[日常]違い。
侯爵邸での生活は、今までとまるで違って。
なんだか申し訳ない気分になった。
ああもちろん、将来の侯爵夫人としてであればこういったことにも慣れなきゃいけないのだということは頭では理解してる。
それでも。
与えられたお部屋は客室ではなく以前どなたかがお住まいだったお部屋なのだろう。
調度品も整っていて、それも品のある彫刻や猫脚のカーブがかわいらしい様式で統一されていた。
カーテンや絨毯にもシミひとつなくほとんど新品のようにも見えるけれど、色合いや生地の選び方まで趣味が良く。
ほんの数日で整えられるようなものでは決してなかったから。
きっと、以前どなたかのお住まいだったお部屋をそのまま、古くなれば生地等も新しく仕立て直しつつ保存している、そんな雰囲気があった。
もしかしたら侯爵家のご家族の方が以前お住まいだった部屋なのかしら?
それも、この雰囲気は女性の方のような気もする。
ベッドの天蓋にかかる布地やカーテンにもふんだんにレースがあしらわれ。
全体的に淡いベージュやピンクで彩られたそんな空間は、まるで絵本で見たプリンセスが住まうようなそんな可愛らしく気品のあるお部屋に見えて。
なんとなくこそばゆく、居心地が悪かった。
そしてなんと言っても。
「おはようございますお嬢様」
そう言ってささっとお部屋に現れるメイドさんたち。
それも、わたくしが起きたタイミングを見計らってやってくる。
絶対に寝てる間に来てわたくしを起こすような真似はせず、それなのにわたくしが起き出そうとしたタイミングで現れ「お着替えを」と着替えさせてくれる。
お顔を洗うのも、歯を濯ぐのも、お化粧をするのも、髪を整えるのも、もちろん夜にお風呂に入るのも全部お世話をされながらこなしていくのだ。
特に、下着を着けるのさえ一人でさせて貰えないのは少しこたえた。
まあ確かにここ侯爵家で用意して頂いた下着類の中には一人で着けるのが難しいものもあったけれど、でも。
羞恥心をオフにしないとやってられない。
心を殺して我慢しないといけないなんて、上級貴族の人って大変だ。そう感じて。
伯爵家が貧乏だったのかお父様の方針だったのかは知らないけれど、ローエングリン家では少なくとも自分の身の回りの事は自分でするのが当たり前だった。
それはたぶん、お義母さまやシルビアも一緒だと思う。
あの屋敷には、そもそもそこまでの数の使用人は居なかったから。
もちろんお屋敷を維持する為の使用人はちゃんといた。
お食事の準備や配膳だって、ちゃんと専門で働いてくれていた人がいたから。
わたくしも小さい頃からそういった方達に良くしてもらった記憶はあるし、「お父様!」って呼びかけてあの父に素直に甘えることなんてできなかったわたくしには、執事のタブラさんや侍女のロッテさんが両親の代わりみたいなものだった。
ロッテさんが娘さんの出産の為にお屋敷を辞して田舎に帰ることになった時は悲しくって泣いたしタブラさんが老齢で引退した後はもうそうやって気軽に甘えられる人も居なくなっていたけど。
お婆様は領地のお屋敷にいらっしゃって王都に出てくることは無かった。
お祖父様はおとなしい方で、お父様が伯爵位を継いでからはずっとおふたりであちらに篭っていらっしゃる。
何も無い領地だけれど、自然だけは綺麗で。
貴族院入学後は帰省する暇もなくお会いできていないけど、わたくしももしフリード様との婚姻のお話が無かったら、きっと卒業後はお婆様のもとへ逃げ出していただろう。
王都からの距離が馬車で一週間はかかる場所でさえ無かったら、今回の事も自殺なんかを選ばずそちらに行っていたかもしれない。
お父様に許して頂けたかどうかはわからないけれど。
お着替えの後は侯爵様とフリード様と、三人揃っての朝食。
侯爵様とフリード様は笑顔でお話しをするような感じではなく黙々とお食事を摂ってらしたけど、それでも誰かと一緒に朝食を頂くのは嬉しくて。
大体毎日そんな豪華なお食事が出てくるわけではなくて、たいてい朝食は薄味に仕立てた鶏肉のソテーにコンソメスープ。ふわふわな真っ白なまあるいパンに、たっぷりのお野菜。そんな感じのメニューが多かった。
特にお野菜がたっぷりあったのとふわふわなパンが美味しくて。
ついついお食事中に笑みが溢れてしまうのを、目の前に座る侯爵様に見られてちょっと恥ずかしくて。
それでも。
そんなわたくしを見る侯爵様の瞳がとても優しくて。
心の奥底が温かくなっていくのを感じていた。
朝食が済むと、フリード様は侯爵様について王宮へとお出かけになる。
貴族院を卒業して一人前の男性として認められると言っても、社会的な勉強はこれからなのだろう。
侯爵様のお仕事を手伝いながら、いろいろと学んでいらっしゃるのかなと思うと頭がさがる。
「自由にしていいよ」
とは言われたものの、わたくしも何か学ばなければと侯爵邸の図書室を教えて頂いて午前中はそこで過ごすことが多かった。
午後は。
お客様を招いてのティータイム。
ご親戚の方や家同士の付き合いの濃い関係の方々の御息女たちが呼ばれ、一緒におはなしをしながらお茶会をするのだ。
これも侯爵様の配慮なのだろう。
次期侯爵夫人として自分の親しい友人派閥を得る事は社交界では必須になる。のだろうから。
「無理はしなくて良いからね。なに、正式なお茶会でもない。気が乗らない日は取りやめても構わないから」
そんなふうに仰ってくださった。
それでも。
フリード様だって頑張っているのだ。
わたくしも頑張らないと、と、そう思い。
それに、こうして用事が入って忙しくしていた方が実家の伯爵家の事をかんがえなくても済む。
お父様の事で、思い悩むことも。
「何かお考え事ですか? エルザさま?」
はっと目の前の少女に意識を戻す。どうやらまたお茶の席で考え込んでしまっていたらしい。
「申し訳ありませんベアトリーチェ様。少し疲れてしまって」
「それはいけませんわ。今日はここまでにしてお休みになられますか?」
「ああ、いえ、大丈夫です。もう少しこのままお茶をいただきましょう」
今日のお客様はベアトリーチェ・テルラムント伯爵令嬢。
アルベルト様の妹リリス様の嫁ぎ先、ハインリヒ・テルラムント伯爵の御息女で、リリス様の四番目の御子。
まだ十三歳でわたくしよりも年下だけれど、その物腰はもう立派な貴族令嬢の鏡と言って良いほどしっかりと大人びて見えた。
「ふふ。やっぱりエルザ様にはお悩みも多いですもの。しょうがないですわね」
と、その妖艶な赤い唇が動いた。




