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運び屋のゲーム 〜バルカンルートの影〜  作者: 犬伏犬太
【第2部:国境のラビリンス】【第5章:山の向こう側】
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第3節:森の中の追跡

# 第3節:森の中の追跡


【登場人物紹介】

・ハサン:19歳のシリア人青年。妹のアミラを守るため、ヨーロッパを目指している。

・アミラ:ハサンの10歳の妹。両親を空爆で亡くし、兄と共に避難中。

・ファティマ:30代のシリア人女性。5歳の息子サミルと共に難民としてヨーロッパを目指している。

・カリム:25歳のシリア人男性。アレッポ出身の元大学生。家族と再会するためドイツを目指している。

・ヴラド:40代のマケドニア人男性。国境越えのガイド役。無口で厳格な性格。

・ラヒム:40代のアフガニスタン人男性。元教師で、静かだが頼りになる存在。

・国境警備隊:セルビアとマケドニアの国境を警備する兵士たち。


---


【マケドニア北部 - セルビア国境近く】


列車は揺れながら北へと進んでいた。窓の外には、マケドニアの田園風景が広がっていた。黄金色に輝く麦畑と深緑の葡萄畑が丘陵地帯に広がり、点在する小さな村々は赤茶色の屋根と白い壁が陽光に照らされて輝いていた。遠くには青みがかった山脈が霞んで見え、その頂には雲がかかっていた。時折、羊の群れを連れた羊飼いの姿も見えた。シリアの故郷とは違う風景だが、どこか懐かしさを感じさせる美しさがあった。


ハサンはアミラの隣に座り、彼女が眠るのを見守っていた。向かいの席では、ファティマがサミルを抱きかかえていた。カリムは通路側の席に座り、常に周囲を警戒していた。窓側の席では、ラヒムが静かに本を読んでいた。彼は国境越え以来、あまり多くを語らなかったが、その穏やかな存在は彼らに安心感を与えていた。


「もうすぐだ」カリムは小声で言った。「次の駅で降りる」


ゴランの指示通り、彼らは普通の旅行者を装っていた。新しい服を着て、バックパックには必要最低限の荷物だけを詰めていた。警察の目を引かないよう、グループで行動することは避け、列車内でも離れて座っていた。


列車が減速し始めた。小さな町の駅に到着しようとしていた。ハサンは緊張で体が硬くなるのを感じた。


「自然に」カリムは言った。「急いではいけない。でも、遅れもいけない」


列車が完全に停止すると、彼らは他の乗客と一緒に降りた。駅は小さく、数人の地元の人々がいるだけだった。警察の姿は見えなかった。


「あの建物の裏に行け」カリムは指示した。「そこでヴラドが待っているはずだ」


彼らは駅を出て、指示された場所に向かった。古い倉庫の裏には、中年の男性が立っていた。無精ひげを生やし、風化した顔をしていた。


「ヴラドか?」カリムが尋ねた。


男は頷いただけで、彼らに従うよう手で合図した。言葉を交わさず、彼は彼らを町の外れに停めてあるボロボロのバンへと案内した。


「乗れ」彼は初めて口を開いた。声は低く、かすれていた。


彼らはバンに乗り込んだ。内部は狭く、座席は取り外されていた。床に座るしかなかった。


「国境まで1時間」ヴラドは言った。「そこから徒歩だ。3時間ほどかかる」


バンは舗装された道路を離れ、でこぼこの田舎道を進んだ。窓から見える景色は次第に人里離れた場所になっていった。畑は森に変わり、家々は見えなくなった。


「準備はいいか?」カリムはハサンに尋ねた。


「ああ」ハサンは答えた。「アミラは大丈夫だろうか?」


「子供は強い」ラヒムが静かに言った。「彼らには驚くべき回復力がある」


バンは突然、森の中の小道に入った。枝が窓をかすめ、車体が大きく揺れた。やがて、バンは完全に停止した。


「ここまでだ」ヴラドは言った。「ここから歩く」


彼らはバンから降り、周囲を見回した。深い森の中だった。太陽は西に傾きかけていた。


「暗くなる前に国境を越えたい」ヴラドは言った。「ついてこい。静かに」


彼らは一列になって歩き始めた。ヴラドが先頭、次にファティマとサミル、アミラとハサン、そしてカリム、最後にラヒムが続いた。ラヒムは時折立ち止まり、後方を確認していた。彼の教師としての冷静さと観察力は、この危険な旅で役立っていた。


「国境はどこ?」アミラが小声で尋ねた。


「見えないんだよ」ハサンは答えた。「でも、すぐそこだ」


実際、国境線は目に見えるものではなかった。森の中のどこかに想像上の線があるだけだ。しかし、その線を越えることは、彼らの旅の中で最も危険な瞬間の一つだった。


1時間ほど歩いた後、ヴラドは突然立ち止まった。彼は手を上げ、全員に止まるよう合図した。


「何か聞こえる」彼は囁いた。


彼らは息を殺して耳を澄ました。遠くに犬の吠える声が聞こえた。


「警備隊だ」ヴラドは言った。「方向を変える」


彼らは予定していたルートを変更し、より深い森の中へと進んだ。道のりは険しくなり、斜面を登ることもあった。子供たちは疲れ始めていたが、文句を言わずについてきた。


太陽が沈み始め、森の中は薄暗くなってきた。ヴラドはペースを上げた。


「もうすぐだ」彼は言った。「あの丘を越えれば、セルビアだ」


彼らは最後の力を振り絞って丘を登り始めた。アミラは足を引きずり始めていたので、ハサンは彼女を背負った。ファティマもサミルを抱きかかえていた。ラヒムは時折後ろを振り返りながら、グループの最後尾を守るように歩いていた。


丘の頂上に近づいたとき、突然、犬の吠える声が近くで聞こえた。


「伏せろ!」ヴラドは命じた。


全員が地面に身を伏せた。木々の間から、懐中電灯の光が見えた。国境警備隊だ。


「動くな」カリムがハサンの耳元で囁いた。「彼らが通り過ぎるのを待つ」


彼らは息を殺し、じっと待った。アミラはハサンの腕の中で震えていた。ハサンは彼女を強く抱きしめ、安心させようとした。


警備隊は彼らから約50メートルの場所を通過していった。犬は何かの匂いを嗅ぎつけたようだったが、幸いにも彼らの方向には来なかった。


「あと少し待て」ヴラドは言った。


彼らは10分ほど動かずにいた。警備隊の光と音が完全に消えてから、ヴラドは再び立ち上がった。


「行くぞ」彼は言った。「急いで」


彼らは丘を駆け上がった。頂上に着くと、ヴラドは立ち止まり、周囲を確認した。


「ここがセルビアとの国境だ」彼は言った。「あと少し進めば、安全だ」


彼らは丘を下り始めた。セルビア側の森はより暗く、密集していた。足元は滑りやすく、注意が必要だった。


突然、後ろから犬の吠える声と怒号が聞こえた。


「走れ!」ヴラドは叫んだ。


彼らは森の中を全力で走り始めた。ハサンはアミラを背負ったまま走った。カリムはファティマとサミルを助けていた。ラヒムは一瞬立ち止まり、後方を見た。


「彼らが近づいている」ラヒムは静かに言った。「彼らの注意を引きつける。君たちは先に行け」


「何を言ってるんだ?」ハサンは振り返った。


「散れ!」ヴラドは命じた。「別々の方向に行け!彼らは全員を追えない!」


混乱の中、彼らはバラバラになった。ハサンとアミラは右に、ファティマとサミルはカリムと共に左に、ヴラドはまっすぐ進んだ。


「ラヒム!」ハサンは叫んだが、森の暗がりの中で彼の姿は見えなくなっていた。


ラヒムは別の方向—警備隊の方向に向かって—走り去った。彼は意図的に注意を引こうとしているようだった。


ハサンは一瞬迷ったが、アミラを守るために前に進むしかなかった。


「ラヒム先生は?」アミラが小声で尋ねた。


「彼は別の道を行った」ハサンは答えた。「きっと大丈夫だよ。彼は賢い人だから」


しかし、内心では彼も心配していた。ラヒムは自分たちを守るために、自らを危険にさらしたのではないか?


ハサンは息が切れるまで走った。アミラの重みで足が痛んだが、彼は止まらなかった。後ろからは犬の吠える声と、警備隊の叫び声が聞こえた。それらは次第に遠ざかっていった。


「兄さん、怖い」アミラが泣きそうな声で言った。


「大丈夫だよ」ハサンは息を切らしながら答えた。「もうすぐ安全な場所に着くから」


彼らは小さな渓流に出た。ハサンは一瞬立ち止まり、どちらに進むべきか考えた。


「水の中を歩こう」彼は決断した。「犬に匂いを嗅がれないように」


彼らは冷たい水の中を進んだ。アミラは震えていたが、文句を言わなかった。彼らは約100メートルほど渓流に沿って歩き、その後、再び森の中に入った。


「もう聞こえない」ハサンは言った。「犬の声が」


彼らは少し休むために立ち止まった。ハサンはアミラを下ろし、彼女に水を飲ませた。


「カリムたちは大丈夫かな」アミラが心配そうに尋ねた。「ラヒム先生も...」


「きっと大丈夫だよ」ハサンは言った。「カリムは経験豊富だし、このルートを知っている。ラヒムも賢い人だ。彼らは自分の身を守る方法を知っている」


しかし、内心では彼も心配していた。彼らは集合場所について話し合っていなかった。もし、はぐれたままだったら?


「どうしよう?」ハサンは自分に問いかけた。


彼はカリムから渡された紙切れを思い出した。ドイツの連絡先だ。しかし、それはまだ先の話だった。今必要なのは、セルビアでの次の移動手段だ。


「とにかく北に進もう」ハサンは決めた。「大きな道路か町に出れば、何か手がかりがあるかもしれない」


彼らは再び歩き始めた。月明かりだけが彼らの道を照らしていた。森は静かで、時折、夜の動物の音だけが聞こえた。


数時間後、彼らは森の端に到達した。遠くに小さな町の灯りが見えた。


「あそこに行こう」ハサンは言った。「でも、注意深く」


彼らは森の縁に沿って歩き、町に近づいた。町に入る前に、ハサンは周囲を警戒した。警察や警備隊の姿はなかった。


「小さな町だ」ハサンは言った。「目立たないように」


彼らは町の外れにある小さな公園のベンチに座った。アミラは疲れ果て、すぐにハサンの膝の上で眠りについた。


ハサンは夜空を見上げた。彼らはセルビアに入ることができた。しかし、ラヒムたちとはぐれてしまった。次にどうすべきか、彼は考え続けた。


「カリム、ラヒム、無事でいてくれ」彼は心の中で祈った。特にラヒムが心配だった。彼は最後に警備隊の方向に向かっていた。捕まってしまったのだろうか?


夜が更けていく中、ハサンは警戒を続けながら、次の一歩について考えていた。旅はまだ始まったばかりだった。そして今、彼らは再び一人きりになっていた。

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