妖精の願い
フィオンを妖精界に連れてくる。
それは私たちの一族の決まりに反する。本人が来たくて妖精界にやってくるのならば良い、らしい。これは難しい。私が説得したくても、もうフィオンは私のことが見えないのだし。
私が人間界に行く。
けれど妖精のままでは人間界ではフィオンに見つけてもらえさえしない。悲しい。
魔法でフィオンに妖精が見えるようにする、もしくは私を人間に変身できたりしないか。
私たちのような小さな妖精は魔力がほとんどない。花の成長を早めるとか、木の実を落とすくらいの魔法しか使えないのだ。普段の生活の中でもそんなに魔法を使うこともないから、魔法の研究なんてこともしない。それはもっと魔力のあるものたちがやることだと思っている。
誰かすごい魔法を使える妖精族がいないかしら。そしてその妖精が、妖精が見えるようになる魔法とか、変身魔法を使えないかしら。できれば人間になって彼と共に人間界で暮らしてみたいと思う。
フィオンの感じること、思うこと、好きな食べ物、好きな景色、そういったものを一緒に感じられたら最高だ。
そんな事をバイオレットに話していた。
人間に変身してフィオンと一緒に過ごす夢は、どんどん大きく強くなっていく。
フィオンに出会って季節がふたつ過ぎた。
時々フィオンを見に行って、彼の顔の前を飛び回る。彼は全く気が付かない。それを確認して毎回落ち込むけれど、なんとかしてまたお話しするんだと決意を新たにする。
そんな時、泉に遊びにきていた少し遠くに棲む瑠璃色の蝶の羽を持った妖精から面白い話を聞いた。
強い魔力を持つ月の妖精。
月の妖精の存在は知っていたけれど、強い魔力を持っているとは知らなかった。それに月の妖精がどこにいるかも知らなかった。
その瑠璃色の羽の妖精が言うには、3つ先の山の頂上にある湖に月に一度、満月の夜に現れるらしい。
私はそれを聞いて、飛び上がって喜んだ。
これは絶対に、私が人間になってフィオンのもとへ行くべきという天の采配なのだと確信した。
バイオレットはとても胡散臭そうにしていたけれど。
とにかく月の妖精に会ってみないことにはわからない。
私はすぐに会いに行くことにした。満月まではまだしばらくあるけれど、その湖まで行って待っていればいいだけだもの!
心配したバイオレットも付いてきてくれた。
「そんなおとぎ話みたいなことある? 死んじゃったりしない?」
バイオレットは私の人間になりたい話をずっとおとぎ話だと言う。たしかにおばあちゃんが聞かせてくれたおとぎ話で海の妖精の話もあった。悲しい結末だったけれど。
でも、夢は大きく持たないとね。
もしかしたら夢が叶うかもしれない、だなんてとてもわくわくするじゃない。
わくわくすることって、妖精の大好物。
「希望があるなら、私はそれに縋りつきたいよ。会って気持ちを伝えたい」
妖精が恋をするなんて?
ただの興味本位?
でも一日中考えている。こんなにも胸を焦がされる。
フィオンが妖精界を去る際にお礼にと「妖精はコインなどが好きだったか?」と言いながらコインを渡してくれた時。
「コインより、これがいい」
そうお願いして、もらった騎士服のボタン。
私の宝物だ。
毎日一緒に寝ている。荷物はそれだけ。
月の妖精に何か試練を言い渡された時は、その時に用意すればいいのだ。
湖までは思った以上に遠かった。私たちのような小さな羽の妖精には山を3つ越えるのは大変な大仕事だった。
やっとの思いで辿り着いた時には、満月はもうすぐだった。
すぐに出発して良かったと思いながら、満月の夜まで湖のそばを探検して過ごす。
月の妖精が現れるという湖はとても美しかった。昼も夜も空からの光が反射しキラキラと輝く。私たちの綺麗な羽に劣らない美しい羽の様々な妖精がその煌めく湖の上を飛びまわり、湖から光の飛沫が上がっているようだった。
こんなに素敵な場所なら強い魔力を持った妖精族がいてもおかしくはないなと思う。
周りの森も安全で美味しい蜜の花もあるし、素敵な花輪が作れるお花畑もある。花輪を作ったら、フィオンに持っていってあげよう。あのふわふわの濃い茶色の髪に似合うはず。
そんな楽しい妄想ばかりしながら満月に備える。
「見ない顔だな」
湖の周りにいるトンボの羽の妖精に声をかけられた。
「月の妖精に会いに来たの」
そう答えると、「そうか、会えるといいな!」と私たちを快く仲間に入れてくれた。
大きな満月が遠くの山から登ってきた。私は浮き足立ちながら湖の上を見つめる。その隣でバイオレットが心配そうにハラハラとしていた。
満月が少し小さくなって空の上まで登っていく。
月の妖精は現れない。
どんどんと西の空へ沈んでいく月を焦りながら追いかける。バイオレットが「やっぱり月の妖精はただの噂だったんじゃない?」と私を慰めるように言った。
とうとう月が山に沈んでいってしまった。
「月の妖精は現れなかった……」
私はがっくりとその場に項垂れてしまった。
「まぁ、妖精だから気まぐれなのかもよ」
バイオレットが励ましてくれる。
私は悲しくて、返事もせずに湖を眺め続けた。
バイオレットは黙って隣に座ってくれていた。
日が高くなるまでその場でそうしていると、トンボの羽の妖精が私たちの元へ飛んできた。
「月の妖精には会えたかい?」
「月の妖精は現れなかったよ」
返事ができない私の代わりにバイオレットが答えてくれた。
「おかしいなぁ、水面に映った月を追いかけると月の妖精がいるんだけどなぁ。珍しく出かけていたか?」
トンボの羽の妖精は首を傾げながら私たちを気の毒そうにそう言った。
私はその言葉にハッとする。
「水面に映った月を追いかけるの?」
トンボの羽の妖精に勢いよく聞くと、驚いたように「そうだよ」と答えた。
それは知らない情報だ。
私の敗因は、下調べをしなかったことだった。
「もっとよく教えて!」
トンボの羽の妖精に飛びつく。
トンボの羽の妖精が言うには、満月の夜に湖の水面に映った月の光を追いかけていくと月の妖精の棲家があるということだった。月に一度しか開かない道だが、確かに月の妖精の棲家に通じているそうだ。トンボの妖精も行ったことがあるらしい。
満月を迎える前に、もっとしっかり月の妖精について聞いておけば良かったと後悔する。しかし、満月はまたやってくるのだ。
諦めきれない私は、次の満月を待つことにした。
バイオレットは「心配だから一緒に待つよ」と肩をすくめた。感謝の気持ちを込めて、ぎゅうっと抱きしめた。
それからトンボの妖精は、月の妖精のことを色々と教えてくれた。
月の妖精のもとに人間の魔女がたまにやって来ること。ボロボロになった羽の薬をトンボの妖精のために作っていること。(トンボの羽の妖精は、羽が頑丈ではないから破れると治りにくく、冬を越せないそうだ)そのお礼に薬草になる草花を届けていること。そして、この辺では1番の長生きだということ。
落ち込んだ気持ちはすぐに消え去り、私は再び期待に満ちた心で満月を待った。
トンボの羽の妖精たちとはすっかり仲良くなり、ずっと一緒に暮らせばいいとまで言われるようになった。
嬉しい申し出だけれど、私は断った。私の最終目的はフィオンのところへ行くことだ。
それに、バイオレットは故郷に帰りたいだろうし。
トンボの羽の妖精たちを見ていると、故郷を思い出す。
そういえば、仲間には行き先も告げずに飛び出してきてしまったことを思い出した。私たちのことを心配しているかもしれない。
とうとう満月の夜がやってきた。
今回はトンボの羽の妖精が案内してくれるから安心だ。トンボの羽の妖精はお礼の薬草をカゴいっぱいに持っている。
月が山の端から顔を出した。
どんどんと空にのぼっていく月を横目に、トンボの羽の妖精の後を追って湖面を飛ぶ。水面に揺れる月はゆっくりと湖面を滑っていく。
すると湖の真ん中あたりに辿り着いたとき、湖面にぽうっと光が灯った。
「ほら、あそこだよ」
そう言ってトンボの羽の妖精は、その光の中に飛び込んだ。
「えっ!」と私とバイオレットは顔を見合わせる。でも置いていかれるわけにはいかない。私も意を決して飛び込んだ。後ろからバイオレットがついて来るのがわかった。