31.最愛の人
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
髪から手から頬から、地面に滴り落ちる赤い液体。
私の背中で眠る最愛の人も汚してしまった。
とりあえず、そこら辺にある家に入る。
汚れてしまったアキを魔法で綺麗にして、ベットに寝かせた。
「…………すみません。今だけは借りさせてください」
誰にも届かない謝罪の言葉を呟く。
王都が光に包まれた瞬間、魔物は全て消え失せていた。
炎も全て消え去って、建物が光に包まれている。
多分、今はとにかく家に入っていれば安心できる。
直感的にそう思った。
手についている血をみる。
「――――――うっ」
どうしようもない嫌悪感に体が反応する。
咄嗟に口を手で押さえる。
でも、手にはこびりついた鉄の匂い。
体が耐えきれなくなり、吐き出す。
人を、人を殺した。
覚悟を決めて襲ってくる人を殺した。
今度はアキを救うために、アキのためだと思って、自らそれを選んだ。
逃げることだってできた。
でも、アキを守るために私がしなきゃならない。
そう思ったから。
彼らは本気だった。
多分、あの場を逃げきれたとして、なんの解決にもならないって思ったから。
なら、アキが起きる前に、このことで苦しんでしまう前に私がやるしかない。
そう思ったからやった。やってしまった。
鏡をみたら、手に、髪に、そして顔に、こびりつく私が犯した罪の痕。取り返しのつかないことをしたっていう証が鮮明に写る。
ハッとして、すぐに手を水で洗う。
魔法ではなく、蛇口から出てくる水で必死に手についてしまった汚れを落とす。
既に目に見えている汚れは、綺麗に落ちたはずなのに、それでも手を擦る。
涙が溢れてきて、立っていられない。
耐えきれなくなり、その場で蹲る。
しばらくたった後、自分についた罪を洗い落とすことを諦めて、アキのいるベットに戻って椅子に座る。
「……アキ…………アキ……どうしよう…………」
起きないアキの手を握る。
私のせいでこうなってしまったのに、それでもアキに縋る。
罪を犯してしまったその手で、綺麗なアキの手を握る。
気づけば寝てしまっていたらしい。
私は顔を上げる。
「………………ハ…ル?」
眠っていて決して目覚めないはずの人が、上半身を起こしている姿が私の目に入る。
「……ア…キ…………?」
その瞬間、私は迷わず抱きついた。
「……アキ…… アキ……ごめんなさい。本当に、本当にごめんなさい…………」
「どう……したの? ハ…ル? こ……こは?」
掠れて上手く喋れない様子のアキ。
「…………覚えてない?」
「…………うん、あ…んまり」
「魔物に……襲われて……それも全部が私のせいで………………ごめんなさい…………。謝って許されることじゃないけど……」
決めていたことだけど、それでも言うのが怖い。
「いい…よ」
いきなりアキがそう言う。
「え………………?」
「別…にいい…よ。何があったかは……あま…り覚えてない…けど、はっき…りと言えるこ…とがある」
そう言って私の手を握って、しっかりと顔をみるアキ。
「ハルの…ことだ…からね。何…があっても…許す…よ。それだけ…は絶対。だ…からゆっくりで…いいよ。ゆっくり…今…までにあった…ことを話し…てほしい」
アキは本当に私にいろんなものをくれる。
アキの言葉は、行動は私に大切なものを与えてくれる。
「………………うん」
「ほ…ら泣か…ないの」
◇
あの時に、あの場所であったことだけを話した。
その時、私が何を考えていたのかも話した。
それだけをアキに伝えた。
「……それ、全然ハルは悪くなくない?」
時間が経って、はっきりと喋れるようになっていたアキにはっきりとそう言われる。
「……! そんなことないよ! 私が余計なこと考えてなければ…………」
「……はぁ。まぁハルはそういうだろうね。ここで何言っても納得できないだろうから、とりあえず置いておく」
「…………」
不満だけど、アキがそう言うから黙って従う。
そんな私をみて、アキの顔が少し変わる。
「…………ハルはさ、やっぱり変わったよ」
突然、寂しそうな顔でそう言うアキ。
「最後に私が覚えてるハルとは、また別人みたいに変わってる。あの時に…………」
「…………あの時?」
「…………なんでもない」
あの時ってなんのことなんだろう。
考えても答えは出ることはない。
だから、ありったけの感謝を伝える。
「もし本当にそうみえるとしたら、全部アキのおかげ!」
そう、変わったとしたらアキからもらったもの。
形には残らない大切なものを、アキがくれたおかげだから。
「アキのおかげで私は私の過去に向き合えた!」
「…………みてくれた?」
「うん! ありがとうアキ……! アキのおかげで私は愛されていたこと、愛してくれる人がいたってことをちゃんと知れた」
アキがいなかったら、残してくれたものがなかったら、あそこに閉じこもったまま、何もかも終わった後にどうしようもない後悔だけが私に残っていたはず。
「…………よかった」
「ありがとう……ありがとうアキ!」
抱きついて、感謝を伝える。
いつだって、寝ていたって、私に大切なものをくれる。
だから、アキには自分の全てを捧げられる。
「うん…………!」
アキと一緒に笑って、アキと一緒に泣く。
ずっと続いてほしい幸せな時間。
この時間を守るために、まだ私がしなきゃならないことがある。
今、何が起こっているのかアキに伝えてない。
外では何が起こっているのか、私が何をしたのか、髪や顔についている血がなんなのか。
アキは聞きたいと思ってると思う。
だから、私はいかなきゃならない。
アキには私の前では知ってほしくない。
これがエゴだってわかってる。
私がしたことが、許されるなんて思ってない。
でも、今は、今だけは知られたくない。
これが最後かもしれないから。
ここから離れたら、二度と会えない。
そんな予感がする。
仮に全部が上手くいっても、多分、私は私が許せない。
アキの前から消えてなくなりたいって、多分、そう思うようなことをしなきゃならない。
でもそれも全部、その時になってみないとわからない。
今、わかっていることは、どんな結果になったとしても、今のままなら絶対にこの時間は守れない。
この時間が続くことはない。
それだけは事実だから。
私の覚悟が鈍ってしまう前に、ここを離れる。
やるべきこと、私がやりたいって選んでしまったことをやりにいく。
まだ何もかもを迷ってるし、何一つ覚悟は決まってない。だけど、ここでアキと話していたら、全てが揺れてしまう。
アキは多分、私の選択を望んでないって思うから。
「ねぇ、ハル……そろそろ…」
「アキ……!」
アキの言葉を遮る。
アキから少し離れて、顔をしっかりと見つめる。
「え……?」
「本当に…本当に大好き!」
今のありったけを伝える。
「ハル…………?」
「私に全てを与えてくれてありがとう」
「……ハ…ル?」
伝えたいことを全部、全部伝える。
「私に幸せを教えてくれてありがとう」
「ちょっと…待って」
これが最後になってしまうかもしれないから。
「私に大切なものを与えてくれてありがとう」
「なに…を…………」
もう会えないかもしれないから。
「アキとの時間の全てが、全部が特別だったよ!」
「やだ… 待って…待ってよ」
少しずつドアに向かって後ずさる。
「アキに貰ったもの、教えてもらった幸せを、少しでもアキに返すために、そしてアキにもらった私を嘘にしないために、私はいかなきゃならないところがあるから」
「いかないで… ハル。どこにも…いかないで……」
アキが私に向かって手を伸ばす。
「だから…だからね!!!」
アキがまだ上手く歩けないことを知ってる。
1人でベットから出られないことをわかってる。
私は本当に狡い女だ。
それすらわかって利用してる。
アキに忘れられないように、アキの中に一生私が残るように、残れるように精一杯の事をする。
ドアノブに手をかける。
アキを目に心に焼き付けるために、あの時とは違って、もう一度アキを見るために振り返る。
神様が作ってくれた、この奇跡のような時間を最大限に利用して、アキに最後の言葉を伝える。
「アキ…! いってきます! またね!!!」
「やだ! ハル!待って!!!」
私はゆっくりドアを閉めた。
さよなら、最愛の人。




