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魔法院一年生 5月

朝というものは誰に対しても平等にやってくる。

清掃の行き届いた豪奢な部屋のベッドで眠る者は、カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ますし、狭く薄暗い屋根裏部屋で眠るものは、窓の外に勝手に巣くった小鳥の喧しい鳴き声で目を覚ます。どちらも同じく朝であるが、いま目覚めたのは後者だった。季節は5月の初め。初夏のよく晴れた日のこと。


明らかにいい環境とは言い難い。

家具と呼べるのは簡素なベッドと机が1つ、それとスカスカのクローゼット。だが部屋の主はここを悪く思ってはいなかった。それなりに衛生には気をつけていたし、何より人通りというものが全くない。

他の寮のような華やかさ喧騒から隔絶された空間。


これまた質素なバスルームで水を浴びながら()()は大きな欠伸をひとつ落とした。バスルームといっても、使い古しの樽に水を入れただけだが。

歯を磨きながら水浴びをする行為自体に、少女の性格が透けて見えるようではある。


水を吸って陰る白に近い銀の髪と、濃い金の瞳。日焼けしていない、白い肌がわずかに頬の赤みを透かしていた。

珍しい組み合わせにも特に構うことはなく、手早く、言い換えるなら雑にタオルで拭う。


ボロ布を適当に縫い合わせたものを下着とし、その上に着古した紺色のワンピースと、白く四角い襟をつける。街ではだいぶ時代遅れな格好らしいが、少女は知らない。

無骨な、少し大きい、編み上げのブーツに足を突っ込み、思い切り紐を引っ張った。

これらは全て備品倉庫に忍び込み(勝手に)拝借した旧制服一式だ。これを、5着。1年を通して、毎日着まわしていた。


こうして、一目見れば人形と見まごう美しい少女の出来上がりだ。この年頃の少女なら、化粧品や、煌びやかなアクセサリーを身につけるのだろうが、この粗末な部屋にはそのようなものはない。もっとも、あったとしても、余分なものだっただろう。


しかし少女はその振る舞いで期待を裏切る。未だ生乾きの髪を気にせず開け放した窓の枠に足をかけ―そのまま飛んだ。


本日は晴天なり。青い空はすでに高い陽を戴き、目下の噴水は光を弾いた。




アレリア魔法院、どこの国にも属さず中立を保つ、全寮制の魔法院。海を望む崖の上、断崖絶壁と森、そして強固な結界に守られてアレリアは建つ。

中央の大時計塔の左右には赤、青の寮があり、数多の学生が集っている。


―今、その大時計塔の文字盤の上―屋根裏に当たる部分から、自由落下する()()がひとつ。

「間にあ……間に合う!間に合う……か……」

否、()()である。さらに言えばもう間に合わないのである。呟いた本人ですらも若干の疑問を滲ませる独り言を聞く人間はいない。


瞬きより速く迫る地面まで残りわずか、少女の身長ぶんといったところ。さっと爪先でちいさな円を描くと、軌跡は黄金の光を帯びた。その足を軸に、勢いを殺すように一回転。流された()()に呼応して、光はただの線でなくひとつの陣へ変わる。


ウィザード。

魔力を持つ者。その力で魔法を操る者。そして、このアレリアに集うすべての学生のこと。炎を操り、水を生み出し、風を巻き上げる賢者―のはず。

だが。

「―これはどうにも悪いな……」

地面との衝突を避けた代償に、蹴り落としてしまった噴水の女神像、その頭部を覗き見ながら少女はバツの悪そうな顔をした。




「―それで?イルフィア=フランソワーズ。貴女は朝から、いえ失礼、違いましたね。訂正します。昼から何をしていたと言うのです?」

颯爽と講義へ遅刻した少女―イルフィアは、早速生徒指導の対象となった。

「それが、マダム・ドゥーラ。驚くべきことに、起きたら昼だったのです」

言い訳としてはこの上なく誠実である。嘘はなにひとつ含まれていないのだから。イルフィアは胸を張って答えた。


アレリア魔法院、生活指導担当、マダム・ドゥーラは溜息を落とす。こんなに手がかかるとは思わなかった。

イルフィア=フランソワーズ、17歳。アレリア魔法院1年目。

このアレリアは在籍年数が決まっていない。大体の学生は20歳までに己の道を見つけ、巣立っていく。

イルフィアがアレリアに来たのは10年前。それからずっと、用務生として雑用を担当していた。授業が終わり、生徒の寝静まった夜間、学院内の整備を担当していたらしい。


確かにいままで夜型の生活を送っていたとはいえ、いまだ朝起きるという習慣が身につかない。

「貴女は10年に渡る用務生としての功績でアレリアに在籍を許されています。自覚を持ちなさい」

努めて厳しい声で告げる。これも彼女のためだ。教師になって早22年。生徒指導は慣れたもの。こうして悪目立ちし続ければ彼女は学院内で孤立してしまうだろう。既に少し距離を置かれているふうがある。

全寮制のこのアレリアでそのような扱いはあまりにも辛いだろう。

イルフィアにも、先の言葉は流石に堪えたらしい。気をつけますとの答えを得た。


「―ああそう、ところで貴女、2週間後には実技試験だけれど、登録(エントリー)は済ませたのでしょうね」

試験。ここアレリア魔法院にも、当然のように学生たちの頭を悩ませるイベントが存在する。実技と筆記で年に2回、夏と冬に開催される。実技試験は特に大々的であり、注目の的だ。学生同士によるトーナメント形式で行われ、特に上位は公開試験として大いに盛り上がる。


が、イルフィアには全くの初耳であった。

夜型の生活から抜け出せなかった彼女にとって昼の講義は睡眠時間にあてられていた。実技試験があるということは理解していたが、2週間と迫っていること、ましてや登録(エントリー)が必要だとは全くの想定外だった。自堕落な生活をしていた自覚はあったが、まさかこんな重要な情報を落としていたとは。


「学生課から登録(エントリー)がないと言われているけれども。当然、試験を受けなければ落第決定。用務生が良いというなら止めないけれど、学費の心配をした方がいいのではないかしら」


冗談ではない。用務生の暮らしは楽なものではなかった。何より苦労したのが金銭面である。

用務生は住処を対価に労働力を差し出す。まあ多少の勉学の面倒も見てはもらったが……。それはそれ。ろくな給金が支払われないのだ。

正直清貧というよりかは極貧である。日々食い繋ぐために日々働く。この繰り返し。そこに降って湧いた正規生の話。イルフィアはこれに飛びついた。

蓋を開けてみれば、学費が給金から積み立てされていた。呆れて脱力したものだ。


マダム・ドゥーラによれば期限は今日までらしい。

「い、今から!今から登録します!」

それは困る。10年働いてやっと手にした正規生の枠、手放すわけにはいかない。マダムはまだ何か言っていたようだが、イルフィアは踵を返した。

目指すはこの大時計塔一階、メインホールにある学生課である。


大時計塔は全8階、中央を巨大な振り子が貫いている。

振り子の周りをぐるりと螺旋階段が取り囲む。

1階は学生課のあるメインホールと、大食堂。

8階はフロアが丸々大図書館になっている。

その他のフロアは、大小様々な研究室と講義室があり、いつも学生で賑わっている。

この時間帯はほぼ全ての学生が、各々講義のためこの大時計塔に集っていた。


マダム・ドゥーラの研究室は6階に位置している。

が、イルフィアにはこの螺旋階段を駆け降りるつもりは毛頭ない。

目指すは中央、吹き抜けだ。振り子に当たらないよう調整するため、最低限の飛行の陣を両脚にまとう。


昼間の失態などもう頭にない。なんなら今まさに素行不良の指導をされたところだが、それよりも試験の方が重要だ。


教師の制止(室内では魔法の類は原則禁止されている)を振り切り、学生の驚く声を無視する。





6階からの落下の終わり。

彼女は当然のように無事着地した。




人ごみのメインホールの中央で




―水をかぶった。




「―は??」

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