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運び屋のゲーム 〜バルカンルートの影〜  作者: 犬伏犬太
【第2部:国境のラビリンス】【第4章:難民キャンプの日々】
13/22

第3節:次なるステップ

# 第3節:次なるステップ


【登場人物紹介】

・ハサン:19歳のシリア人青年。妹のアミラを守るため、ヨーロッパを目指している。

・アミラ:ハサンの10歳の妹。両親を空爆で亡くし、兄と共に避難中。

・ファティマ:30代のシリア人女性。5歳の息子サミルと共に難民としてヨーロッパを目指している。

・マルコス:40代のギリシャ人漁師。難民たちを密かに支援している。

・ディミトリ:マルコスの甥。20代前半の若者で、叔父の仕事を手伝っている。


---


【キャンプ脱出後 - 同じ夜】


夜の闇に紛れ、ハサンたちはキャンプから離れた浜辺に向かって歩いていた。アミラは疲れた様子だったが、文句を言わずについてきていた。サミルはファティマの腕の中で眠っていた。


「どこに向かうの?」アミラが小声で尋ねた。


「港の近くよ」ファティマが答えた。「そこで船に乗るの」


ハサンは周囲を警戒しながら歩いていた。キャンプから脱出したことが発覚すれば、警察が捜索を始めるかもしれない。彼らは目立たないように、できるだけ人目につかない道を選んでいた。


「あと少しだ」ハサンは妹を励ました。「頑張って」


月明かりだけが彼らの道を照らしていた。遠くに小さな漁港の灯りが見え始めた。エレナの夫ニコスの指示通り、彼らは港の東側にある小さな入り江に向かった。


キャンプを出る前日、ニコスは彼らに詳しい脱出計画を伝えていた。「キャンプを出たら、東の漁港に向かいなさい。そこに私の友人マルコスが小さなボートで待っている。彼が君たちを本土まで運んでくれる」


ニコスは地図を広げ、指で場所を示した。「彼には連絡済みだ。『ニコスから来た』と言えば、彼は理解するだろう」そう彼は言っていた。


「そこに誰かいる」ファティマが囁いた。


ハサンは立ち止まり、慎重に前方を見た。確かに、浜辺に小さなボートが停泊し、一人の男が待機しているようだった。


「マルコスさんかもしれない」ハサンは言った。「ニコスさんが言っていた漁師だ」


彼らは慎重に近づいた。男は彼らに気づくと、小さく手を振った。


「ハサンか?」男は小声で尋ねた。


「はい」ハサンは答えた。「ニコスさんから来ました」


この言葉は、ニコスとマルコスの間で決められた合言葉のようなものだった。ハサンたちが本当にニコスの紹介で来た難民であることを確認するためのものだ。


「俺はマルコスだ」男は自己紹介した。「ニコスの友人だ。急いで、ボートに乗れ」


マルコスは40代半ばの頑丈な体つきの男で、風雨に鍛えられた顔をしていた。彼は素早く彼らをボートに乗せ始めた。


「まず子供たち」彼は言った。


アミラとサミルがボートに乗り込み、次にファティマ、そしてハサンが続いた。マルコスは周囲を最後に確認してから、自分も乗り込んだ。


「どこに連れて行ってくれるんですか?」ハサンは尋ねた。


「本土だ」マルコスは答えた。「そこからアテネへのバスがある」


彼はエンジンをかけ、ボートはゆっくりと岸を離れた。


「低く身を隠していろ」マルコスは指示した。「沿岸警備隊のパトロールがある」


彼らはボートの底に身を潜め、マルコスだけが操縦していた。波の音と、時折聞こえる夜の鳥の鳴き声以外は静かだった。


「なぜ私たちを助けてくれるんですか?」ハサンはマルコスに尋ねた。


マルコスはしばらく黙っていたが、やがて答えた。「俺の父も難民だった。トルコからの。多くのギリシャ人は難民の歴史を持っている」


彼は一瞬、遠くを見つめた。「それに、海は多くの命を奪った。俺は漁師として、海を知っている。できるだけ多くの命を救いたいんだ」


ハサンは黙って頷いた。この旅で、彼は様々な人々に出会った。搾取する者もいれば、助ける者もいる。マルコスは後者のようだった。


「アテネでは気をつけろ」マルコスは続けた。「警察の取り締まりが厳しくなっている。特に駅や主要な広場ではな」


「ニコスさんが教えてくれたNGOに連絡するつもりです」ハサンは言った。


「それが良い」マルコスは頷いた。「一人で行動するよりも安全だ」


約1時間後、彼らは本土の小さな浜辺に到着した。人気のない場所で、近くに民家は見えなかった。


「ここから北に10分ほど歩くと道路がある」マルコスは説明した。「そこでディミトリが待っている。彼が君たちをバスステーションまで車で送る」


「本当にありがとうございます」ハサンは心から感謝した。


「これを持っていけ」マルコスは小さなバッグを渡した。「食料と水、それから地図だ」


彼らはボートから降り、マルコスと別れた。指示通り北に向かって歩き始めると、確かに道路が見えてきた。そこには古い青いバンが停まっていた。


若い男が窓から顔を出した。「ハサン?」


「はい」


「俺はディミトリ、マルコスの甥だ」彼は自己紹介した。「乗れ、急いで」


彼らは素早くバンに乗り込んだ。ディミトリは20代前半の若者で、叔父よりも神経質そうな様子だった。


「バスステーションまで約30分かかる」彼は説明した。「そこからアテネ行きの最初のバスは朝の5時だ」


「警察は?」ハサンは心配そうに尋ねた。


「心配するな」ディミトリは言った。「この時間、彼らは忙しい。それに、俺たちは地元の人間だ。怪しまれることはない」


バンは暗い道路を進んでいった。アミラとサミルは疲れて眠り込んでいた。ファティマも目を閉じていたが、ハサンは緊張して窓の外を見続けていた。


「緊張しているな」ディミトリが言った。


「はい」ハサンは正直に答えた。「これまでの旅で、多くの危険な場面がありました」


「理解できる」ディミトリは頷いた。「でも、今夜は大丈夫だ。俺たちはこのルートをよく知っている」


「あなたたちは多くの難民を助けているんですか?」


「できる限りね」ディミトリは答えた。「叔父は特に子供のいる家族を優先している」


バンは小さな町に入り、やがて閑散としたバスステーションに到着した。夜間は閉鎖されていたが、待合室は開いていた。


「ここで朝まで待つんだ」ディミトリは言った。「チケットは朝、窓口が開いたら買える」


彼はポケットからお金を取り出した。「これでチケットを買え。アテネまでだ」


「もう十分助けてもらいました」ハサンは断ろうとした。


「受け取れ」ディミトリは強く言った。「これは叔父からだ。彼は君たちが安全にアテネに着くことを望んでいる」


ハサンは感謝してお金を受け取った。


「アテネに着いたら、この住所に行け」ディミトリは小さなメモを渡した。「そこは難民を支援する場所だ。食事と情報が得られる」


彼らはディミトリに別れを告げ、待合室に入った。幸い、他に人はいなかった。彼らはベンチに座り、子供たちを寝かせた。


「ここまで来られたなんて信じられない」ファティマは小声で言った。


「まだ旅の始まりです」ハサンは答えた。「アテネからドイツまでは長い道のりがあります」


「でも、少なくともキャンプから出られた」彼女は言った。「それだけでも大きな一歩よ」


ハサンは頷いた。確かに、彼らは一つの障壁を乗り越えた。しかし、先にはさらに多くの障害が待ち受けているだろう。


「ラヒムさんはもうアテネにいるはずです」ハサンは言った。「彼に会えれば、次の移動について助言をもらえるかもしれません」


「あなたは彼を信頼しているの?」ファティマが尋ねた。


ハサンは少し考えてから答えた。「完全には信頼していません。でも、彼は経験豊富です。私たちよりも多くのことを知っています」


「私はニコスさんのNGOの連絡先を試してみたい」ファティマは言った。「子供たちのためにも、より安全な方法を選びたいわ」


「そうですね」ハサンは同意した。「両方の選択肢を探ってみましょう」


窓の外では、夜が深まっていた。数時間後には夜明けが訪れ、彼らはアテネへの旅を続けることになる。ハサンはアミラの寝顔を見つめた。彼女のために、彼は最善の選択をしなければならない。


「お休み」ハサンはファティマに言った。「少し休んだ方がいいです。交代で見張りをしましょう」


「そうね」彼女は頷いた。「最初は私が見張るわ。2時間後に交代しましょう」


ハサンはベンチに横になり、アミラの隣に寄り添った。疲れていたにもかかわらず、すぐには眠れなかった。頭の中では、これからの計画が次々と浮かんでは消えていった。


アテネでは何が待っているのだろう?ラヒムは本当に彼らを助けてくれるのだろうか?ニコスのNGOの連絡先は信頼できるのだろうか?


そして何より、彼らはいつか本当に安全な場所にたどり着けるのだろうか?


窓から見える星空の下、ハサンは静かに祈った。両親のために、アミラのために、そして彼ら全員の未来のために。


「次のステップへ」彼は心の中で呟いた。「一歩ずつ前に進もう」


やがて、疲労が勝り、ハサンは深い眠りに落ちていった。明日は新たな挑戦の日になるだろう。

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