4.就寝
「そろそろ寝ようか」
「そうだね、さすがに限界だ」
「それじゃあやりたい事考えておいてね」
「うん、考えておく」
僕がそう言うと橘は立ち上がって寝室に案内してくれる。
「どっちがいい?」
「同じ部屋でいいの?」
寝室内にはベットが二つだが距離は大きく離れている。
「嫌なら私がソファーで寝るよ」
「いや僕がソファーで――」
僕がそう言いかけると口に人差し指を添えられる。
「押し問答になっちゃうから同じ部屋でいいよ。神谷が襲わなければ問題はないでしょ」
「それはそうだけど……」
実際襲う気はないがこんな世界だったら襲おうと考える男は多い気がする。
「信じてるからね?」
「う、うん」
橘は試すような煽るような表情に少し動揺しながら返答する。何を?という言葉を発したい衝動に駆られる。
「分かってるよね?」
橘はベットに座って上目遣いでそう言う。
「な、何を?」
僕が思わずそう聞くと橘は大きく笑いだす。
「神谷もしっかり男なんだねー」
「……うるさいな」
僕は恥ずかしい気持ちでそう言うとベットに飛び込む。
「ごめんごめん。少しからかいたかったの」
橘はそう言って本当に楽しそうに笑う。
「……いい顔するな」
僕は聞こえないようにそう呟く。
「それじゃあ電気消すね」
「少し待って」
僕はそう言ってノートを開いてペンを動かす。
「お、何か思いついたの」
橘は正面から覗き込むようにノートを見る。
「本気で笑う。かいいね」
「結構難易度高いけどね」
僕は高校に入ってから本気で笑った記憶がない。理由は実力不足からくる嫉妬や美大受験への準備だろう。
だから僕はもう一つ書く。
「私のネタじゃ笑わせられなかったか」
「どちらかと言うと微笑ましかったよ」
僕はムッとした橘を見ながらもう一つ書く。
・僕の全てをかけて描きたいものを描く
「いいね!それじゃあ明日は道具を取りに行こうか」
橘はそう言うと自分のノートを開くと何かを書く。
「これを見よ!」
橘は笑顔でノートを見せるとそこには
・神谷の絵を見る
と書かれていた。
「それじゃあ、お休み!」
橘は自分のベットに行くとそう言って電気を消す。
いろいろな事があったせいか僕は泥のように眠った。
「ねえ、お母さん。私、友達と遊びたいんだけど」
「ダメよ、勉強しなさい」
「……はい」
私の人生は一本道だ。お父さんは誰もが名前を知っているような政治家だ。一つ上の兄が二世としての人生を歩むのと同じで私は政略で使う道具でしかない。それを悟ったのは小学生の頃だった。
小学生の頃から高校の勉強をさせられ中学受験をする。遊ぶことは許されず楽器やテニスなどの習い事を毎日こなす。私の人生は時間割だ。
「何で宿題をやってこなかったんだ!」
小学五年生の頃の先生は厳しくてすぐに起こることで有名だった。だから試しに宿題を出さないでみた。元々簡単すぎて無駄だと思っていたからだ。
「先生宿題を忘れました」
「橘さんか……つ、次から気を付けてね」
先生は怒らなかった。それどころか目を合わせようとしなかった。
私という存在は地雷でしかないということを悟った。それにクラスメイトも懐疑的な目を向けているのにも気づいた。それは中学でも高校でも変わらずに私は浮いた存在だった。理由は単純で私のお父さんのせいだ。
一生縛られて生きると思っていた矢先に第三次世界大戦が勃発した。権力なんて兵器の前には無力で私は一人になって初めて自由になった。
「これで私は自由だ」
何故か一人で生き残った私はそう言って崩壊した世界を歩き回った。何にも縛られることなく道路や線路を歩いた。今後許さなかったであろう一人暮らしも出来た。無事に残っていたゲームや漫画をして好きなように生きた。
「楽しい……な」
一人になって二週間が経った頃正体不明の涙が流れてきた。それから無我夢中でいろいろなものを探してやった。でも身体を洗っている時や淡々と道を歩いている時に凄まじい孤独感が押し寄せてくるのだ。
「……あ、これって」
ふと目に留まったのはシェルターだった。その瞬間心臓が跳ね上がったのが分かった。
「コンコン、誰かいますか?」
私はそう呼びかけてみたが返事はなかった。もう一度大きな声で呼びかけてみるが返事はなかった。
「鍵なんて残ってるかな?」
私はそう言ってボロボロの家を探索する。無我夢中で鍵を探すと高級感のある棚の中から鍵を発見する。
「開いて」
私は願うようにそう言うと鍵は刺さって扉が開く。
「……そっか、そうかー」
視界に飛び込んできたのは苦悶の表情をした親子の遺体だった。これが示すことは生存者がいる可能性がゼロに等しいということだった。それからの日々はあまり覚えていない。いっさい笑えていなかった記憶がある。
「あああああああああ!」
淡々と歩いていると静かな世界に絶叫が鳴り響いた。幻聴を聞くようになったのかと思ったがそれにしてはリアルだった。心臓が高鳴って無意識に足が動いていく。
「いた!」
やつれた表情をした可愛いらし顔立ちの男の子が地下へと入っていくのを目撃する。本当は今すぐに話しかけたかったが話しかけ方が分からなかった。そしてズルズルとタイミングを逃して飛び降りる直前に話しかける卑怯な感じになってしまった。
それからテンションが上がって一歩的に話した。幸いなことに私に先入観はない様子だった。トランプを配る時は腕が振るえるほど興奮していた。
罰ゲームトランプでジョーカーを引いてシャッフルしなかった時は凄く寂しく思ったけどジョーカーを取らせるための罠だったことに気づいた時は本当に嬉しかった。忖度されないのは本当に嬉しい。
そんな気持を抱きつつ明日を楽しみにしながら眠りにつく。そして時間はあっという間に過ぎて目が覚めると明かりをつける。
「まだ寝てるのかな」
私はそう言ってゆっくりと神谷の方に近づこうとするが足が動かない。全身に嫌な汗が流れて視野が狭まっていく。
「そろそろ起きてもいいんじゃない?」
私は震える声でそう言うと神谷にゆっくりと近づいていく。そして顔を照らすと生気の抜けたような表情でいっさい動かない。
「……噓、嫌だよ、止めて」
私は大きく息を荒げて視野が狭くなって何も聞こえなくなって――
「は!」
私は飛び起きるように起きると周りを見渡す。
「はぁ、はぁ、夢か」
私はそう呟くと慌てて神谷のベットに駆け寄って手首を触る。
「……よかった、生きて――」
「カチッ」
確かに脈拍と体温を感じた私が安心して息を吐くと急に電気がつく。
「ど。どうかした?」
神谷が目を細めてそう聞くと私の頭は真っ白になる。
「あ、えっと……」
私がどう答えるか迷っていると神谷が汗を滲ませているのに気づく。そして顔色も悪くて手が震えている。
「う、うなされてたからさ!」
私が咄嗟にそう言うと神谷は下を向く。
「ご、ごめんね。うるさかったかな?」
神谷が申し訳なさそうにそう言うと心が少し痛んだがそれ以上に心配が勝った。
「大丈夫?」
「大丈夫……じゃないかも」
「怖い夢でも見た?」
私がそう聞くと神谷は小さく頷く。
「どんな夢だったの?」
「家族と家でご飯を食べてたら急に誰もいなくなった。そして僕はシェルターの中でずっと一人。暗くて、怖くて」
神谷は振り絞るように言葉を発する。
「それに死体、苦しそうな死体だ。皆あんな風に死んじゃったのかな?」
神谷は思い出したのか口を押さえる。当然だ、普通の人ならこの惨状を受け入れられない。悪夢にうなされるのは当然だ。
「……辛いよね」
私はそう言って神谷の背中をさする。私には誰かを失う悲しさが分からないからただただ背中をさする。神谷の体温が感じられて私も落ち着きを取り戻す。
「ありがとう、もう大丈夫」
「それならよかったよ」
私はそう言って時計に視線を送ると寝てから三時間程度しか経っていなかった。
「それじゃあ、もうひと眠りするね。明日は忙しいぞー」
「そうだね、僕もしっかり寝ないとな」
お互いにそう言って電気を消すと再び孤独な暗闇が広がるが悪夢を見ることはなかった。