月の光
「やっぱりダメだ……」
どうしても半日仕事を頑張ると疲れ果ててしまう。
これでもう一週間だ。
マリーはよほど私が体の弱い人間だと思ったのか、「かわいそうに、こんなに細いんだからたくさん食べなくてはだめよ」とキャンディーをくれた。
ベッドに突っ伏すと、バイオレットが「こりゃ深刻だね」と私の額に手を当てた。
「人間の体に適応できていないのかな」
ついつい弱音を吐いてしまった。
もしかして、私は人間に向いていないのかも。
朝食をフィオンと一緒に取ることもできないし、フィオンに会うことも減ってしまった。それもそのはず、一日の大半を寝て過ごしているのだから。
「たくさん蜜を食べればいいとか?」
バイオレットが手慰みに私の髪を編み始める。長くて楽しいわ〜と小声で言っているのが聞こえた。
「確かにご飯を食べると元気になるけど、半日しか持たないし」
そんな今日は昼食を食べる気力もなかった。
考えることも億劫で、うとうとし始めた私の耳にバイオレットの叫び声が響いた。
「月の光だよ!」
耳がキーンとして睡魔が飛び去る。
「えっ?」
「だから、月の光! 月の妖精が言ってたじゃん。月の光を浴びれば魔力が回復するって。メリンは今デカくなったんだからそれなりに魔力がないと元気でいられないんだよ。ご飯だけじゃ足りないはずだよ!」
一人で納得しているバイオレットに、私は頭が回らないまま「月の光かぁ」と返事をする。けれど月が出ている時間、私はぐっすりと夢の中だ。起きていられる、もしくは起きられる自信が全くない。
「もう面倒だから、外で寝れば? 雨さえ降らなきゃ大丈夫だって」
バイオレットが嬉しそうに言う。
そうか、その手があったか。最初から外にいれば、夜中には嫌でも月の光を浴びることができる。
「それ最高」
私はマリーがくれたネグリジェに着替えた。メイド服のまま寝てしわくちゃになっていたところをマリーに叱られ、着替えがないことを話すと「買いに行くまでこれを着て寝て!」とマリーのネグリジェをくれたのだった。
ネグリジェとは寝る時に着る服なんだそうだ。人間は一日に何度着替えるのかしら。妖精は着替えなんてしないから不思議で仕方がない。
それにしても、簡単に服をくれるマリーも相当優しい人間なのではないだろうか。
この屋敷は優しい人間ばかりだ。フィオンが優しいからみんなも優しいのかな。
ネグリジェは妖精の服と似ていて着心地が良い。さらさらとしていて、軽くて、飛ぶ時にも邪魔にならないと思う。今の私は飛べないけれど。
這うようにして窓際に行く。バルコニーは私が寝るには十分の広さだ。
窓を開け放って、そのままバルコニーにごろんと横になった。
手足を投げ出して仰向けになる。
外で横になって空を見上げるなんていつぶりだろう。
青空を見上げて、大きく深呼吸をした。
これが、背中の下が草や土だったらもっと気持ちいいんだろうな。
風を感じながらうとうとし始める。隣でバイオレットの「いい天気だなぁ」と言う声が聞こえた。
なんだかほっとする。
そのまま私は昨日とは違う気持ちで眠りについたのだった。
近くで誰かの話し声が聞こえて目が覚めた。
「だからジャマしないでってば。今魔力の補給中なんだから」
「でもその子、こんなところで風邪ひくじゃろ」
「大丈夫だって。いつも外で寝てたんだからさ」
どうやら声の主の一人はバイオレットのようだ。もう一人、低い声の主がいる。
バイオレットなら大丈夫かと、意識を手放そうとすると、今度は髪の毛を引っ張られた。
「い、いたっ痛い!」
しかも結構な強さだ。思わず起き上がる。
「起きた起きた」
私が起き上がったことに、低い声のほうが喜んでいる。
「なんで引っ張るの? いったぁ……」
「もう、起こさなくてもいいじゃん」
バイオレットが私の代わりに怒ってくれている。見ると、小人が私の髪を引っ張っていたようだ。
小人はしわくちゃの顔にかぎ鼻で、髭を蓄えている屋敷妖精だ。
「でもなぁ、外で寝るのはわしらでもせん」
「私を心配してくれたのはわかるけど、髪を引っ張るのはやめて」
私がそう返すと、小人は「それが一番目が覚めるじゃろ」とか言っている。
「気持ちは嬉しいけど、私は月の光を浴びなきゃいけないから。ここで寝ていても見守ってね」
小人は不思議そうにしている。
その時、ひとつ離れた部屋の窓が開いて誰かが顔を出した。
「メリン?」
私を呼ぶ声の主はフィオンだった。
「こんな時間に外から話し声が聞こえたからどうしたかと」
「騒がしかったかな。起こしちゃった? ごめんねフィオン」
月明かりに照らされたフィオンの顔はいつもと少し雰囲気が違う気がしてドキドキする。フィオンの顔が見れて嬉しい私はついニマニマしてしまう。
小人はサッと私の後ろに隠れてしまった。
隠れてもどうせフィオンには見えないのにね。
「月の光を浴びていたの。そしたら屋敷妖精に髪を引っ張られて」
「屋敷妖精がいるのか」
フィオンが驚いた顔をして私の周りをキョロキョロと見回す。
「私の後ろに隠れているわ。この屋敷にはたくさん妖精がいるよ。また教えてあげるね」
すると小人がまた私の髪を引っ張る。
「わしらのことは放っといてくれ!」
そう言って姿を消してしまった。
「悪いことしちゃったかな」
横にいるバイオレットにそっと言うと、バイオレットは「まぁいいんじゃない」と笑ってくれた。
私のことは心配してくれるのに、自分たちのことは放っておいてなんて、面白い小人だ。
フィオンはまだ不思議そうな顔をしている。
「屋敷妖精は消えちゃった。でもずっとこの屋敷にいてくれるよ」
私は立ち上がってバルコニーの手すりからフィオンの方へと乗り出す。
月の光を浴びているせいか、体が軽くて、このまま飛べそうな気がする。
羽はないのだけれど。
「ねぇ、そっちへ行ってもいい?」
手すりから飛び移っていける気がしてそう言うと、顔だけ窓から出していたフィオンが慌てて外に出てきた。
「危ないからやめてくれ」
「えー、残念」
しょんぼりしていると、私を見るフィオンはすっと目を細める。
首を傾げてみせると、「君は本当に妖精なんだな」と言った。
「そうだよ。羽があったらそっちへすぐに飛んでいけるのに」
本当に残念だ。人間の体を手に入れた代わりに、あの素晴らしい羽を失ってしまったのは。
けれど私はフィオンと過ごす時間を手に入れた。
にこにこして月明かりに照らされるフィオンを見つめていると、フィオンがはっとして顔を背けた。
「どうしたの?」
「だから薄着はダメだと以前にも言っただろう」
焦る様子を見せるフィオン。そういえばここに来た時もそう言われたっけ。
「でもこれ、寝る時に着る服なんでしょう? 妖精の服みたいで気に入ってるよ」
くるりと回って見せる。
「わかった、わかったから!」
そう言ってフィオンは部屋へと引っ込んでしまった。
気に触ることをしたかしらと不安になっていると、私の部屋のドアがノックされてフィオンが入ってきた。手には大きな布を持っている。
フィオンはバルコニーまでズンズンとやってきて、持ってきた布で私をくるむ。ガウンのようだ。ふわりとフィオンの香りがする。
「バルコニーに出るならこれを着て出ること」
フィオンは私の目線に合わせて背を屈める。
私のためにこれを持ってきてくれたのだと思うと、胸から込み上げてくるものがあり、私は思わずフィオンに抱きつこうとした。なのにフィオンはサッと避けてしまう。
少しだけしょんぼりとしながら、けれど顔は自然と笑顔になってしまう。
「必ず着るわ」
フィオンと目が合う。目線の高さが一緒で、その距離が嬉しい。
あぁ、これはキスできる!
今こそキスする時!
私はそう確信して少し近づくと、フィオンは顔を真っ赤にして私を無理やり剥がそうとする。
「やだ、キスする感じだった」
「今のはそういうのじゃない」
そんなに頑なに拒まれると、さすがの私も悲しい。
嫌われては本末転倒なので、諦める。
フィオンはほっとした様子にみえた。それも悲しい。
「ごめんなさい」
嫌われたくないので素直に謝る。
「じゃぁおやすみ」
フィオンが行ってしまうと思うと寂しくて、思わずフィオンの右腕を掴んでいた。
「っ!」
息を呑んだ音がして、手を振り払われた。フィオンの顔は苦痛に歪んでいる。
「えっ、ごめんなさい。痛かった?」
そんなに強く握ったつもりはないのだけれど。
「腕には触れないでくれ」
怪我をしたところなのかしら。それなら申し訳ないことをした。
「怪我のところだったのね。知らなくて……ごめんなさい」
「いや……、じゃぁ今度こそおやすみ」
去り際の態度が冷たく感じ、私はしてはいけないことをしてしまったのだと悟った。
キスしてと言うことよりも、腕の怪我に触れてはならなかったのだ。
フィオンを傷つけたし、嫌われてしまったかもしれない。
フィオンのガウンを握りしめる。
なんとかして、挽回しなければ。