第2節:カリムとの邂逅
# 第2節:カリムとの邂逅
【登場人物紹介】
・ハサン:19歳のシリア人青年。妹のアミラを守るため、ヨーロッパを目指している。
・アミラ:ハサンの10歳の妹。両親を空爆で亡くし、兄と共に避難中。
・ファティマ:30代のシリア人女性。5歳の息子サミルと共に難民としてヨーロッパを目指している。
・カリム:25歳のシリア人男性。アレッポ出身の元大学生。家族と再会するためドイツを目指している。
・ゴラン:40代のマケドニア人男性。スコピエで難民たちに宿を提供している。
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【マケドニア入国後 - 同日昼】
バンはでこぼこの田舎道を揺られながら進んでいた。窓から差し込む日差しで、ハサンは目を覚ました。隣ではアミラが依然として深い眠りについていた。彼女の顔は疲れていたが、平和そうに見えた。
「どのくらい寝ていた?」ハサンはカリムに尋ねた。
「1時間ほどだ」カリムは答えた。「もうすぐスコピエに着くらしい」
スコピエ。マケドニアの首都。バルカンルートの次の重要な中継地点だった。
「次はどうするつもりだ?」カリムが尋ねた。
「正直、わからない」ハサンは小声で答えた。「セルビアに向かうつもりだが、どうやって行くべきか…」
「俺と一緒に来ないか?」カリムは提案した。「俺はこのルートを研究してきた。セルビア国境までの移動手段も知っている」
ハサンは少し考えた。カリムは信頼できる相手に見えた。同じシリア人で、同じ目的地を目指している。それに、彼は一人旅の経験があり、情報も持っているようだった。
「ありがとう」ハサンは言った。「一緒に行けたら助かる」
バンは郊外の住宅地に入り、やがて人目につかない場所で停車した。運転手は振り返り、「着いた」と言った。
彼らは一人ずつバンから降りた。周囲は静かな住宅街で、誰も彼らに注目していないようだった。
「ここからどうすれば?」ファティマが不安そうに尋ねた。
「心配するな」カリムが言った。「俺の知り合いがいる。彼の家で休める」
カリムは携帯電話を取り出し、短い会話を交わした。数分後、中年の男性が彼らの元に現れた。
「ゴランだ」カリムが紹介した。「彼は難民を助けている」
ゴランは40代の男性で、疲れた顔をしていたが、優しい目をしていた。彼は簡単に挨拶すると、彼らを近くの家に案内した。
「ここで休め」ゴランは言った。「食事と寝る場所を用意する。明日、次の移動について話そう」
家の中は質素だったが、清潔で暖かかった。数人の難民がすでにそこにいた。彼らも同じルートで来たのだろう。
ゴランの妻が温かい食事を用意してくれた。スープとパン、そして久しぶりの温かい紅茶。子供たちは食事の後、すぐに用意されたマットレスで眠りについた。
「少し話さないか?」カリムはハサンを外に誘った。
彼らは家の裏庭に出た。夕暮れが近づき、空が赤く染まり始めていた。
「なぜ俺たちを助けてくれる?」ハサンはカリムに尋ねた。
カリムはしばらく黙っていた。「俺も助けられたからだ」彼は最終的に言った。「このルートを一人で進むのは難しい。特に子供を連れていると」
「あなたはこのルートに詳しいの?」
「ある程度は」カリムは答えた。「2回目の挑戦だ。1回目は失敗した」
「失敗?」
カリムは深く息を吐いた。「セルビアで捕まった。国境警備隊に。彼らは俺をマケドニアに送り返した」
「それで、また挑戦しているんだ」
「ああ」カリムは頷いた。「家族がドイツで待っている。諦めるわけにはいかない」
ハサンは彼の決意に感銘を受けた。彼自身も同じ気持ちだった。どんな困難があっても、アミラを安全な場所に連れて行かなければならない。
「次はどうやってセルビアに行くつもりだ?」ハサンは尋ねた。
「列車だ」カリムは言った。「スコピエからセルビア国境近くまで。そこからまた徒歩で国境を越える」
「危険は?」
「常にある」カリムは正直に答えた。「でも、前回の経験から学んだ。今回は違うルートを使う」
彼らは静かに座り、夕日を見つめた。
「なぜドイツなんだ?」カリムが突然尋ねた。
「安全だと聞いたから」ハサンは答えた。「それに、難民を受け入れていると」
「そうだな」カリムは頷いた。「でも、そこに着いても簡単ではない。言葉の壁、文化の違い、そして何より、難民としての烙印」
「それでも、シリアよりはマシだ」ハサンは言った。「少なくとも、爆弾が降ってくる心配はない」
カリムは苦笑した。「確かにな」
彼の目は遠くを見つめ、一瞬、記憶の中に戻ったようだった。「アレッポの最後の日々を覚えている。大学に通っていた頃だ。ある日、講義の最中に爆撃があった。窓ガラスが粉々に砕け、建物が揺れた。みんな机の下に隠れた」
カリムは深く息を吐いた。「その後、街は徐々に崩壊していった。水道は止まり、電気も不安定になった。パン屋に並ぶ列が爆撃の標的になることもあった。夜になると、空を照らす爆発の光と轟音で眠れなかった」
「うちの近所には、かつて美しい公園があった」彼は続けた。「子供の頃によく遊んだ場所だ。最後に見たときは、瓦礫の山と化していた。木々は焼け落ち、ベンチは破壊され、遊具は鉄くずになっていた」
ハサンは黙って聞いていた。彼自身も似たような光景を目撃していた。アミラが両親を失った日の恐怖を、彼は決して忘れることができないだろう。
「だから、どんなに困難でも、この旅を続ける価値がある」カリムは言った。「ドイツでの生活が完璧でなくても、少なくとも生きる機会がある」
「あなたの家族は?どうやってドイツに行ったの?」ハサンは尋ねた。
「俺と同じルートだ」カリムは答えた。「ただ、彼らは運が良かった。2015年、国境がまだそれほど厳しく管理されていなかった頃に渡った」
「今は?」
「今は難しい」カリムは言った。「国境の警備が厳しくなった。フェンスが建設され、パトロールが増えた。だから、専門家の助けが必要なんだ」
「ヨルゴスのような人?」
「ああ」カリムは頷いた。「彼らは『運び屋』と呼ばれている。国境を越えるための道を知っている。もちろん、安くはないが」
ハサンは考え込んだ。彼らの旅はまだ始まったばかりだった。ギリシャからマケドニアへの国境越えは成功したが、先にはまだ多くの国境が待っていた。セルビア、ハンガリー、そしてオーストリア。それぞれの国境で、彼らは同様の危険に直面するだろう。
「心配するな」カリムは彼の肩を叩いた。「一歩ずつだ。まずはここで休んで、次の移動の準備をしよう」
彼らは家に戻った。ファティマは子供たちの隣で眠っていた。ハサンはアミラの横に座り、彼女の髪を優しく撫でた。
「必ず連れて行くからね」彼は小声で言った。「安全な場所に」
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翌朝、ゴランは彼らを集めて話をした。
「スコピエの中央駅から列車が出ている」彼は言った。「北へ向かう列車だ。それに乗れば、セルビア国境近くまで行ける」
「警察は?」誰かが尋ねた。
「注意が必要だ」ゴランは答えた。「駅では警察が難民を探している。だが、地元の人間のように振る舞えば、大丈夫だろう」
彼は地図を広げ、ルートを示した。「列車はここで止まる」彼は国境近くの小さな町を指した。「そこから徒歩で国境を越えることになる」
「ガイドは?」別の難民が尋ねた。
「私の知り合いがいる」ゴランは言った。「彼があなたたちを案内する。費用は一人300ユーロだ」
また高額な支払いだ。ハサンは財布の中身を確認した。ギリシャからマケドニアへの国境越えですでに多くを使っていた。このペースでは、ドイツに着く前に資金が尽きてしまうだろう。
「心配するな」カリムが小声で言った。「俺が払う」
「そんな」ハサンは驚いた。「そんなことできない」
「後で返せばいい」カリムは微笑んだ。「今は助け合いが大切だ」
ハサンは感謝の気持ちで一杯になった。この旅で、彼は様々な人々の親切に触れてきた。エレナとニコス、マルコスとディミトリ、そして今、カリム。
「ありがとう」ハサンは心から言った。「必ず返す」
「列車は明日の朝だ」ゴランは続けた。「今日は休んで準備をしろ。明日は早い」
彼らは一日中、ゴランの家で休息を取った。子供たちは裏庭で遊び、大人たちは次の移動について話し合った。カリムはセルビアでの経験を共有し、注意点を教えてくれた。
夕食後、カリムはハサンを再び外に誘った。
「これを持っていけ」彼はハサンに小さな紙切れを渡した。「ドイツの連絡先だ。もし俺たちがはぐれても、そこに連絡すれば助けてもらえる」
ハサンは紙を受け取り、ポケットに入れた。「ありがとう」
「もう一つ」カリムは言った。「これも持っていけ」
彼は小さなナイフをハサンに渡した。
「何のため?」ハサンは尋ねた。
「自衛だ」カリムは真剣な表情で言った。「このルートは危険だ。国境警備隊だけでなく、盗賊や人身売買業者もいる」
ハサンはナイフを見つめた。彼は暴力を好まなかったが、カリムの言うことは理解できた。アミラを守るためには、あらゆる手段を講じなければならない。
「わかった」ハサンはナイフを受け取った。「でも、使わなくて済むことを祈る」
「俺もそう願う」カリムは言った。
彼らは星空の下、明日の旅について静かに話し合った。セルビアへの国境越え、そしてその先の長い道のり。困難は続くが、彼らは一歩ずつ前に進むしかなかった。
「カリム」ハサンは尋ねた。「ドイツに着いたら、何をするつもりだ?」
カリムは少し考えてから答えた。「まず家族と再会する。それから…できれば学業を続けたい」
「何を勉強していたんだ?」
「工学だ」カリムは言った。「いつか、シリアの再建に貢献したいと思っている」
ハサンは感心した。カリムには明確な目標があった。彼自身は、ただアミラを安全な場所に連れて行くことだけを考えていた。その先のことは、あまり考えていなかった。
「君は?」カリムが尋ねた。
「わからない」ハサンは正直に答えた。「とにかくアミラを安全な場所に連れて行きたい。それだけだ」
「それも立派な目標だ」カリムは言った。「でも、いつかは自分のことも考えなければならない」
ハサンは黙って頷いた。カリムの言葉は彼の心に響いた。
夜が更けていく中、彼らは明日の旅に備えて家に戻った。明日はまた新たな挑戦の日になるだろう。しかし今夜は、安全な屋根の下で休むことができる。それだけでも、感謝すべきことだった。