妖精の願い2
硬く閉じていた瞼をおそるおそる開く。
あたりは綺麗に整頓された棚にテーブルと椅子のある、こぢんまりとした部屋だった。
先に来ていたトンボの羽の妖精が、大きな妖精の手の上に小さいカゴを乗せていた。
大きな妖精の大きさはフィオンくらい。けれど、その長い髪と瞳は、月の光のように淡くクリーム色に輝いていて強い魔力を感じさせた。耳は私たちのように尖っていて、サラサラとした光沢のある服を着ている。そして顔だちが美しい。とにかく美しくて、顔を見て思わず息を呑んだほどだった。
妖精族には美人が多いけれど、美人の域を超えている。
隣でバイオレットも「うわっめっちゃ美人」と小声で呟いていた。
「あれ、珍しいお客さん」
その低い声で、初めて月の妖精が男性だと知る。
トンボの羽の妖精が「月の妖精にお願いがあるんだって」と紹介してくれた。
「エキザカムの妖精がぼくになんの用事?」
「私、メリンと言います。月の妖精が強い魔力を持っていると聞いて来ました。私はできたら人間の姿になりたいんです。それがダメなら、ある人間に私の姿が見えるようになる魔法をかけてほしいんです。お願いできますか」
緊張しながら、ここまで来た理由を話した。どうか、私の願いが叶いますように。握りしめた両手は汗でびっしょりだった。
「へぇ。面白いことを言うね。君みたいなおチビさんにはできない事だもんね」
美しい顔で私をじっくりと見る月の妖精に、さらに汗が噴き出てくる。
オオカミに食べられそうになった時とは違う怖さがあった。
「いいよ。面白そう。その話詳しく聞かせてよ」
そう言って踵を返すと、トンボの羽の妖精との用事を先に済ませるから待つように言われた。
私は隣のバイオレットと顔を見合わせ、「やったー!」とバイオレットに抱きついた。
トンボの羽の妖精の用事が終わると、「じゃぁ頑張れよ!」と壁についている扉から去っていった。「ありがとう!」とお礼を言う。
けれど、入って来る時は扉なんて使わなかったのに、帰る時は扉から帰るのね。不思議な部屋だ。
「それで、どうして人間になりたいわけ」
テーブルの上に私たちを座らせ、月の妖精は椅子にどかっと座った。
「実は、人間に恋をしているんです。一度妖精界に迷い込んでしまった人間で、どうしてもその人間と過ごしたくて。妖精界に迷い込んだ時は見えていたのに、人間界では彼は私たち妖精のことは全く見えないみたいで。だからもう話すこともできなくて悲しくて、それなら私が人間の姿になれば彼に会えると思ったんです」
理由は正直に話した。月の妖精は面白そうに私たちを見ている。
「なるほどね。それで、えーっと、メリン? じゃない君も人間になりたいの?」
月の妖精はバイオレットに聞いた。
「あたしはただの付き添いで、人間にはなりたくないです」
バイオレットはらしくなく、ちぢこまりながら小さく手を挙げて答えた。
「じゃぁメリンだけ、ということね」
そう言うと、月の妖精は人差し指を私に向けた。
「人間の姿にする魔法をかけてあげよう。もちろん対価をもらうよ。なにがいいかな。エキザカムの妖精は珍しいからね。羽は魔女に高く売れるんだぁ。でもお金はあんまりいらないしなぁ。それよりエキザカムの妖精の命のかけらはまだ持っていないから、コレクションに加えるのも良い」
月の妖精は悩み始めた様子で、うーんと腕組みをしている。
命のかけらなんていう言葉に、私はぞわりと背筋を凍らせた。バイオレットと顔を見合わせる。お互い青い顔をしている。
何を差し出すのも怖くはないと決意して来たつもりだったけれど、改めて突きつけられると甘い考えだったと思い知らされる。
羽を取られたら、私たち花の妖精は生きていけないのだ。人間の姿になったとしても、すぐに動けなくなるだろうと想像する。
「決めた。命のかけらにしよう」
「命のかけらってなんですか」
おそるおそる聞いてみる。月の妖精は嬉しそうに棚を指差した。
「あれだよ。綺麗でしょ。ぼく、命のかけらを集めるのが好きなんだよね」
棚には私たちが入るサイズの小瓶に入った宝石がひとつひとつ並べられていた。
確かにそれはとても綺麗だったけれど、『命のかけら』と聞くと、恐ろしいものに感じてしまう。
「寿命の半分を結晶化したものだよ。妖精それぞれの色や形が違って最高だよねぇ。君の命のかけらはどんな色で、どんな形なんだろう」
恍惚とした表情で、その美しい顔が小瓶に向けられている。
バイオレットが私の手を握って立ち上がった。
「やめよう! そんなことしたらあんた死んじゃうよ。そこまでして人間にならなくったって、今までみたいに見にいけばいいじゃん」
いつも強気のバイオレットの瞳に、うっすらと涙が浮かんでいた。
私はバイオレットの気持ちも考えずに今まで突っ走ってきてしまったのだと気付かされる。
けれど、確かに私は故郷を発った時に、フィオンのボタン以外は何を失ってもいいと決意したのだ。この友だちも失うかもしれないとは思いもせずに。
バイオレットに握られた手を握り返す。
「でも私、人間になってフィオンに会いにいくよ。そう決めて来たんだよ」
バイオレットを力強く見つめると、バイオレットはへたり込んだ。
「この、頑固もの……恋がなんだよ」
「ごめんね、バイオレット。今までたくさんありがとう。大好きだよ」
私はバイオレットを力強く抱きしめた。本当に感謝しかないのだ。ずっと私の気持ちを聞き続けてきてくれたのは、バイオレットだけだから。
そんな私たちを見て、月の妖精はにこにこしている。
「いいね。仲良しがいるって大事だよ」
「命のかけらで人間の姿になれるなら、なります」
私は月の妖精の美しい顔を見据えて、そう答えた。
そうして月の妖精は、私に人間の姿になる魔法の説明を始めた。
「オーケー。じゃぁ説明するね。人間の姿を保てるのはせいぜい次の満月までだよ。ぼくの魔法だから、月の光を浴びれば魔力が回復するけど、浴びないままだと健康を損なう。そのまま人間の姿でいたいのなら、想い人からの口づけをもらうこと。それでこの魔法は完成する。でなければ魔法は解け、妖精の姿に戻るけど以後決して人間界へ行くことはできないよ」
次の満月となると長い時間ではない。人間界にいればあっという間だろう。
それでも口づけをもらえばフィオンとずっと一緒にいられるのだと思い至ると、先ほどまでの恐怖心は吹っ飛んでしまった。私が急にニヤつき始めたことを、バイオレットが呆れたように見ている。
口づけをもらうだなんて、楽勝じゃない!
だって、口づけなんてすぐできるでしょう?
「本当に口づけでずっと人間でいられるんですか?」
一応確認をする。また知らない情報があったら困るし。
「うん、そう。君と、君の好きな人間がここにするんだよ」
月の妖精は自分の唇を指差す。
「わかりました!」
元気に答えると「やけに自信満々だな」とバイオレットが呟いた。
「えーっと。君、もうそろそろ折り返し地点じゃない? 命のかけらをもらったら寿命も底がつきそうだね。やっぱり返してって言われても返せないからね」
月の妖精が私の羽を見て言った。そんな事もわかるんだなぁと感心する。
「私、そんなに生きてるかな。魔法が完成して人間の姿になったら長くてどのくらい生きられますか」
せっかく人間の姿になっても、フィオンと過ごす間もなく寿命が尽きてしまうのは困る。それでは本当にお伽話になってしまうではないか。そんなに長生きしている自覚もないというのに。
「人間の赤ちゃんが大きくなるくらいかなぁ。人間ってすぐおばあちゃんになっちゃうよね。この間もよく来る魔女が子どもを連れてきたと思ったら、次来た時にはもう子どもがおばちゃんになってたんだよ」
それは一体どのくらいの時間なのかよくわからないけれど、私たち一族の赤ちゃんは季節が一度めぐると大きくなるからそのくらいなのかなぁ。
魔女の子どもの話は全然参考にならなかった。
バイオレットと私は顔を見合わせる。バイオレットも顔に『なんの話をしているんだ?』と書いてあった。でも怖くて言えないんだなと思う。
「そんなに長生きできないと覚悟して行ったほうが良いということはわかりました。私は最初の目的である、人間の姿でフィオンに好きと伝えることを叶えるために人間になります!」
「うん、魔法が完成するかどうかはわからないからね。そこは君次第だから頑張って。ぼくは君の『人間の姿になりたい』という希望を叶えるだけだから」