王子様から誘われた披露宴でハブられたので帰ろうとしました
多分、Bエンドくらい。
2024/7/12朝時点で総合日間ランキング1位でした。
読了してくださった皆様にただただ感謝。
綺羅びやかな披露宴会場。
嘲笑。
私の席にだけ無い椅子。
殿下と公爵令嬢様の強張った顔を見て、私は微笑みを浮かべた。
これから始まる、惨劇を予感しながら。
╌╌╌╌
「ねえ、アベラール様とボリエ第二王子殿下、ご卒業と同時にご結婚されるらしいわよ!」
「きゃー!本当に!?でもそうよね、お似合いだったもの!」
…急に叫ぶので、左耳が壊れるかと思った。
如何にもな女子生徒達の悲鳴と噂話を尻目に、私はそそくさと荷物をまとめて教室を出た。アベラール公爵令嬢様のお友達であると同時に、取り巻きでもある彼女達からすれば、殿下とのご結婚はこの上ない朗報だろう。
きっと彼女達は、王族と繋がりがある貴族令嬢であると見做され、良縁に恵まれていくに違いない。それはそれで中々ハードな人間関係の中で生きることになるが、世渡り上手な彼女達なら、この先も上手くやっていけるはずだ。
まあしかし、そういうのは、そういうことに向いてる人がやればいいのだ。
残念ながら私は平民で、社交的でもないので、人脈どころか友達すらいない。独りで趣味のポーション調合だけしていれば、一日を満足に過ごせてしまうような、陰の人だ。私自身がそれを望んでいる訳だし、これでいい。
「そろそろコロコロ草の花粉が採れる季節か…少し採取してから帰ろ」
「おやおや、クリス君。今日も自宅で調合実験かな?」
「げ」
嫌なやつに会った。私の中での第一印象ランキング、ぶっちぎり最下位の王族様である。なお第二印象ランキングに至っては、殿堂入りまで果たしている伝説の御仁でもある。
「その毛虫を見るような目は止めろ。いつもながら不敬であるぞ」
「それはそれは、大変失礼いたしました、ボリエ第二王子殿下」
あいにく表情筋を偽るのが、大変苦手なものでして。
「ふふん、わかればよろしい」
でもまあ、それは、お互い様か。
ボリエ第二王子…この国における最高権力者の第二子でありながら、最も王位継承権で優位に立つお人である。その理由は、彼の兄である第一子が、妾の子であったことによる。
『おい、眼鏡女!俺にぶつかってくるとは良い度胸だな!跪け!ここで首を飛ばしてくれる!!』
学園に入ってきた頃の第二王子は、本当に荒んでいた。誰に対しても横柄で、無礼で、偉そうで、鼻持ちならなかった。しかし入学から数年かけて丸くなったので、将来はお強くも優しい王様になるだろうと、周りから再評価され始めているらしい。
とはいえ平民の私には、あまり関係のない話だ。卒業後は城下町のポーションショップに就職予定なので、こうして王族と関わる機会も無くなるだろう。
「知ってると思うが、結婚することになった」
「おめでとうございます」
「ありがとう。お前には、これまで随分世話になったな。卒業まで僅かな期間だが、よろしく頼む」
いずれ疎遠になることは、向こうも分かってるはずなのに、あの打ち首未遂事件以来、こうして時々絡んでくる。王族の考えることは、よくわからない。
「私こそ。それで、なんの御用ですか?」
「この後少し時間あるか?」
あ、これいつもの面倒事だ。逃げよ。
「生憎予定がありまして」
「コロコロ草の花粉なら明日でも採れるだろ」
くそ、独り言を聞かれていたか。ていうかナチュラルに手を掴むな、手を。相手が王子様では、うかつに振り払えないだろうが。
「今日採りたいのです」
「いやだから待てと言うに。なら話はいいから、これを受け取ってくれ」
「要りません」
以前もこれと同じ手で、とある女子生徒から贈られたクッキーにまぶされていた、謎の白い粉を鑑別させられた。あれはやばかったな…。
この人はいつもこうして、私の趣味と、その知識を悪用して、私に厄介事を解決させようとする。
「即答かよ。じゃあカバンに入れておくからな」
「は?ちょ、ちょっと、変なもの入れないでください!?」
「ははは!本当に不敬なやつだ、お前は。では、またな」
カバンの中に、何か紙のようなものをねじ込んだ殿下は、満足そうに笑いながら去っていった。その先には、キャーキャーと黄色い悲鳴を挙げる女子生徒たちと、婚約者であるアベラール公爵令嬢様がいた。
うーん、まさに美男美女だ。実に絵になる。男の方の内面さえ脳裏にチラつかなければ、もっと高価な絵になるのに。
「…はあ。今度は何に巻き込むつもりなの?」
殿下から持ち込まれた物は、大抵厄介事の種になる。今回もその一つなのだろう。
そう、思っていたのだが。
次々と蘇る頭痛もそこそこに、私は殿下からのプレゼントを確認した。青い封蠟がされた封筒の中身を取り出すと、そこには意外な驚きこそあったが、不快さを感じさせないものが入っていた。
「!…結婚披露宴の招待状か」
日時は、半年後に控えている卒業式の2時間後。場所は王城のダンスホール。
平民の私を招待したということは、学園のクラスメイトを広く招待してるのだろう。もっと大々的に、それこそ城下町でパレードでもするのかと思っていたが、意外と庶民的な考えをお持ちなのだな。
あるいはこれも、学園生活の中で培われた庶民感覚なのだろうか。だとしたら殿下にとって、ここの3年間は良いものだったのだろう。
流石にサボれないね、これは。ドレス買うお金なんて無いから、制服のままでいっか。
「テーブルマナー、覚え直さなきゃな」
この時の私は、学生生活最後の旅行を楽しむ位にしか考えてなかった。
今でも思う。あの時、殿下の手を躱しておけば、過去最大レベルの厄介事へ巻き込まれずに済んだろうにと。
╌╌╌╌
「おはようございま…す?」
カバンに招待状をねじ込まれた次の日から、教室の様子が一変した。周りの女子生徒からの視線に、どこか違和感を感じる。誰もが私を見ながら、ヒソヒソと何かを耳打ちしていた。
その目線と態度は、入学初日にあった底辺を見るような、差別意識に似ていた。あの頃は路傍の石を見下ろす程度のものだったが、今回のはもっと粘ついていて、悪意が込められているように感じる。
何か不興を買ったか?てんで覚えが無いんだけど…?
「クリスさん、ちょっと良いかしら」
席に座ろうとしたところに、麗しき声を掛けられた。……え、もしかして今、アベラール公爵令嬢様に、直接話しかけられたのか?これまでそんな事、一度も無かったはずなのに。
あ、まずい!そういえば昨日、アベラール様のこと御祝いしてないじゃないか!もしかして、この空気って、そのせいか!?私の非常識さを訝しんで!?
「は、はい!アベラール様!あの、ご結婚おめでとうございます!ご挨拶が遅くなり、大変申し訳ありませんでした!」
「ご丁寧にありがとう。ところで今日の授業が終わったら、東棟の空き教室に来てくれるかしら」
「え…はい、わかりました」
公爵令嬢様が、わざわざ時間と場所を変えて平民に話を?何だかすごく嫌な予感がしたが、まさか多忙を理由に断るわけにもいかない。
元より貴族から命じられた平民に、選択肢なんてない。罠と知りつつもノコノコ向かうしかないのだ。
そして放課後。夕焼け空を背景に空き教室へ入ると、そこには数名の生徒が待ち構えていた。アベラール様と、その取り巻きである。
「来た来た、薄汚い平民が」
取り巻きの一人が、嘲笑を浴びせかけてきた。その声と顔からは、悪意がたっぷりと滴り落ちている。
こんなことなら、コロコロ草の花粉を昨日採取しておくんだった。あれと炸薬と組み合わせておけば、簡易煙幕弾を作れたのに…なんてね。
「どうして呼ばれたのか、おわかりかしら?」
アベラール様の声は、理性的だが興奮を抑えたものだった。怒っててもなお凛としてるのは、流石としか言いようがない。王族に嫁ぐ女性とは、かくも美しいままでいられるのか。生きてきた世界が違ったのだなと、再認識せざるを得ない。
やはり私と彼らは、たまたま同じ場所で学びを得ただけの、泡沫の関係性なのだ。
「いえ、全く。何かご不興を買いましたでしょうか?」
私の一言で一層顔を強張らせたアベラール様を護るように、先程私を嘲笑した女が前に出た。見事な忠臣ぶりだが、どこか芝居がかっている。
「では察しの悪い平民さんに、私が教えてあげるわ。貴方、調子に乗りすぎたのよ」
「意味がわかりませんが」
「とぼけるな。貴方、昨日ボリエ殿下から直接贈り物を戴いてたでしょう?しかも手まで握ってみせて、さも親しげに!」
贈り物?……ああ、なるほど。
「贈り物って、これですか?結婚披露宴の招待状ですよ。皆さんにも贈られているはずのものです」
「…っ、ふん!」
「それに私から手を握った覚えもありません」
あの場面、彼女達からはそんな風に見えたのか。殿下の背中越しに見れば、そう見えなくもなかったのか?それでもちょっと、解釈に無理がありそうだが。
「お言葉ですが、あれは殿下から平民への御慈悲であって、別に特別親しいわけでもありません」
「それは嘘ですね」
私の言葉を否定したのは、アベラール様だった。
「あの方は、敵と味方を明確に区別されます。敵でも味方でもない人に、親しくするなど有り得ません」
いや、有り得るよ。あの人は敵でも使えるとあれば評価するし、無能な味方はバッサリ切る。悪い意味でも平等なんだよ、あの人は。
ていうか、殿下が私を顎で使っているのは、周りも認知してるのかと思っていたよ。まあ、卒業後の進路希望がポーションショップ店員で、しかもただの平民とあれば、皆が興味が湧かないのも無理もないか。ちょっと私も自意識過剰だったかもしれない。
「それにボリエ様は、私とご婚約された時より、身分と性別を超えた友がいるのだと、自慢されていました。その友は、自分が困った時には必ず手を差し伸べてくれるだけでなく、自分の身分に臆することなく忠言し、昔からの友人であるかのように接することを、自分に許してくれると。それに該当するのは…貴方しかいません」
なにそれ誰過ぎる。
「人違いです。私ではありません」
二重の意味でありえない。第一に、過大評価に過ぎる。第二に、友の自慢、それ自体が殿下の性格にそぐわない。あの人は有能な人間ほど囲い込むタイプで、わざわざ人に自慢しない。
つまりアベラール様には、話す必要があったから、話したのだろう。それは恐らく、アベラール様への信頼からではない。
「アベラール様の事を疑ってるの?これだから下賤な血の持ち主は!」
「そうよそうよ!平民が貴族に意見するなんて、身の程を知らないのかしら!?」
「ああ、やだやだ!同じ空気を吸うことすらおぞましいわ!」
卒業後に芽吹く厄介事の種を、結婚の前に片付けるため。要するに、こういうやつらの掃除。実際はもっと色々計算してるかもしれないが、巻き込まれる方としては、たまったものではない。
私は厳しい目つきで睨むアベラール様を、敢えて真正面に見据えたまま、自分が今すべきことを全うすることにした。殿下に対する恨み節は、ひとまず忘れよう。
「失礼を承知で申し上げます。そう結論づけるにあたり、裏は取りましたか?」
「えっ?」
「ちょっと貴方、アベラール様に無礼でしょう!?今すぐ謝罪なさい!!」
「外野には聞いてません」
「なっ…!?」
公爵令嬢様を盾にして威張るだけのクズ共が。
「アベラール様の推察は、全て殿下のお話と、昨日の一件を短絡的に結びつけた結果に過ぎません。その推察も、そこのお友達から言われて、そう感じただけなのでは?」
「そ、それは…」
「重ねて伺います。私を疑うにあたり、裏は取りましたか?」
「……いいえ」
「でしょうね。私と会話したのも、今日が初めてのはずですから」
「……っ」
なんともお粗末な詰問劇だったが、しかしアベラール様の気持ちの方も、分からないでもない。婚約当日に異性の友人がいると明かされれば、そりゃ婚約者としては良い気分はしないだろうし、意識もするだろう。
普段のアベラール様なら、もう少し慎重に動いたはずだ。周りが過剰に騒がなければ、もっと穏便に話を進められたに違いない。人付き合いが苦手な私が言うのもあれだが、もう少しご友人は選ばれた方が良さそうだ。
恐らく殿下としては、アベラール様のこういう迂闊な部分に気付かせる狙いもあるんだろうな。
「ともかく私と殿下は、アベラール様が心配なさるような関係ではありません。それに私は卒業後、ポーションショップに就職します。王家と関わる機会も無くなリますので、ご安心ください。では」
「あっ…お待ちになって!」
ええい、このまま颯爽と消え去りたかったのに…!
「…な、なんでしょうか」
「クリスさんには大変迷惑をかけたわ。誤解してごめんなさい。でも、あの殿下が直接招待状を渡した以上、貴方には絶対参加して欲しいはずなの。だから、披露宴には必ず出席して頂戴ね」
なんとお優しい。私がアベラール様のお立場なら喜んで、欠席か打ち首を選ぶだろうに。
「…わかりました。当日は必ず参加し、お二人の門出をお祝いさせていただきます」
「ありがとう。さあ、すっかり遅くなってしまったわ。暗くなる前に、皆さんも帰りましょう」
一転して清々しく歩き出したアベラール様に続いて、取り巻きたちもぞろぞろと教室から出ていった。その取り巻き連中だけが、冷たい目線を私に送りつづけていた。
だが、私としてはそれどころではない。
「…殿下め。最後まで私を利用し尽くすつもりか」
一生恨むからな、あん畜生め。
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そして日々はあっという間に過ぎて、卒業式当日の朝である。
いつもの時間に家を出た私だったが、その日は日課にしていた薬草採取を省略していたため、いつもよりずっと早く学園に到着した。流石に結婚披露宴に使う制服を、朝から土で汚すわけにはいかなかったし。
少し早く到着してしまったので、教室には誰もいない…はずだった。
「やあ、クリス君」
「げ」
まさかこの時間に、ボリエ殿下がいるとは。彼は教室の机の上に、無作法にも尻を乗せたまま、こちらに手を振っていた。
「この時間に来て正解だったな。駄目なら披露宴会場で、探して捕まえるしかなかった」
殿下とアベラール様は、私達が卒業式に出席してる時間に、王城で結婚式を挙げている。確かにこの時間しか、ゆっくり話す時間は残されてなかったのかもしれない。
「殿下もお暇ですね」
「お前を相手に暇潰しをした覚えもないがな。まあいい、今度こそ付き合ってもらうぞ」
殿下は私の前まで歩み寄ると、何故か少し気まずそうに、目線を逸らした。
「三年間、本当に世話になったな」
「今もですが。私を使って、アベラール様の身辺整理をなさるのはお止めください」
「なんだ、やはりバレていたか」
「殿下らしくなさ過ぎましたからね。架空の友達自慢も、露骨な親密アピールも、普段なら絶対やらないのに」
あの詰問劇の後、アベラール様は殿下と一緒に過ごす時間を増やし、取り巻き連中とつるむ時間を減らしていった。いや、元々周りが勝手にすり寄ってきただけなので、本来の形に戻りつつあると言えるのだろう。
取り巻きからすれば、卒業後もその関係を利用する予定だったのに、あてが外れたといったところか。
「らしくない…か。その俺らしさを取り戻せたのも、あの日お前に言われた言葉がきっかけだよ。あれは中々衝撃的だった」
「そうですか。出来れば忘れて欲しいのですが」
「無理だな、それは」
本当に、忘れてほしい。あの時は私も、前日に調合実験で夜更かししてたからか、かなり気が立っていた。
『おい、眼鏡女!俺にぶつかってくるとは良い度胸だな!跪け!ここで首を飛ばしてくれる!!』
『ぶつかってきたのはそっちでしょう!まずは謝りなさいよ!ていうかまず、お前が名を名乗れ!誰よあんた!私は平民のクリスですけど!?』
『なっ…なああ!?』
……まさに黒歴史だ。末代まで秘密にしなくてはならないな。
「人生初の、対等な喧嘩相手が出来た瞬間だったからな。平民と喧嘩したのも、女と取っ組み合いをしたのも、あれが初めてだった。子々孫々まで語り継ぐつもりだぞ」
「それはまじで止めてください本当に。で、ご要件はそれだけですか?」
「もちろん、俺の感謝を伝えたかったのもあるが、話はもう一つある。お前の卒業後の進路についてだ」
そう言うと殿下は、私に書類を一枚差し出してきた。
「…王国付薬剤研究部門への推薦状?」
薬剤研究部門と言えば、既存のポーション調合だけに留まらず、毒の分析や未知の病に対する薬の研究開発も行う、まさに薬剤研究の最前線だ。当然、その手の就職先としては頂点であり、これ以上は無い。
「お前がポーションショップへの就職を希望してるのは、百も承知している。だがこのまま手放すのは、やはり惜しく思えてな。よかったら、こっちに乗り換えないか?無論、他の奴らには内緒にしておく。面倒事になりそうだからな」
…なるほど。殿下は私のことを、大切に思ってくれていたらしい。
実のところ、ほんの少しだけ、夢想したことはあった。私が私らしいまま、ただ貴族だったなら、卒業後もこの人の傍に居たのだろうかと。
あの辛く苦しくも、少しだけ楽しかった三年間を、この先も続けられただろうかと。
今、手を取れば、その夢も叶うのかもしれない。事実、手を取りたい欲求もある。だけど…。
「……すみません。それは、お受けできません」
「俺との時間は、そんなに嫌だったか?」
「いえ、楽しかったですよ。これは本心です。ただ…あのポーションショップは、父の形見なんです。私が調合を好きになったきっかけで、大好きだった父を感じられる、唯一の場所なので」
今は母がたった一人で、あの店を支えている。私も絶対に、あの店だけは守りたいのだ。私が私らしくあるためにも。
「……なるほど。それなら仕方無いな」
苦笑を浮かべようとして失敗した殿下は、未練を断ち切るように、推薦状を粉々に破り捨てた。
「だが、安心した。お前も俺を友だと思ってくれていたのだな」
「そこまでは言ってません」
「はははっ!最後まで不敬だな、お前は」
廊下から、足音が聞こえてきた。どうやら他の生徒が入ってくるらしい。
「ではまた、披露宴でな」
「はい、殿下」
それが、殿下とまともに会話できた、その日最後の時間になった。
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卒業式が滞りなく終わった後、各生徒は披露宴に向けたお色直しのため、一度自分の屋敷へ戻って行った。どうやら私の学年は全員招待されたらしく、ほぼ全員が例外無く、披露宴で何を着ていくかで盛り上がっていた。
制服で参加するしかない私は、そのまま王城へ向かうことにした。というより、私には送り迎えの馬車が無いので歩くしかなく、今から向かっても到着時間ギリギリなのだ。
さあ、ところで今日の夕食は、豪勢なタダメシである。一生分食べるのはもちろんのこと、可能なら柔らかなパンの一つや二つ、母のために持って帰りたいところだ。ここはひとつ無礼講ってことで。
「あらあら貴方、今日の披露宴に本当に参加するつもりなの?」
そんな風に私が浮かれていると、一気に不快のどん底に叩き落とす存在が立ちはだかった。アベラール様の取り巻き、いや元取り巻き達である。
「ええ、参加しないと不敬に当たりますから」
「それはそうよねぇ。殿下から直々のお誘いとあらば、受けざるを得ないわよねぇ。満足に服も買えない平民であっても…ね」
嫌な予感がした私は、殆ど直感的に後ろへ逃げ出そうとした。しかし、少し遅かった。
「うわっ!?」
生温い何かを掛けられた私は、その臭いに吐き気を催した。どうやら、腐った山羊乳のようなものを掛けられたらしい。紺色の制服は白く汚れ、強烈な腐敗臭を放った。
「あっははははは!早く帰って洗い落とした方が良いんじゃないかしら!?今から洗い流せば、まだ間に合うかもしれませんでしょう!?」
いや、今から洗って干したところで、披露宴までに乾かない。それにこの臭いは、一回洗ったくらいでは落ちそうにない。
「何を考えているんですか…!?」
その女の目には、暗く冷たい復讐の炎が宿っていた。
「貴方が余計なことをアベラール様に吹き込んだおかげで、私とあのお方との間には溝が出来てしまったわ。全部貴方のせいよ。だから最後に、貴方には大恥をかいてもらう」
「ぐっ!?」
凄まじい痛みが、腹部を襲った。刺されたのかと思ったが、どうやらヒールの部分で腹を蹴られたらしい。出血こそしなかったが、私は鋭利な痛みに耐えきれず悶絶した。
そこに先程の液体が追加で降り注がれたことで、私の全身は汚物まみれになってしまった。
「参加できるものなら、してご覧なさい。だけど貴方みたいな汚物に、席が残っていると思わないことね」
醜い笑みを浮かべた連中は、勝ち誇った様子で去っていった。後に残されたのは汚れきった私と、液体が入っていた瓶が二つだけだった。
悔しさよりも、情けなさで泣きたくなった。遠巻きから嘲笑されることには慣れていたが、直接攻撃されたのは初めてだった。しかもよりにもよって、殿下の晴れの日に、こんな。
痛みと吐き気で目眩を起こす中、何故かこんな時に、殿下の姿を思い出した。今朝、あの方はなんと言ってたっけ…?
『ではまた、披露宴でな』
…そうだ。そうだった。殿下は私に、披露宴で会おうと、そう言ったのだった。
「…はい、殿下」
殿下とのお約束を、あんなやつらに屈して、破るわけには行かない…!
「今…参ります…!」
私は汚れた荷物をそのままに、王城へと歩を進めた。腹の痛みは、時間が経っても治まる気配がない。それでもかなり無理をしないと、予定の時刻に間に合いそうになかった。
╌╌╌╌
王城に到着したのは、披露宴開始の時刻とほぼ同時だった。途中、川の水で頭と手を洗ったが、服はそのままである。紺色の美しかった制服は、斑に白く薄汚れていて、半端に乾いた為にひどい悪臭を放っている。
既に鼻が利かなくなってしまっていたので、臭いの方は想像に過ぎないが。
「むっ!?と、止まれ!!なんだ、お前は!?」
二人の門番が、そんな私に槍を向けたのも無理のない話だろう。
「すみません、通してください。披露宴に招待された者です」
「馬鹿な!お前のように薄汚い者が…何っ!?そ、それは…!?」
私は汚濁にまみれた招待状を取り出し、門番さんに見せた。それを見た門番の一人は、最初訝しげに槍を向けていたが、何かに気付いたらしく、姿勢を改めた。
「し、失礼しました!どうぞ、そのままお通りください!」
…?なんだ、この反応?
確かに招待状がある以上、どんな風体でも通すしかないだろうが、何かしら嫌味の一つでも飛んでくるかと思っていたのに。
まあいいや、私にとっては好都合。お腹の痛みもそろそろ限界だったので、話が早いのは助かる。
「…ありがとうございます」
「は!?兵長殿、いくらなんでもそれは!?」
「言う通りにしろ!さあどうぞ、こちらですクリス様!」
私は兵長さんに案内されながら、ダンスホールへと向かった。悪臭を放ちながら、汚れきった女が侵入したことで、城内は騒然とし始めている。
あれ、そういえば私、兵長さんにいつ名乗ったっけ?…ああ、招待状に書いてあったっけか。悪臭と、痛みから来る疲労で、まともに頭が働かなくなっている。とりあえず、床でもなんでもいいから、寝転がりたい。なんかもう、疲れた。
「皆、このめでたき日によくぞ集まってくれた!三年間、君たちと共に学べたことを、心から誇りに思う!」
ダンスホールの扉の向こうから、殿下の凛々しい声が聞こえてきた。本当に、あの捻くれた内面さえなければ、結構理想的な王子様なんだよね。
それを欠点じゃなくて、愛嬌だと感じ始めたのは、いつだったか。私も随分、毒されたものだ。
「私はあの学園で、身分に囚われることの危険と、愚かさを学んだ!学友皆それぞれに優れた資質と、力、そして知恵があった!それらは王家に劣るものではなく、平民でさえも例外ではなかった!ならば私も血筋に関係なく、研鑽を積まねばならない!それに気付けたのも、共に学んだ皆のおかげである!」
あと少しなのに、足が重くて前に出なくなってきた。見かねた兵長さんが、汚れを気にした様子もなく、私の肩を支えてくれた。こういう人は、大事にしようね、殿下。
「約束しよう!私が王位を継承した暁には、学園での学びを胸に、より良き統治を行うと!全員が切磋琢磨し、平等に機会を設ける社会を、我が妻アベラールと共に必ずや実現する!」
万雷の拍手と、私がダンスホールの扉を開けたのは、ほぼ同時だった。
初めは誰も気付かなかった。しかし悪臭に気付いた何人かがこちらを向き、ぎょっとして口と鼻を覆った。それを見た何人かが、汚濁にまみれた私に気付き、悲鳴を上げ始めた。
アベラール様も顔を青くして、目を剥いていた。
そして私と、殿下の目が合った。
私は兵長さんに謝辞を述べ、披露宴の主役へ静かに一礼してから、自分の足で席を探した。やがてテーブルの上に名札を見つけたが、ご丁寧にも椅子が無かった。会場側が用意してないはずがないので、あいつらがどこか別の場所へ動かしたのだろう。そんなところで勤勉さを見せなくてもいいだろうに。
やはり、これでは、披露宴に参加するのは無理かな。席も無いし、お腹痛いし、疲れたし。お祝いのメッセージを読む元気も、もう残ってないや。
悲鳴をあげる令嬢の中に、椅子に座ったまま嘲笑を浮かべる一団がいたので、まっすぐそちらに向かった。そして私が近付くにつれて顔を強張らせ、嫌悪も露わに鼻をつまんだ彼女達のテーブルに、2本の瓶を置いた。
「忘れ物ですよ」
「ひぃっ!?」
なんとかその一言を絞り出した私は、これ以上の醜態を晒さぬよう、会場から去ろうとした。その後の惨劇を予感した私の笑みは、どれほど壮絶だったのだろう。クラスメイトの何名かは気を失ったのか、床に倒れているのが目の端に見えた。
だが前に出すはずだった右足は、これ以上動くことを拒否した。自分の足でつまずいた私は、受け身すらとれないまま転倒する。
それを受け止めてくれたのは、兵長さんでも、近くにいた貴族でもなく……さっきまで演台にいたはずの殿下だった。
どうやら一も二も無く、駆け寄ってきてくれたらしい。折角の白いお召し物が乱れ、汚濁で汚れてしまっていた。
「全員、そこを動くなッ!すぐに薬剤研究部門へ連絡!毒の有無と、瓶に触れた者を疾く調査せよと伝えろ!それと今すぐ医者を呼べ!急げ!!」
「はっ!!」
本当にすみません。こんなことになるなら、ここに来ないほうが、よかったかもしれませんね。
「殿下」
「しっかりしろ!無理に喋ろうとするな!すぐに医者がくるから!」
「クリスさん!お気を確かに」
「アベラール様」
せめてこのまま、黙って去るつもりだった。でも、やっぱり駄目だ。
これだけは。これだけは、貴方達にお伝えしたい。
私は、激しくなる一方の痛みを奥歯で噛み砕き、道中歩きながら考えてきた祝辞を読み上げた。
「ご結婚、おめでとうございます。ボリエ殿下とアベラール様、お二人共、とてもお似合いです。とても、お綺麗です。どうか、末永くお幸せに…」
「クリスさん…!」
「馬鹿!今はそんなこと…」
違うよ殿下。今だからこそだ。二度と貴方と話せなくなる、その前に。
これだけは、お伝えしておきたかった。
「殿下…貴方は…私の、唯一にして、最上の、友でした」
「……!!」
「貴方の、友になれたことは、私に、とって…」
一番の、誇りでしたと。
「いやっ!?クリスさん!!」
薄れゆく意識。暗くなる景色。最後に見えたのは、豪華なシャンデリアと、新婚夫婦の悲痛な顔。
「駄目だ!目を開けろ!クリスーー!!」
お腹の痛みを感じなくなるのと、何も聞こえなくなったのは、ほぼ同時だった。
╌╌╌╌
「……ん」
目が覚めた時、何日も眠った後のような気だるさで、体が動かなかった。見覚えのない清潔感のある天井と、消毒液の匂いを嗅ぎ取って、初めてここが病室であることに気付いた。
「…あっ!ドクター!クリス様が目を覚まされましたよ!ドクター!」
世話人と思しき少女が、ドタバタと慌ただしく、病室から飛び出していく。そんなに何日も眠っていたのだろうか。しかし、なんで私はこんなところに?
…いや、王族の披露宴で、悪臭まみれで倒れたんだっけか。今思い返せば、本当に不敬の極みだ。これは今度こそ、打ち首かもしれないな。
「やあ、クリス君」
「げ」
そんな私の絶望を後押しするように、今一番聞きたくない声が、私の真横から聞こえてきた。
「寝過ぎだぞ。あれからもう3日だ」
「…あの、打ち首はもう少しお待ち頂けますか?せめて母に手紙を書かせてください」
「打たんわ。お前は俺をなんだと思ってるんだ」
第一印象ランキング最下位の、打ち首貴族様です。
「ああ、よかった!気が付かれたのですね!」
え、アベラール様?てことは…これは、もしかしなくても、ご夫婦でお見舞いにきてくださっていた?私のために?
「えっと、あの…ご結婚おめでとうございます。お二人共、とても綺麗でした」
「それはもう、披露宴で聞きましたわ。多分一生、忘れられません」
…そうだろうなぁ…むしろ夢に出るかもしれない。王族の披露宴を台無しにするなど、打ち首の一回や二回では、償いきれない大罪だ。
「すみません…」
「ああ、心配させたことは大いに反省しろ。しかし気に病む必要はない。お前も兵長も、俺との約束をちゃんと守ってくれたからな」
「兵長さんが、ですか?」
ふとアベラール様が、汚れた招待状を殿下に差し出した。お手が汚れるだろうに、それを気にする様子がない。そして受け取った殿下の顔にも、嫌悪感は微塵も浮かんでいなかった。
「お前は知らないだろうが、お前の招待状に使われたこの青い封蠟は、王家のみが使う事を許された特別なものだ。これを持つものは誰であろうと、差し出した王族の知己であると見做される」
「青い封蠟…色合いからしてコロコロ草の花で染めたものですか。いや、葉っぱも混ぜてそうかな」
「ひと目で看破するな、悪用されるだろうが。とにかく、俺はお前にこれを手渡したその日に、当日の門番を務める兵長へ命じたんだ。青い封蠟を持つ卒業生が来たら、どれだけみすぼらしく、或いは汚く見えたとしても、必ずダンスホールまで通すようにと」
それは俺が人に自慢した唯一の友で、俺の誇りそのものだからと。
「奥様の前でよく言えますね、それ」
「本当ですわ。浮気か正気を疑いますわよ」
「友と妻の前では、自分を偽らんと決めてるだけだ。ていうかアベラールも、クリスの毒舌に影響されるな。新婚生活に支障が出る」
「あら、ごめん遊ばせ」
「あははっ、いったたた……」
思わず笑いそうになったが、それを責めるように腹部から激痛が走った。よく見ると少々大袈裟に見えるほど、分厚く包帯が巻かれている。
「腹については外出血こそ無かったが、内臓が少し傷付いていたそうだ。下血も見られたらしいから、見た目より傷は深かったらしい。何があったのか、詳しい事情は後で聞き取るからな」
「そ、そういえば…あの人達は、どうなりましたか?私が瓶をお返しした方々は」
「第二王子の友を害した罪で、然るべき罰を受けさせるべく勾留してます。薬剤研究部門の分析結果も、それを支持しておりますしね」
そう答えたアベラール様の目は、暗い怒りで燃え上がっていた。その熱さと冷たさは、元取り巻き連中が宿したそれの比ではない。
「クリスさんの衣類にかけられたものと、瓶の中身が一致…瓶に付いた指紋も彼女たちと一致…どう言い訳するのか、実に見ものですわね。うふふふ」
「ひえ…」
「安心しろ、公正な裁判で沙汰を下すさ。この判断に俺とアベラールの私情は混ざっていない。混ぜる必要が無かったからな」
それにお前の腹の傷に奴等が関わってるなら、俺たちが頑張らなくても、自動的に最適な刑罰が下るだろう。そう語る殿下の目は、いつも通り過ぎて逆に怖かった。
「ごめんなさい、クリスさん。貴方の言う通り、私があんな人たちの口車に乗らなければ、こんな目にあわなかったはずですわ。全ては私に、人を見る目が無かったがために起こったこと。この負債は必ずお返しします」
アベラール様が、次期王妃様が、頭を下げてる!?まずいまずいまずい!!
「い、いえいえいえ!そんな滅相もない!頭を上げてください!むしろ私が無理に出席したから、披露宴を台無しにして、お二人にご迷惑をお掛けした位ですよ!そんなお気になさらず!」
「お、そうか。じゃあお言葉に甘えて、俺等への借りだけ、返してもらうことにしよう」
間髪を容れずニコヤカに返した殿下は、青い封蠟がされた書類を、私に投げつけてきた。
「…え?」
「今回の治療費、その請求書だ」
「はああああああ!?」
私は慌てて封蝋を切ると、中には悍ましい桁数の数字が並んでいた。少なくとも父の形見を10件売っても、この金額には届かないだろう。
「な、に、ぬ、ね……!?」
「安心しろ、お前に請求するのは治療費だけだ。披露宴のキャンセル料と慰謝料、城内の特殊清掃費用、兵長の装備一式と俺の服のクリーニング代は、原因を作ったあのバカどもに払わせる。あっちはお前の100倍じゃ利かない額だぞ」
「じゃあまじで治療費だけでこんな額なんですか!?冗談とかじゃなくて!?」
「もちろんクリスさんの怪我の原因が確定すれば、あの人たちに請求できますわ。でも確定するまでは、手術を受けた人が、まず全額支払う必要がありますの」
目玉が飛び出そうな私に対し、アベラール様は苦笑を浮かべながら補足してくれた。その頬は金額によるためか、あるいは支払い能力に乏しい平民にそんな手術を命じた殿下に対してか、かなり引き攣っている。
こ、こんな額、一生かけても絶対払いきれない!!終わりだ!!こんなの打ち首と変わらないじゃないか!!
「支払いにお困りかな?クリス君。そんな君にとっても割の良い仕事があるんだが、紹介しても良いだろうか」
「………はい」
「よし、じゃあ、これにサインしろ」
その書類は、王国付薬剤研究部門の、嘱託職員としての雇用契約書だった。
「……これ、諦めて、なかったのですね」
「誰がいつ、諦めると言った。ダブルワークにすれば、父君の形見も残しつつ、お前も雇用できて、万事解決だろ?基本は在宅勤務だ。登城は俺が命じた時だけで良い。お前は自由にポーションショップを営みつつ、時々俺が寄越す仕事を片付けてくれればいい。つまりは、在学中とやる事は変わらん」
「卒業後も厄介事に巻き込むおつもりですか。あの謎の白い粉を調べて、裏商人や裏ギルドから目をつけられたりした日々を、無期限で送れと?」
「そうだ」
うわ、断言したよ、この人。信じられない。
「ボリエ様、ひょっとして三年間ずっと、クリスさんはこのような扱いを?まさか、荒れてました頃から、ずっとこの調子で?」
「これからはアベラールもそこに含まれる。慣れろ。楽しい日々だったと、こいつも言ってたぞ」
都合の良い切り抜きはやめてください。
「…なんだか私、今日初めて本物のボリエ様に触れた気がしますわ。今日までついてこれたクリス様を友と認めたのも、今なら納得というか、なんというか…」
後にして思うが、奥様が私のことを対等な友人、あるいは同じ加害者をもつ被害者同士と認めたのは、この時からだったかもしれない。少なくとも、奥様が夫のことで愚痴る相手に一番選ばれたのは、後にも先にも私だった。
「で、どうなんだクリス。黙ってないで返事を聞かせろ。打ち首にされたいか」
「受けるしかないでしょう、この際。なんだか詐欺にあったような気分ですが、打ち首同然の人生よりはましってもんです」
満足そうに不敵な笑みを浮かべる殿下と、激しい頭痛に耐えるアベラール様を見上げつつ、私はため息交じりに吐き捨てた。
「それで、今日はどんな厄介事を持ってきたのですか?」
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「流石だな。では早速、これを見てくれ」
「ちょっと、病み上がりですわよ!?」
「うわあ…また白い粉だ…」