が差し込んでいた。背の高いポプラの木々が公園を囲み、その葉が朝の微風にそよいでいた。遠くには教会の尖塔が見え、時折、鐘の音が静けさを破った。
ハサンは体を起こし、こわばった筋肉をほぐした。木々の間からは小鳥のさえずりが聞こえ、どこか遠くで犬が吠えていた。公園は今のところ人気がなく、彼らだけの空間だった。アミラはまだ眠っていた。彼女の顔は疲れていたが、平和そうに見えた。ハサンのジャケットを掛け布団代わりにして、小さく丸まっていた。
ハサンは周囲を見回した。町は目覚め始めていた。通りには地元の人々が現れ始め、店のシャッターが開き始めていた。彼らはこの町に長居するわけにはいかなかった。警察に見つかれば、逮捕されるか、マケドニアに送り返されるだろう。
「アミラ、起きて」ハサンは優しく彼女の肩を揺すった。
アミラはゆっくりと目を開けた。「お兄ちゃん...ここはどこ?」
「セルビアだよ」ハサンは答えた。「でも、ここには長くいられない。移動しなきゃ」
彼らは持ち物を確認し、水筒に残っていた水を飲んだ。食べ物はほとんど残っていなかった。
「お腹すいた」アミラが小声で言った。
「わかってる」ハサンは言った。「何か食べ物を見つけよう」
彼らは公園を出て、町の中心部に向かった。ハサンは警戒しながら歩いた。彼らは明らかに地元の人々とは違って見えた。疲れた表情、汚れた服、そして何より、恐れの入った目つき。
小さなパン屋の前で、ハサンは立ち止まった。店内からはパンの香りが漂ってきた。彼は残りのお金を数えた。ギリシャからの長い旅で、資金はかなり減っていた。
「ここで待っていて」ハサンはアミラに言った。「すぐ戻るから」
彼は店に入り、簡単な英語とジェスチャーでパンを二つ買った。店主は彼を怪しそうに見たが、何も言わなかった。
外に出ると、アミラは消えていた。ハサンは一瞬、パニックになった。
「アミラ!」彼は周囲を見回した。
「ここだよ、お兄ちゃん」
アミラの声が聞こえた方を見ると、彼女は路地の奥に立っていた。そして彼女の隣には見覚えのある顔があった。
「カリム!」ハサンは驚きと安堵の声を上げた。
カリムは微笑んだ。彼の顔には疲れの色が見えたが、無事だった。彼の隣にはファティマとサミルもいた。
「見つけたよ」アミラは誇らしげに言った。「窓からカリムさんを見つけたの」
ハサンはカリムに駆け寄り、抱擁を交わした。「無事で良かった」
「お前たちも無事で何よりだ」カリムは言った。「昨夜は心配したよ」
「どうやって逃げたんだ?」ハサンは尋ねた。
「森の中を走り続けた」カリムは答えた。「ファティマとサミルを連れて。幸い、警備隊は別の方向に行ったようだ」
「ヴラドは?」
カリムは首を振った。「見ていない。彼は自分の身を守るために別の道を取ったんだろう」
彼らは路地の奥に移動し、ハサンが買ったパンを分け合った。子供たちは空腹だったので、大人たちは自分の分を減らして子供たちに多く与えた。
「次はどうする?」ハサンはカリムに尋ねた。
「ベオグラードに行く必要がある」カリムは言った。「セルビアの首都だ。そこから次の国境越えの手配ができる」
「どうやって行くんだ?」
「バスがある」カリムは言った。「でも、警察に注意しなければならない。彼らは難民を探している」
彼らが話している間に、路地の入り口に影が現れた。ハサンは緊張して立ち上がったが、それは警察官ではなかった。若い女性と中年の男性だった。彼らも明らかに難民だった。
「すみません」女性が英語で話しかけた。「あなたたちも北に向かうの?」
カリムは彼らを警戒して見た。「誰だ?」
「私はヤスミン」女性は言った。「アフガニスタンから来ました。こちらはナディル、イランからです」
「何を望んでいる?」カリムは尋ねた。
「一緒に旅をしたいんです」ヤスミンは言った。「一人では危険で...」
「どうして私たちが、あなたたちを信用すべきなのか?」カリムは尋ねた。
「信用する必要はありません」ナディルが口を開いた。彼の英語は流暢だった。「ただ、同じ目的地を目指す者同士、協力した方が生き残る確率が上がります」
ハサンはカリムを見た。彼は決断を委ねるようだった。
「彼らの言うことは理にかなっている」ハサンは言った。「数が多い方が安全だ」
カリムはしばらく考えてから頷いた。「わかった。でも、何か怪しいことがあれば、すぐに別れる」
ヤスミンは安堵の表情を見せた。「ありがとう」
彼らは簡単な自己紹介を交わした。ヤスミンはアフガニスタンの首都カブールの医学生だったが、タリバンの台頭により学業を続けることができなくなったという。ナディルはイランの首都テヘランのジャーナリストで、政権批判の記事を書いたために国を追われたと話した。
「ベオグラードへのバスはどこから出ているか知っている?」カリムがナディルに尋ねた。
「ええ」ナディルは答えた。「町の反対側にバスターミナルがあります。1時間後に出発するバスがあります」
「警察は?」
「今のところ見ていません」ナディルは言った。「でも、ターミナルには警官がいるかもしれません」
彼らは計画を立てた。グループで移動するのは目立つので、二つのグループに分かれることにした。カリム、ファティマ、サミルが一つのグループ、ハサン、アミラ、ヤスミン、ナディルがもう一つのグループだ。
「バスターミナルで会おう」カリムは言った。「気をつけろ」
彼らは別々の道を取り、町を横断し始めた。ハサンたちのグループは裏通りを通って進んだ。ナディルが先導し、ハサンが後ろから警戒した。アミラはヤスミンと手をつないで歩いていた。彼女はすぐにヤスミンに懐いたようだった。
「アフガニスタンはどんなところ?」アミラが尋ねた。
「とても美しい国よ」ヤスミンは優しく答えた。「高い山々と広い谷があって、春には野原が花で覆われるの」
「シリアみたいに爆弾が落ちるの?」
ヤスミンは悲しそうな表情をした。「ええ、残念ながら...でも、いつか平和になると信じているわ」
彼らは町の通りを進み、やがてバスターミナルに到着した。小さな建物の前には数台のバスが停まっていた。ターミナルの入り口には警官が一人立っていた。
「どうしよう?」ハサンはナディルに尋ねた。
「普通の旅行者のように振る舞いましょう」ナディルは言った。「私が話します」
彼らはゆっくりとターミナルに近づいた。警官は彼らを見たが、特に関心を示さなかった。ナディルは自信を持って歩き、他の人々もそれに倣った。
ターミナル内で、彼らはカリムたちを見つけた。彼らはすでにチケットを買っていた。
「問題なかった?」ハサンが尋ねた。
「なんとかな」カリムは答えた。「チケットを買ったぞ。全員分だ」
「ありがとう」ハサンは言った。「後で返すよ」
「気にするな」カリムは言った。「今は助け合いが大切だ」
彼らはバスを待つ間、ターミナルの隅に座った。子供たちは疲れていたので、すぐに眠りについた。大人たちは交代で警戒を続けた。
「ベオグラードでは何をするつもりですか?」ヤスミンがカリムに尋ねた。
「次の国境越えの手配だ」カリムは答えた。「セルビアからハンガリーへ。それがバルカンルートの次のステップだ」
「難しいと聞いています」ナディルが言った。「ハンガリーは国境に壁を建設し、警備を強化しています」
「そうだ」カリムは頷いた。「だからこそ、専門家の助けが必要なんだ」
「運び屋ですね」ナディルは言った。
「ああ」カリムは答えた。「彼らは高い金を取るが、成功率も高い」
彼らの会話は、バスの到着アナウンスで中断された。乗客たちが列を作り始めた。
「行くぞ」カリムは言った。「自然に振る舞え」
彼らは子供たちを起こし、バスに向かった。警官はまだ入り口にいたが、乗客たちに特に注意を払っていないようだった。
バスに乗り込むと、彼らは後部の席に座った。エンジンが始動し、バスがターミナルを出発すると、全員がほっとした息をついた。
「ベオグラードまで4時間だ」カリムは言った。「少し休め」
バスが町を出て、セルビアの田園地帯を走り始めると、ハサンは窓の外を見た。彼らはまた一つ、目的地に近づいていた。しかし、旅の最も困難な部分はまだ先にあることを、彼は知っていた。
「大丈夫?」ヤスミンが隣の席から尋ねた。
「ああ」ハサンは答えた。「ただ、考え事をしていた」
「心配しないで」彼女は優しく言った。「一緒なら、きっと乗り越えられるわ」
ハサンは微笑んだ。彼らは見知らぬ人同士だったが、同じ運命を共有していた。そして今、彼らは一つのグループになっていた。信頼するのは難しいが、一人で旅を続けるよりは良かった。
バスは北へと進み、彼らは新たな挑戦に向かって旅を続けた。
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【ベオグラード到着 - 同日夕方】
ベオグラードの中央バスターミナルは人で溢れていた。地元の人々、旅行者、そして彼らのような難民たち。ハサンたちはバスから降り、周囲を警戒しながらターミナルを出た。
「どこに行けばいい?」ハサンはカリムに尋ねた。
「知り合いがいる」カリムは言った。「彼に連絡を取る必要がある」
彼らはターミナル近くの小さなカフェに入った。カリムは電話を借りるために店員に話しかけた。他のメンバーはテーブルに座り、休息を取った。
「ベオグラードは大きいわね」ヤスミンが言った。「こんな大都市は久しぶり」
「ええ」ナディルは頷いた。「でも、大きな都市は警察も多い。注意が必要です」
カリムが戻ってきた。「連絡が取れた。彼は私たちを迎えに来る」
「信頼できる人なのか?」ハサンは尋ねた。
「ああ」カリムは答えた。「彼はシリア人コミュニティの一員だ。多くの難民を助けている」
彼らは30分ほど待った後、一人の男性がカフェに入ってきた。30代半ばで、短い髭を生やし、自信に満ちた様子だった。彼はカリムを見つけると、笑顔で近づいてきた。
「カリム、無事で良かった」彼は言った。
「タレク、ありがとう」カリムは立ち上がり、彼と抱擁を交わした。
カリムは彼をグループに紹介した。「これがタレクだ。彼はベオグラードのシリア人コミュニティのリーダーの一人だ」
タレクは全員に挨拶した。「皆さん、ようこそ。ここは安全ではありません。私の家に行きましょう」
彼らはタレクについて行き、二台のタクシーに分乗した。タクシーは市内を通り抜け、やがて郊外の住宅地に到着した。タレクの家は質素だったが、清潔で暖かかった。
「どうぞ、くつろいでください」タレクは言った。「食事を用意します」
彼は台所に立ち、簡単な食事を作り始めた。ヤスミンが手伝いに行った。他のメンバーはリビングルームで休んだ。子供たちはすぐにソファで眠りについた。
「タレクをどう思う?」ハサンは小声でカリムに尋ねた。
「信頼できる」カリムは答えた。「彼は多くの難民を助けてきた。ハンガリー国境を越える手配もしてくれるだろう」
「費用は?」
「高いだろうな」カリムは言った。「でも、他に選択肢はない」
食事の準備ができ、彼らはテーブルを囲んだ。シリア風の料理は、ハサンとアミラに故郷を思い出させた。
「明日、ハンガリー国境への移動について話し合いましょう」タレクは言った。「今夜はゆっくり休んでください」
彼らは感謝の言葉を述べ、久しぶりの温かい食事と安全な屋根の下での夜を過ごした。しかし、ハサンの心の中には、まだ不安があった。彼らの旅は、まだ半分も終わっていなかった。そして、最も危険な部分はこれからだった。
彼はアミラが眠る姿を見つめながら、彼女を安全な場所に連れて行くという約束を思い出した。どんな困難があっても、その約束は守らなければならない。