[恐怖]ホテル。
結局その日はトージンの街に泊まり、翌朝に帰ることになった。
この街は商人の街。
観光の街であったから、貴族が泊まれるホテルは色々とあって。
フリード様が選んだのは海が見えるホテル。
お部屋からはあのトージン岬までが一望できた。
海に突き出した崖のその特徴のある形と、下に見える海岸とがなんだかアンバランスに見えて。
それでも、なんだか右手を突き出した人が寝そべっている、そんなふうにも見えるその景色はなんだか不思議な雰囲気を醸し出していた。
ああ、わたくしはあそこから落ちたんだ。
そんなふうに思うと今更ながらに怖くなる。
フリード様が来てくださらなかったら、きっと今頃わたくしの身体は海に沈み、そうしてそこに住む者たちに啄まれてボロボロになっていたかもしれない。と。
あのときは怖いなんて思わなかったのにね。不思議。
生きたいとそう思わせてくれたのがフリード様であったから、わたくしはこうして今も生きていられるのだな。
生きたいと思うことができるようになったから、死ぬのが怖くなったんだ、と。
改めてそう感慨深く思って。
お部屋には、大きなベッドがふたつ並んでいた。
ふっとフリード様のお顔を覗き込むと、彼も緊張しているのか表情が固い。
「ごめんよエルザ。別の部屋の方が良かった?」
そう囁くフリード様に。
「いいえ。今はフリード様と一緒にいたいです」
彼の左腕にしがみついてそう答える。
今は、離れたくなかった。
はしたない、そう思われても構わない。
今、離れて別々の部屋で寝てしまったら。
もしかしたら起きた時に全部が夢だったかもしれないと、わたくしは結局一人でここにいたのかもしれないと、それが怖かった。
心臓がドキドキと早鐘を打って。
眠いけれど目が冴えてすぐには眠れそうにない。
ううん、寝てしまうのが怖い。
腕にしがみついたまま離れないわたくしをじっと見ていたフリード様。
諦めたように、ベッドに上がる。
彼にしがみついたまま震えが止まらなくなっているわたくしの頭をそっと撫でてくれて。
そのままベッドに横になった。
ベッドはふたつ並んでいたけれど、結局一つのベッドに二人で寝転がって。
「大丈夫。俺はここに、ずっといる。だから安心しておやすみ」
わたくしの耳タブに唇が触れるくらいに近いフリード様のお顔。
それでもそんな彼の囁きに、安心できたわたくしは。
ゆっくりと目を閉じた。
世界が、ゆったりとした空気に包まれた気がした。
♢ ♢ ♢
翌日、フリード様の馬車でバルバロス家のお屋敷まで帰る。
目が覚めた時、隣にちゃんとフリード様がいてくれたことが嬉しくて。
いつの間にか恐怖もどこかにいってしまっていた。
うん。
本当にこのままずっと一緒にいられたら、幸せなんだろうな。
そんな風に思いながら。
でもきっと、一度はあの家に帰らなければいけないのだろう、と。
常識で考えたらそうなるだろうなとも思う。
正式に結婚式を挙げていないわたくしがバルバロス侯爵家にそのまま滞在することは、さすがに彼のお父様がお許しにならないだろう。
だから。
フリード様の迷惑にならないうちにお家に帰らなくちゃ、と。
でも。
昨夜無断で帰宅しなかったわたくし。
心配をしてもらえているとは思ってはいない。
あの、蔑むような目で見られるのだろうと想像するのが怖かった。




